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汝、星のごとく

お酒を飲む機会が減る

最近、お酒を飲む機会が減った。

特に飲まないよう意識しているわけではないので、おそらく飲みに行く友達が減ったのだろう。

これは"決して"悲しいことではなくて、社会人になったら友達と予定を合わせるのは難しいのだ。(決して、そうだ決して悲しくなんてないぞ)

ただ飲む機会が減ったことによって、気づいたこともある。

それはお酒がないと、ご飯本体にかけるお金が増えるということ。(当たり前なことをすごいことに気づいた風に言うな)


まず居酒屋さんに入ると、お通し代が取られるし、場所によっては席代なんかも取られる。

そしていざ本題のお酒を飲もうとすると、一杯五百円くらいかかるし、"それに合うおつまみ"も何品か頼む。

さらに酔いが回りもう一杯お酒を注文し、"それに合うおつまみ"を追加で頼んだり、またはお店を変えて仕切り直しでお酒を飲み、"それに合うおつまみ"を頼む。

なんだかんだ"それに合うおつまみ"がいいジャブを打っていて、致命傷にはならない程度にダメージを食らう。

最後は"締めのラーメン"という右ストレートが決まり、完全にノックアウトである。


一方お酒を飲まないと、一品で満足してお腹が満たされることも多いので、その一品にお金をかけることができるし、もしくは浮いたお金を次のご飯代に回すこともできる。

お酒を飲んで五千円を使うより、お酒を飲まずにちょっと背伸びしたご飯屋さんで五千円を使うのが"最近の自分"である。

なんか大人っぽくていいんじゃないですか。


よーし、これで"飲みに行く友達が減った"ことに対する正当化はできただろう。

あとあなた、「最近の自分」とか「今の気分」とか使いすぎだよ。

そうなんです、

これらの言葉を使うのが、最近の気分である。(殴りたい)





汝、星のごとく

「わたしは愛する男のために人生を誤りたい」

凪良ゆうさんの「汝、星のごとく」という小説の帯に書かれていた言葉である。

なんてインパクトのある言葉。

おそらく人生を誤りたい人なんていないと思うし、さらに"自分のために"ではなく、"愛する男のために"という、なんと形容していいのかわからないくらいぼくには難しい言葉だった。

本当は読んだ後にこの意味がわかった!と書きたいところだけど、読んだ後もそこまでわからなかった。

きっと自分が経験したことのない背景を持った登場人物だったからだろう。


"ヤングケアラー"

この小説に出てくる男女の主人公の共通点である。

ヤングケアラーとは、本来"大人"が担うと想定されている家事や家族の世話を日常的に行なっている子どものこと。

勉強したり、部活をしたり、将来のことを考えたり、友達との他愛のない時間だったりする「子どもとしての時間」が、家事や家族の世話と引き換えになっている状態のことらしい。(参考:厚生労働省HP)


ぼくはこの小説を読んで初めてこの言葉を知ったし、実際にそのような子どもたちがいることも恥ずかしながらそこで知った。

これに関しては、色んな方面から色んな意見があり、これだ!というの難しいことだと思うけど、この小説の話だけに限ったことをいうと、ぼくは子ども側に共感することが多かった。

子どもの頃に自分が何かやりたい!ってなった時、それができなくなる要因に家族が含まれてくると、やるせない気持ちになる。

「子どもは遊ぶのが仕事」

という言葉がある通り、子どもは子どもの時にしかできない"遊び"をやってほしいと思う。

だって一般的に"大人"という分類に入っているぼくでさえも、自分のことだけで精一杯なのだから。

それよりも若い子たちが、家事やお世話などをやらなければいけないのは、すごく悔しくもあり、悲しくもあり、どこに感情をぶつけていいのかわからなくなる。

それこそ以前書いた"SNS関連の話"になってしまうが、色々な人たちの生活が見えすぎてしまうがために、自分と他者を比較して、「なんで自分はこうなんだ」とぼくだったら思ってしまう。


何かやりたいと思った時にやれる環境

何か手にしたいと思った時に動ける環境

それが決して当たり前なことでないと気づけた小説だった。


きっとこの小説は年齢層によって、見方が変わってくるのではないかと思う。

子ども目線で見る人と、親目線で見る人。

いまぼくは立場的に子ども目線で見ていたが、いつか親という立場になってこの本を読んだ時、どのような気持ちで読めるようになっているのか。

本って、年齢を重ねた後に読み返すと違った感情になれるのも醍醐味な気もする。

「兆楽」という中華屋さん
このエビチリが絶品すぎる🦐
渋谷にある店です〜

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