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⑨女性スタッフの自殺、パワハラ裁判で活動休止していた一月万冊

その一方で、嬉しいこと・やってよかったと思ったことばかりでなかったということもお話ししておかなければなりません。

当初「自分と同じように」「結婚できない娘たち」を応援したい、と考えて配信を行なっていた女性スタッフは、どうして自ら命を断ってしまったのか?

亡くなるまでの3ヶ月余りの出来事を確認しておきたい。

現在のレギュラー陣をゲストに迎えるようになって、当時の「一月万冊」も高いテンションで毎日(一日に何本も)更新されていた。開催されたイベントの反響も大きく、著者と計画した「新たな出版ビジネス」の準備は順調そうに見える。

当時の「毒親配信」を確認すると、当初からコーチングの専門用語(ゴールの抽象度やエフィカシーなど)で説明していた社長にも「変化」があったことがわかる。

コーチングの名著に苫米地英人さんのまずは親を超えなさい、と言うのがありますがむしろ親を捨てなさい、のほうが正しいかもしれませんね。まだまだ思考を重ねてみます。それがまた楽しいことです。写真はこういう気づきを更に深めるきっかけとなった安冨歩東京大学教授と一緒に東大でやった一般講義の際の写真。

女性スタッフにとって家族関係の「指導者」だった社長が、自身の父親との関係について自己認識を変えたことで、また新たな模索を始めていた。女性スタッフが失神した東京大学の講義について、数日後のブログで次のように紹介している。

普通の講義なら居眠りする奴けしからん、かもしれないがそれだけ人が衝撃を受ける内容を話したという事が誇らしかった。

女性スタッフを失神させて「誇らしく」感じた社長は、それから彼女とどんな日常を送っていたのだろうか?そして当時の毒親関連の投稿は、新たなレギュラー出演者からの強い影響が感じられる。この点には、特に注目してもらいたい。

女性スタッフ個人に対するコーチングから、「毒親の連鎖が生じる社会的、歴史的背景」にテーマが大きく広がった印象を受ける。

しかし、展開に行き詰まったのか、告知済の「第一回 毒親セミナー」は開催されていない。元日から(!)集中的に何本も配信が行われたが、似たような話の繰り返しでマンネリ化が感じられる。それを打破するためか、1月4日には新たな「家族への手紙」が掲載されたが、これにもやや唐突な印象を受けた。

私の家族は、あなたたちではありません。
私の守りたいもの、好きな人たちとともにいれば、そこが家族よりも大事な場所になるのです。

この手紙で、彼女の抱えた「家族との葛藤」を具体的に確認できる。ライブ配信でどんな話をして、配信中のチャットで誰からどんなアドバイスがあったかも確認できる。導かれた先は、彼女の望んだ「女性としての幸せ」ではなかった。

この後「一月万冊」の活動は更に盛り上がっており、立て続けに開催されたイベントではカンパ集めも盛況だったようだ。(200万円が何人も、、!?)

しかし、彼女が出演する「毒親配信」は行われなくなった。そして「万冊祭」が終了して一段落した社長の投稿には、意味深なものが続いていた。(当時も1日に何回も投稿しているので結構な量になるが、事件前2週間分くらいの投稿に目を通してもらうだけで気になる投稿がたくさん見つかるはずだ)

もう20年近く会っていませんが去年くらいに父親との和解を私は勝手に諦めました。そうすると心に変化が訪れたのです。それはとてもよい変化でした。その辺りについてライブで話そうと思います。
コミニケーションは包丁のようなモノで、上手く使えば美味しい料理が作れるが間違って使うと人を傷つける。今日も私にわけわからん押しつけコミニケーションしてきた人がいたので『舐めんなコラ』って言っといた(笑)
なぜか波長が合って目の前の貧乏よりも夢に共感して働ける希有な人材平田、そしてそこに何となく着いてきた大下大山

事件は2月25日の午後に起きた。事件の前夜も、事件の翌日も翌々日も、社長と副社長はライブ配信を行っている、、、つまり、飛び降り自殺の前後に行われたライブ配信のアーカイブ動画で、当時の生々しい雰囲気を確認することができた。

事件の前夜 2月24日の深夜(この配信の直後に、原告らが住んでいたオフィスを訪れて説教?した際、パソコンの破壊や「ここから飛び降りるのか?」発言があったと訴えられている)

事件の翌日、翌々日 コーチングをテーマとしたアドバイスを行い、(女性スタッフの自殺を伏せて)チャットで寄せられた視聴者の質問に答えている。

これらを見た感想は、とても複雑で簡単にまとめることはできそうもない、、

後の取材で「事件の前夜の出来事」として、家族に絶縁状を書くように社長から命令されていた ことが明らかになった。原告側からの証言のようだ。

女性は、両親と妹に「絶縁状」を書くように命じられ、朝、「文章作成しました。これで問題なければ送信します」と清水氏にメールしている。実際には「絶縁状」は家族に送信されなかった。
 同日午後3時1分、女性は清水氏と自分の父親に対して、「遺書」というタイトルのメールを送った。そこには「この後私は死にます」と書かれていた。

社長に命じられた「絶縁状」を書いたものの送信はできなかった、、その日の午後に事件は起きた。社長はインタビューで次のように語っている。

色んな要因が複雑にからんでいるかもしれませんし、簡単にわからないと思いますが、いずれにしろ、私の責任だと決めつけるのは憤りを感じます。
むしろ私は原告側に対し、疑問があります。自殺直前の12時間、彼女のそばにいたのは原告の元同僚たちです。彼女に異変はなかったのか。何も気づかなかったのか。それについて彼らは何も語っていません。

この「絶縁状」の事実を踏まえた上で、会社から公式にコメントされた反論を読むと、最初に読んだ時の印象とは少し違った感想を抱いてしまう、、、

大山氏がご逝去される直前、御本人が書いた文面が清水はじめ親御様に届きました。そこには、同氏の決断が個人的な原因および理由によるものであり、弊社の業務とは無関係であることが明記されていました

2018年10月に裁判の報道があり、「一月万冊」は事実上「休止」に追い込まれたが、裁判中の1年後に突然「活動再開」が宣言されて現在に至っている。

当初の自己啓発的なコーチングから虐待の連鎖を断ち切る社会活動に変わったことや、自殺当日の早朝に書かれた絶縁状から遺書につながる文脈といった「事件の核心部分」に、関係者の大学教授やジャーナリストは誰も触れようとしない。

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