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20kg太った私を地獄から救ったあのトレーナーは、実家のおばあちゃんだった


「あれ、太った?」


2021年。久しぶりに会う人ほぼ全員に、そう言われていた。

私に、聞くな。


なぜ疑問形なんだ。見れば、一目瞭然だろう。

私をこんな卑屈デブにしたのは、仕事のストレス+暴飲暴食+多忙な業務+食いしん坊すぎるメンタル+怠惰すぎるスタンス  などなど。

私は、スーパー快速特急デブまっしぐら列車に乗り、マッハ9.99の速さでデブ街道を爆走していた。


そして自暴自棄から自己嫌悪に陥る無限ループだった。

そんな私の心と体を変えたのは、仕事でたまたま出会った「パーソナルトレーナー」だった。パーソナルトレーナーとは、ジム会員に対し1対1でトレーニングや食事の指導をするトレーナーのこと。目標達成に向けた、きめ細やかな対応と「そばにいてくれる安心感」から、近年は特に人気を集めている。

私は、パーソナルトレーナーは「実家のおばあちゃん」のような存在だと思った。だからこそ、今という時代、パーソナルトレーナーが求められている理由が、わかった気がした。


振り返ると、私がまっしぐら列車の切符を買ったのは、人生そのものに絶望した新卒就活と新卒1年目だった。どうしても入りたかった某メディア企業に落ちたことをきっかけに、諦め癖がついていた。つまり、理想が高かった。理想だった会社員生活とかけ離れた現実は、仕事があまりにも出来なさすぎて怒られるし、深夜まで働いて毎日クタクタ、それを愚痴れる人もいない孤独な社畜生活だったーーーーー。

「私は、負けたのかもしれない」と結論づけてしまうのを、防ぐように、私は日々ストロングゼロ500mlを限界まで胃に流し込んでいた。

酒を飲むと、食欲が限界突破してしまう。


深夜のコンビニでカロリーが超高そうな食品たちを片っぱしから食べ尽くすという、考えただけでゾッとする不健康極まりない日々。

挙げ句の果てに、深夜3時に訳もわからず焼肉屋で1人でカルビを焼いていた時、はっとした。


つまり、「自分の体を大切にする」ということがもうできなくなり、自暴自棄の地獄に落ちていた。

「どうなってもいい」が口癖となり、「痩せても世界は何も変わらない」が私の行動の基本理念となっていた。

全てを諦めていた私のアラサーの体は、マッハ9.99の爆速で肥大化。

ふと鏡に映る、宇宙空間のように無限に膨張する、自分の顔。そして、永遠に閉まることがない、ベルト。悲鳴をあげて破壊されていく、ズボン。

意を決して、体重計に乗ろうと決めてから数ヶ月たって体重計に乗った。学生時代から20kg太っていた。ウソだと思った。これはいよいよヤバいーーーーーというタイミングで、考えが変わった出来事がある。

それは、とある「パーソナルトレーナー」のTさんとの出会いだった。

たまたま仕事上の付き合いで知り合い、Tさんと仲良くなった。仲良くなるうちに、Tさんはジムでパーソナルトレーナーとして働いているという。

当時、私はジムなんて興味がなかった。体を動かすこと自体が、めちゃくちゃ嫌い。当時、会社から徒歩2分の家に住んでいたが、歩きたくなさすぎて車で通勤していたほどだ。

ただ、初回は「激安」だった。ケチで守銭奴な私は、「まあ安いなら笑」と、何となくお試し気分でそのパーソナルトレーニングを受けることにした。Tさんとの「付き合い」のつもりだった。


普段はおとなしいTさん。彼はトレーニングになると豹変した。
さまざまな器具の使い方を教えられながら、一緒にトレーニングをするのだが、「もっとやれるだろ!!」と熱く煽ってくる。「あなたならもっとできるだろ!」「才能があるはずだから、もっと頑張れ」と、想像の100倍ぐらい熱いエールを送ってくれる。

そうして声をかけられることは、正直ビビるし戸惑うーーーのだが、だんだん、私自身のやる気にもつながっていた。さらに、食生活についても栄養学の観点から丁寧すぎるアドバイスをもらえる。かなり短い期間だったが、パーソナルトレーニングを終えて、わたしの中の孫悟空が目覚めた瞬間があった。

「オラ、自分の体を、変えてみてェ」。


この出来事が、私の生活に大きな影響をもたらした。

例えば、カロリーが高そうな食べ物を食べてしまおうとする時、Tさんの顔がチラつくようになってしまった。

私が今この食べ物を食べたら、Tさんを悲しませてしまうかもしれない。筋トレをサボった時、Tさんを悲しませるかもしれない。なぜか、そう思えてしまうーーーー。

それはまるで、実家のおばあちゃんを悲しませないように、「犯した罪を自白する時の悪人」のようだったーーーー。


よくある「刑事ドラマ」で、こういう感じのセリフがある。

両親を亡くし、祖父母に育てられた男がグレて犯罪に走る。ドラマでは、刑事が、悪人に対してこう言うのだーーー。

「あんた、いつまでもこんな悪いことをしていたら、実家のおばあちゃんが悲しむだろう!」



そういう感情に訴える刑事の作戦で、悪人は改心するのだ。パーソナルトレーニングが終わって、1年ぐらい経過して、しばらくTさんとは会っていないのに、なぜかTさんはいつも心の中で見守ってくれている。

それは、悪人の私を気にかけてくれる「おばあちゃん」のような存在になっているからだ。

「おばあちゃん(Tさん)を悲しませたくない」ーーーーー。

つまり、Tさんは「擬似おばあちゃん」となっていた。
誰かが、私の生活を気にかけてくれる、という体験が、私を「自暴自棄の地獄」から救ってくれたのだ。

そうか。だからパーソナルトレーニングは流行っているのかもしれない。私の勝手な想像では、家族と離れて暮らす・1人で暮らす「単身世帯」が増えている中だから、誰かに間接的に「見守ってほしい」というニーズが、多いのかもしれない。


当時の不健康な私のように「自分一人きりでは自暴自棄の地獄から抜け出せない」というような人がいたらーーーーーーまずは誰かと一緒に健康づくりを始めてみよう、と伝えてみたい。

あれが #わたしのチャレンジ だったかもしれない


(140字以上のゲイ・nakamura )

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