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ユリイカ6月号の話~嶽本野ばら特集号に寄せて~


はじめて「ミシン」を読んだとき、私は田舎で鬱々と暮らす14歳だった。

ファッション雑誌KERA!を読んでゴスロリに憧れていたけど、毎月のおこづかいは雀の涙ほどで、ブランドの服なんて買えないし、というかお店に行く交通費だけで大半は消えてしまうし(ネット通販なんてほとんど無かった時代)、そもそも背が高くて浅黒い肌のショートカットの私にはそんな服が似合うわけがなくて、KERA!の別冊ゴスロリバイブルを擦り切れるほど読みまくるしかなかった。

そんな中「乙女のカリスマ」としてロリータ界隈に君臨していた嶽本野ばらを知ったのは自然の流れだった。

「ミシン」を読んで放心状態になって直ぐに発刊されたのが、ある意味トラウマになった「エミリー」。
発売記念サイン会があるとの情報を得て、持ってる服の中で唯一「それっぽい」服を着て向かった。サイン会までの待ち時間、なけなしのお金でEmily Temple Cuteの赤い靴がついたストラップを買って、ギンガムチェックのショッパーに入れてもらった。大切過ぎてずっと部屋に飾っていた。
会場のショッピングビルの本屋内には本物のロリータちゃんたちがひしめき合っていて、みすぼらしい「なんちゃってロリータ」の格好をした自分が恥ずかしくて、下を向いて列に並んだ。
その時のコーディネート、服のディテール、生地の肌触りまで、今でもはっきり思い出せる。

初めての「生野ばら」ご本人は、握手をした時の折れてしまいそうな細い手の感触が衝撃的だった。画質の粗いガラケーで2ショットを撮ってもらった。
今度実家に帰ったら探してみようか。

嶽本野ばら作品には、ファッションブランドがたくさん出てくる。その洋服についてのデザイン、歴史、精神論までが執拗なくらい詳細に語られることが多い。

たかが服、されど服。
人間とファッションの切っても切れない関係。それは私の中で血となり肉となり、結果的に私の人生の道しるべになった、と言っても決して大げさではないだろう。

あれから20年余り経った今、改めて嶽本野ばらに出会いなおす。
何度かの引越しを経たけど、「それいぬ 正しい乙女になるために」は、どの家に住んだってずっと私の本棚に収まっているから、また読みなおそう。

自分の中で「三つ子の魂百まで」的な意味で「中二の魂百まで」があると思っているのだけど、本当にそれだと思う。

当時の野ばらさんの年齢を私はとうに越えてしまった。
相変わらず中身は変わらないし何も成し遂げることはないまま。
何かのインタビューで、
「僕は何も生み出さない者になりたい」と言っていた。それが一番贅沢で高貴な生き方だと思う。だから私はこれで良いのだ。と思うことにする。
それでも野ばらさんには、またまだずっと文章を描き続けてほしいと思っている。それが、野ばら作品に人生を変えられたイチ読者の思い。

人生って答え合わせだなあと思う最近。

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