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うちの息子が結構やばい話

うちの息子はやばい。

乳児期は、夜ほとんど眠らず泣き叫び

幼児期は、常に動き回って止まらず

幼稚園では、行事ごとに参加を拒否して毎回逃走

小学校に入ると3日に一回筆箱の中身をほぼ全部無くしてきて

3、4年の頃は全盛期の山下清を思わせる放浪ぶりと、3秒後に何をするかわからない予測不可能な行動で周りを混乱に陥れた

小5の今は、周期表と数字を愛し、買い物に伴うと、お会計時毎回レジと、お会計暗算勝負を挑む

そして勝つ。

育てにくさ満載。

うちの息子は兎に角やばい。


そんな息子は発達障害児だ

診断名は

ADHD(注意欠陥多動性障害)
DCD(発達性協調運動障害)

正式に診断がついたのは小学4年の時。

精神障害者福祉手帳も3級で持っている。

何かの時に役に立つかと思い10歳の時に取得した

今のところ特に手帳の出番は無いが、息子の大好きな歴史博物館と科学博物館の割引券としては大きな役割を果たしている。

それはさておき

今から約1年8ヶ月前、私は入院していた。

私の病気ではなくて、この息子の二番目の妹、娘②の付きそい母として

娘②は重度心臓疾患児で、生まれて即NICU入院

からの小児病棟転棟

からの手術そして入院と

生後4カ月半まで入院し、小児病棟入室許可年齢に満たない兄と姉、即ち息子と娘①には、長い間『幻の妹』だった。

この件では

「なぜ何故どうして娘②ちゃんは帰ってこないの、いつ会えるの」

と夫は息子と娘①に散々突き上げを喰らったらしい。

私は付き添い中で知らなかったが、兎に角合わせろと暴れた

らしい。

見てないので知らないが、夫は息子に向う脛を蹴られたという。

ひとの急所を的確に蹴り上げるとは見事なり。

まあ兎も角

そんな娘②入院中の当時、息子はその症状がじわじわ強く現れ出していて学校で問題児だった。

低学年の頃はまだ、忘れ物王としての名を欲しいままにしている程度で済んでいたのだが

何しろ生まれて即、死にそうな妹の誕生に、母親の24時間病院付き添いである

環境の変化に特に弱いと言われるADHD児の息子は、学校で突如、放浪の人となった

兎に角じっと机に座っていられない

息子曰く

「自分が知っていることを授業でやっている時は、外で桜を見たり鯉を見たりしたい」

風流か。

そんな息子は担任に、9歳(当時)の割に枯淡な趣味ですねと褒められる訳もなく、付き添い入院中の私の携帯には学校から鬼電がはいった

「息子くんには困っています」

私も困っています。今。

相談機関や専門医を探そうにも、点滴に繋がれた赤ちゃんと

『熱血!病棟付きそい24時!』

を敢行中の私には本人を電話で口頭注意する以外打つ手が無い。

苦しい三学期

そしてやってきた春休み。

その春休み期間の娘②の入院付き添い中には富山から母がやってきて息子と娘①を見てくれた。

大好きなばぁばの長逗留が嬉しい二人は、それなりに楽しく過ごしていたが

ある日の午後、息子は

「ばぁば!友達と外で遊んでくるね」

と近所の公園に出かけ、そのばぁばが娘①を連れて買い物に出よう、息子くんも誘おうかと公園に迎えに行った時

息子も約束していた筈のお友達も、そにはその姿形も無かったらしい。

心配したばぁばことマイ母は、病院で機嫌最悪の娘②をあやしまくっている私に連絡をしてきた

「息子くんがいないんやけど...約束したとか言う友達もいないし」

「なんか変な人に攫われたんじゃないがけ?」

普段、ど田舎の里山に暮らすばぁばは、私達の暮らす街を

ザ・大都会!危険地帯を行く!

という恐怖の場所と考えていて軽くパニックに陥っていた。

私からすると、ちょっと山に向えばアラ熊さんにこんにちはの実家もどっこいどっこいだが

兎に角大層心配して携帯に連絡をしてきた。

「多分、ばぁばに言った所と全然違うとこにいるんやと思う、でもそこの近所に絶対いるから」

母を安心させて電話を切った。

全くもうあいつはどうしてこう勝手に流離うんだ、松尾芭蕉か?漂泊の風でも吹いてんのか?アイツの人生には。

股引の破れも自分で繕えない癖に。

そう思って、携帯を持ったままトイレに立った。

きっと、ばぁばに伝えた公園とは全然別の、そうだ社宅の屋根のある駐車場にでもいるんだろう。

あの子はそういう子だ。

当時入院中の四人部屋のトイレは部屋を出て廊下右側にあった。

廊下に出てふと、病棟のエントラスに目をやった

ら、

病室の右手側、病棟とエントラスを隔てる壁に張り付いている男児がいる

娘②が入院中の小児長期療養棟は、その前にある病棟中央エントラスとの間が一面ガラスの壁になっていて、その壁の中央に自動扉がある。

その自動扉は患児逃走防止の為に、解錠ボタンが大人しか届かない高い位置に設置されていて

それを突破しようとしているのだ

誰か止めろ。

おまわりさんアイツです。

息子が侵入を試みているここは部外者どころか15歳以下入室厳禁の長期療養棟。

そもそも息子が今いる『家族関係者は入場可』の病棟のエントラスにさえ、解錠キーかインターホンで解錠してもらわないと入れない筈

いやそうやない

なんでおるんやお前はここに?

そうだ、声、声をかけて止めなくては!

「息子!何やってんのこんなとこで!?」

結構な大声で叫んだ

「あ、ママ。」

あ、ママじゃねぇよ、何やってんだよお前は。

「いやいやいや、何やってんの?どうやってここまで来たん?」

息子は首から下げた子供用のPiTaPaを差し出して

「バス乗ってきた!」

「娘②ちゃんは?」

我が家と大学病院はバスと徒歩で約30分。

小学生に来られない距離ではないにしても、当時私はまだ息子を一人でバスに乗せた事は無かった。

「よくここまで来られ..大体ここまでどうして入ってこられたん?」

そう、この病棟の鉄のセキュリティをどうやって突破してここにいるんやお前は

「ママ、前お部屋は5階って言ってたやろ。」

「ソコの自動扉は、あすこの青い服のおっちゃんについてったら入れた」

と医師とナースがぎゅうぎゅうに詰まる詰所を指指した。

空気を読まないことにかけては世界指折の息子が得意万遍で説明するには

病院の場所は以前、パパについて私に届け物をした日に覚え

私との会話から『娘②ちゃんは5階』と記憶し

5階の小児病棟第一の関門、解錠キー付き自動扉は病棟の勤務医の後ろにぴったりつけて侵入したらしい、青い服とは多分、病棟医の青いドクタースクラブだ。

気づいて先生、怪しい子供に。

そして、それは空き巣の手口や息子。

「娘②ちゃんは?会いたい!」

息子は悪びれてなかった。

大体ADHD児というのは、衝動性がとても強い。

思ったことを躊躇留保なく実行してしまうのだ。

それが発露されている間、善悪、他者への気遣い、倫理観、その他感情は一切発動しない。

らしい。

息子はまだ見ぬ妹に一目会いたい一心でばぁばに大嘘をぶっこいてここまで来てしまった。

その行動力、判断力、決断力は高く評価する。

しかしマジでやめろ。

「じゃあ、このガラス越しには会えるから、連れてきて顔見たらばぁばに迎えに来て貰って帰ろうね。」

私は娘②を病室に連れに戻り

病室で高い柵のついたベッドにふにゃふにゃと転がっていた娘②を抱き上げた

その病室と息子の待つガラスの自動扉の前までの数秒の間、私はふと心配になった

心臓疾患の為に常態的に心不全で、そのせいでいつも顔がパンパンに浮腫んでいて顔色の悪い赤ちゃんを

鼻から謎のチューブを垂らしていて

腕から何本も点滴の管をぶら下げている赤ちゃんを

息子は可愛いと思うのだろうか。

そう言えばそこは説明してなかった。

しかし5歩も歩けばもう息子はすぐ目の前だ

息子は赤ちゃんとそれにガラガラとついてきた点滴台を珍しそうに見つめて

そして

顔を伏せた

やっぱり怖い?

ビジュアルが病人すぎる?

顔色が紫っぽすぎ?

「...恥ずかしい〜」

はい?

「恥ずかしいなぁ〜」

おいおいおいおい、恥ずかしいって何やねん、お前がばぁばに大嘘ついてまで会いにきた妹やぞ。

「ホラ!お兄ちゃん!妹その2だよ!」

私は中腰になり、ギリギリまでガラスの壁に娘②を近づけて息子に見せてやった。

この時、娘②は病室の外には出られても、エントランスへの出場は許可されていなかった。

「...小さいね」

「ピカチュウと同じ重さなんやろ!?」

当時娘②は体重約6000g、ピカチュウは6kg、ほぼ同じ重さらしい。

知らんがな。

「かわいいね!」

「そう?可愛い?」

「かわいいよ!かわいい!かわいい〜!ふふふふ」

「ひひひひ、がわいい..ズビッ」

子供とは

どうして感情が高ぶるとゲラゲラ笑いだすんだろう。

そして泣きだすのか。

息子は、ガラス越しに初めて会う娘②の姿を見てゲラゲラ笑って

そして泣き出した。

息子が当時の娘②の状態を正確に理解していたとは思えない

だから、何がどうして笑い泣きなのかはわからない

何か知らんが病気の妹が可哀想なのか

ビジュアルが病児っぽ過ぎたのか

初めて会えた感動なのか興奮なのか

息子はガラス越しに抱っこもできない娘②の前で立ち尽くして

ひとしきり泣いた。

娘②は、その様子をぽかーんと見て、少し笑ったように思う。

息子は私から連絡を受けて慌てて迎えにきたばぁばに連行されるまで、ガラスの壁に隔てられながら娘②の前で泣いて

「娘②ちゃん!早く帰ってきてね」

鼻水を垂らしながら帰って行った。

あの行動力と突拍子の無さはやばかった。

そして、娘②を見て鼻を垂らして泣く姿がずっと心に残った。



『早く帰ってきてね!』

そうは言われても、結局娘②の帰宅が叶う迄は、それから更に1ヶ月以上かかった。

その娘②の退院、帰宅の時の息子の喜びようはまた

やばかった。

私は『こけつまろびつ』という言葉にあんなに合致する状況を見た事がない。

文字通り学校を終えた息子がこけつまろびつ自宅に駆け込んできて

いや、多分帰宅時間的には終わりの会をぶっちぎって来て

ドアを開けるとともにランドセルを廊下にぶん投げ

「娘②ちゃ〜ん!にぃにでちゅよ〜!」

「かわいい〜!元気でちゅかぁぁ〜」

ええと、病気です。

剥がしの母が、手を洗え、宿題はどうしたと言って剥がさないと永遠に娘②の側で転がっている。

終いには

「僕、しばらく学校休むわ!育児するから!」

育児休学宣言まで飛び出し、説得するのに私の心が骨折するレベルで大変だった。

兎に角この息子の娘②への愛情は一目会ったその日から尋常ではなかった。

そしてこの頃の息子は、発達特性がより悪化していた。

『悪化』じゃない、周りの環境の急激な変化に上手く対応出来ないのだ。

息子は戸惑っていた。

娘②が経管栄養のまま帰宅して

『医療的ケア児を自宅で何とかしていく』という事態により生まれた家庭内の混乱が大きく影響したのだと思う。

本当に環境の変化に弱い。

4年生になって担任が変わったというのも大きく影響した。

いやもうほんまに。

ものは無くすし、

放浪の旅の頻度と範囲は、現代の松尾芭蕉などと呑気な事は言っていられなくなった。

もう逃亡と言っていい、病院の鉄のセキュリティを突破する息子だ、学校から抜け出すなど造作も無い

ザ・プリズンブレイク 息子。

そしてお友達と喧嘩をし

叱責をウソの応酬で返す

理由を聞いても本人も

「何で其れをしちゃうのかわからない..」

としか答えない。

発達障害は脳の接続不良というかバグなんだからそれで正解なんだが。

もうこの子はおかしくなったんじゃないか

母親の私は、未だ術後状態の悪い娘②を抱えて途方に暮れた。

「お前なんかもう育てられるか!」

と思った。

そしてツイッターでネタにした。

もう笑いくらい取らないとやっていられない。

あの時はすまんかったやで息子。

藁をも掴む気持ちでやっと訪ねた診察1ヶ月待ちの小児神経科で

「ハイ、おかあさん発達障害ADHD確定ね!もう典型的なやつ」

と爽やかに診断を受け、あれよあれよとコンサータ27mgの処方にこぎ着けた。

幸いこのお薬が効いて今は落ち着いて、何とか発達障害と上手く共生しているが

「何か謎」

と思える事はこの息子には多い

夜中に跳ね起きて突然周期表を書き出したり

朝一番の会話が

「ねー、メガテリウムっておるやん」

だったり。

知らん。

ていうかもっとフランクな話題ないすか?

運動会で踊る『パプリカ』の振り付けが、オリジナル米津玄師風ダンスだったり。

この件について菅原小春氏に謝って欲しい。

息子の、大体がざっくりで適当でしかし頼りになる主治医からは

「今落ち着いてるけど、思春期に入ったら色々また面倒だよ」

と言われている。

なぜ私の周りには、単刀直入で説明が雑な医者しかいないのか。
(参照:私の苦手な娘の主治医のこと)

また大変になるのか、今だってそこそこ大変なんですけど。

そういう時

息子の小さい妹・娘②への深すぎてウザめの愛情とか

その愛ゆえに、家出して病院のセキュリティをかいくぐり妹に会いに来てしまった事とか

そういう事を思い出すようにしている。

娘②の手術の日に、私たちが帰宅して無事を報告するまで頑として布団に入らなかった事とかを。

あの子のする事は

常人には度し難いが

何か理由がある。


うちの息子は、いつも割と結構やばい。


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