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成績優秀だった私が大学を2年で辞めた理由

タイトル通り、もう10年以上前の出来事になりますが学生時代のお話です。

私は札幌にある中学から短大まで一貫で、珍しく芸術に特化した学校に通っておりました。クラスの数は普通科が多かったものの、それに加えて音楽科と美術科が中学から存在したのです。
私は勿論美術科に通い続け、中学と高校では油彩画を主に学びました。

そして短大に入学する頃、ちょうど学校が四大に生まれ変わる時期だったのです。そして私の代だけ ①短大で卒業する ②四大に進む かを選べるという特殊なタイミングを迎えたのです。

私は短大からは視野を広げたいと思い、現代美術を網羅する人数も少なく希少な学科に進みました。油彩画ばかり描いてきた私ですが、この学科に入りさまざまな素材や表現に触れられて、自分の作品の幅も広がり充実した生活を送っておりました。

こうして年月は過ぎ、2年生の半ばに差し掛かった頃、四年制大学に進むか否かの選択をする時期となりました。

実は私はこう見えて作品・座学ともに優秀であり作品制作にも貪欲で公募展などにも頻繁に挑戦していたため、誰もが四大に進むと思っていたようですし、両親にもそれを承諾を得ておりました。


ただ、私は短大で"縁を切ろう"と決断したのです。


というのも10代の若造ながらも反政権・反戦・環境問題この3つをテーマに作品を作り続けており、それに関する勉強とパンクバンドなどもしておりました。
ある日作品についての個人面談があり、私の担当の教授が
「戦争体験も無いのに反戦ってどういうつもり?」
とふざけたことを真顔で言ったのです。

「僕はよくわからないんですよ。ぬくぬくと平和な場所で反戦を訴えるジョンレノンやオノヨーコみたいな人達が。戦地に行ってやればいいじゃん。」

ああ。
今私が教授に解説したり理由を説明したところで、きっとこの場所でこれ以上得られるものがない。
このまま四大に進んでも担当の教授がこれじゃ全く価値がない。

そう言われた私は悲しくも体の力が抜けて、教授を説得する気力もなく「そうなんですね。はあ。」と言ってその場を去りました。

これをきっかけに私はまさかの短大で脱落することになりました……。

結局短大の卒業式では成績優秀者として表彰はされたものの、その当の教授は全く自覚がなく、部屋に呼び出されたと思いきや「加藤さんどうして四大進まないの…!?」と引き止められました。
超テキトーでおざなりな理由をつけて返答をした私は、きっと全力の苦笑いをしていたことでしょう。

こいつみたいな大人に学費という大事な両親の金を与えてはならない。
こんな学校にいて人生の中の2年間が勿体無い。
作品は大学にいなくても作れる。
美術は大学にいなくても学べる。

きっとこの教授は私の「何クソ根性」を発揮させてくれたんだ。
結果的にこの教授よりも立派な作家になればいいんだ。


こうして私は大学に進んでいたはずの時期に、フリーターをしてみたり留学をしてみたり上京したりと、結果的に充実した2年間を過ごすことができました。

結果的には後悔はなく感謝していますが、私の最終学歴は少し残念なことに短大卒なのです。

最後に、短大の卒業制作を掲載して終わりとします。
"ALL YOU NEED IS LOVE"
素直な気持ちでこの作品名をつけましたが、偶然皮肉なことに教授が批難したジョン・レノンが書いた曲と重なりました。


ALL YOU NEED IS LOVE - 2012


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