言葉を知れば知るほど、
表現が素敵なおばあさん
物事をポジティブな方向から捉えられる人って素敵だと思う。
というのも、先日カフェで働いていた時、自分の不手際でコーヒーが焙煎されていなく、提供できるのが早くて5分後となってしまった。
その時に注文してくださったお客様がおばあさんだったが、その旨を伝えると、こんな返答があった。
「やった!そしたら出来立ての美味しいコーヒーが飲めるわね!」
発想の転換がポジティブで、なんて素敵な捉え方なんだと思った。
ぼくも別に怒りはしないと思うけど、こんなポジティブに変換することができない。
内心は「なんでだよ!」と思いながら、愛想笑いをしてやり過ごすのが、ぼくの精一杯の対応だと思う。
ただポジティブな捉え方をするだけで、
おばあさんからしたら、出来立ての美味しいコーヒーが飲めて、
ぼくからしたら、その一言で安心することができて、
"コーヒー"からしたら、気持ちよく抽出されることができる。
ぼくの不手際でマイナスな出来事となったはずが、おばあさんのポジティブ発想により、どの方向からみてもプラスの出来事となった。(コーヒーを含む)
もし、ここでおばあさんがちょっと怖い態度を示してきた場合、ぼくも"コーヒー"もネガティブになるし、その発言をした本人もマイナスな気持ちになると思う。
もちろん、ぼくがミスをしているので、マイナスになるのが当然の結果だけど、それをプラスの方向に持っていける発想の転換。
ぼくもそんな捉え方ができるような、素敵な年の重ね方をしたいと思った。
何十年後にこれを読んで、答え合わせでもしてみたい。
*
言葉を知れば知るほど、
白い息がはっきりと出るようになった冬の朝を散歩していた時、ふとこんなことを思った。
「言葉を知れば知るほど、自分を納得させるための言葉が世の中にはあるな〜」
どういうことかというと、
過程が大事
結果が全て
諦めが肝心
継続は力なり
置かれた場所で咲きなさい
咲く場所は自分で決めろ
などといったように、何か一つの事象があったとして、その事象の"結末"がどっちに転んだとしても、その時々で自分に合った言葉がある気がする。
例えば、
大学受験をした人がいて、
志望校に行くことができなかったら、
「大丈夫、結果が全てではない。受験をしたという過程が大切だ」と言うことができるし、
就職して働いている人がいて、
全然思うように仕事がいかなかったら、
「今の仕事向いてないかもな。咲く場所は自分で決めろっていうし、転職してみるか」と言うこともできる。
過程が大切とか、咲く場所は自分で決めろとか、
それが正しいか、正しくないか、正直ぼくにはわからないし、そこを考えたところで答えが出ないと思うけど、
ただ、そういった言葉を知っているからこそ、どんな事象が起きたしても、その言葉で自分自身のことを"上手く"納得させることができる気がする。
良くいえば、柔軟な考え方。
悪くいえば、言い訳。
これも"捉え方"の話になってくると思う。
言葉を知ってれば、言葉という"盾"で自分を守ることもできるが、その盾が重くて強すぎると、むしろ"動けなくなり"攻撃することができなくなる。
一方、言葉を知らなければ、言葉という"盾"がなく、傷をたくさん負うことになってしまうが、盾がない分"動きやすく"攻撃的になることができる。
諸刃の剣
一長一短
きっとそんな感じ。(どんな感じ)
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