君が手にするはずだった黄金について
雨
雨上がりが好きになった。
晴れている時よりも、空気が少し澄んだあの感じ。
地面に水溜りができているあの感じ。
木の葉っぱから水滴で落ちてくるあの感じ。
"あの感じ"が好きだと思えるようになり、大人になったと感じる反面、そんなことを思う"キザさ"にまだ自分が慣れていない。
雨がなければ、晴れが好きという感情にもなれないし、
雨がなければ、虹を見ることもできない。
雨がなければ、雨上がりが好きという言葉も存在しない。
雨って嫌われがちな存在だけど、きっと雨がなければ何か物足りない日常になっているだろう。
ハンバーグの中の玉ねぎ
おでんの中のこんにゃく
麻婆豆腐の中の片栗粉
雨ってそんな感じ。(どんな感じ?)
*
承認欲求のなれ果て
ぼくは小説を買う時、基本的に単行本では買わず、文庫版が発売されるのを待つタイプの人間である。
片手で読みやすいし、外に持ち運んでも嵩張らないし、何よりも安い。
自分の本棚を覗いても、80%くらいは文庫版が占めていて、残りの20%はエッセイと"文庫版になるまで待てなかった単行本"が並べられている。
なので、文庫版になるまで待てなかった単行本というのは、ぼくの中ではとても貴重で、「表紙・タイトル・装丁・レビュー」全てに惹かれた場合に買う存在である。
「走・攻・守」三拍子が揃っているところに加え、ピッチャーもできる"大谷翔平"といったところだろうか。
今は肘の手術を受けてピッチャーできないけど。(やけに詳しい)
そんなスーパースター"大谷翔平"をたまたま行った本屋さんで見つけた。
「君が手にするはずだった黄金について」
小川哲さんという方が書かれている小説である。
「他の本に比べて、この本だけ光っていた」
というまじでおもしろくない冗談はさておき、ちゃんと色んな本を吟味して、ちゃんと30分くらい悩んで購入した。
今回は特に、装丁に書かれている言葉が買う決め手となった。
「認められたくて必死だったあいつを、お前は笑えるの?」
こういう人間の奥底の真理というか、裏側というか、自分でも気づきたくない事実というか、そんな生々しい話が最近は好きなのだ。
この小説は連作短編集になっていて、一貫してテーマが"承認欲求"というものになっている。
承認欲求ってここ最近すごく聞くようになってきていて、
三大欲求である「食欲・性欲・睡眠欲」に食い込んできていると聞いたことあるくらい話題な存在だと思う。
そもそも承認欲求というのは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認められたい」という欲のことである。
人間という生き物は、おそらくみんな承認欲求を持っているとぼくは思っている。
勉強してテストの点数が上がったから褒めてもらいたい
仕事で成果が出たから「仕事できるね」と言われたい
褒めてもらいたい、言われたいからやっているわけではないけど、きっとこれらに少しは期待している自分がいるような気もする。
元々あったこの欲が、最近よく言われる要因として、"SNSの発達"によるものが大きいと思う。
SNSというのは良くも悪くも、色んな人の生活が見える。
友達や職場の人といった身近な存在から
芸能人やインフルエンサーの人といった少し遠い存在まで
あらゆる人の"日常であろうもの"が簡単に見えるようになった。
"日常であろうもの"と書いたが、SNSというのはそういうものだとぼくは思っている。
というのも、SNSをやっている人ならわかる人もいると思うが、SNSで写真を投稿するものって"自分を良く見せよう"としているものが多い。
「〇〇さんと△△へ行った〜」と楽しそうな様子を載せたり
「〇〇を買った〜」と、高貴なものを載せたり
「〇〇に行った〜」と、海外や高級ホテルを載せたり
今では指一本ですぐに周りの人へ知らせることができる。
それらに「いいね」が集まっていると、自分もそういう存在になって人から認められたいといったように、
承認欲求が"昔よりも手軽に"高くなる機会が多くなってしまったと感じる。
ただその人にとっての"日常"がそれであるなら問題ないが、そうではないこともあるので、怖いな〜と思って生きているぼくです。
承認欲求を満たすため、誰かを憧れ追いかけた先に、君が手にしたかった"黄金"はあるのだろうか。
SNSでお金持ちっぽいあの人は、レンタル商品を借りてでできているかもしれない。
SNSで一緒に遊んでいるところを載せているあの人は、スクールカーストが上だと思われたいから仲良くしているだけかもしれない。
何が嘘で、何が本当なのか。
答えはSNSにあるのか。
さてと、"これから"この本を読み始めますか。
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