見出し画像

過去の答え

過去の自分はほんとうに自分なのか

過去を生きてた自分は今と比べると劣っていることが多いけど、変わらないところがあって
別人にようにもおもえる

過去の感覚、文章があまり出てこない
自分を探すとき、うまくいかないとき、感情が揺れるとき、そのとき生成される言葉(モノ)はもう生めない
それ、だいじにしてね
あった感覚の記憶、断片集めて書くよ
あまり書ける人はいないかもしれない
だから私は辛かった

昔からよく疑問を見つけては答えを探す人で
だけど親や学校の決められたことはずっと押し付けられてて
考えても見える世界とすこし違くて、それが正しいと思えずに
考えてた
ずっと檻の中でいろんなことを想像してた

その檻には内側にも鍵があり、脱出できた


変わらない過去の答え

答えが出てるものを考え続けることは、

自分を反対することかもしれない

辛いよね

それが自分なのに、反対のナイフを探してしまうような

考えることが癖になってしまうとほんと変な世界に入っちゃう
それを続けてやっと見つける自分
あんな時間も好き
迷って迷って迷う
弱くてかわいい
と今は言う


過去の答えは時に澱になる

自分だと思ってたものが自分でないことも、ある
社会が指し示すもの、他人の意見、力尽くで出た答え

成長したことで、昔と変わるものもある
それは過去の自分を反対する、とかでなくただの成長
変わるものと変わらないものを理解することも難しい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?