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列だらけの世界

ぼくにとってのコーヒー

コーヒーを飲むと落ち着く。

「なんでなんだろう」

今日はそんな"くだらないこと"について考えてみたい。


例えば、

麦茶

炭酸水

これらを飲んでも落ち着くという感情にはならない。

どちらかといえば、

喉が渇いた時に飲みたくなるものなので、元気が出るというか、生き返ったという感情に近い。


逆に、

コーヒー

紅茶

白湯(はちみつ入りに限る)

これらを飲んだ時、ホッとした感覚になり、思わず上を向いて息を吸って吐きたくなる。

今日も一日頑張るぞ!とか

ちょっと一息入れるか〜とか

今日も一日お疲れ様〜など

日常にある"句読点"みたいな存在で、不思議と心が落ち着く。


では、

水や麦茶などの飲み物と、コーヒーや紅茶などの飲み物は何が違うのか。

それは言うまでもなく、

"温度"である。

温かいというのは、それだけで落ち着くのだ。(飲み物に限った話ではなく)

あとは、なんとなく温かい飲み物の方が大人っぽい。

冷たい炭酸飲料などは、若者のイメージで、

温かいコーヒーなどは、大人のイメージである。

大人っぽい=落ち着いている

この結びつきがぼくの中にあるため、飲んだ時に落ち着くのだろう。

まぁ自分が思っているよりも、大人って大人じゃないし、落ち着いているように見せるのが上手いだけなんだけど。(急)



列だらけの世界

「なんだろうこの感覚は」

本を読み終わった後、素直にそんなことを思った。

どこか気持ち悪いような

背中の痒い所に手が届くような

そもそも痒いんだっけ?というような

どの言葉で表現してもしっくりこないような

中村文則さんの「列」からそんなことを感じた。


ざっくりと内容を説明すると、

ある男が奇妙な「列」に並んでいる話で、

いつからその「列」にいるのか、なぜその「列」に並んでいるのかわからなく、「列」の始まりも最後尾も見えない状態で並んでいる。

"この「列」は何なのか"

そんなことを問いかけている作品となっている。


ぼくが「列」と聞いてパッと浮かんだものは、

人気店のご飯を食べるために並ぶ「列」

何かのアトラクションに乗るために並ぶ「列」

である。

これらの「列」というのは、自分の意思で並んでいる「列」であり、並んだ先に何があるのかわかっている「列」である。

この「列」に並べば、食べたいご飯が食べれるし、

この「列」に並べば、乗りたいアトラクションに乗ることができる。


しかし、この本に出てきている「列」というのは、自分の意思で並んでいるかわからないし、並んだ先に何が待っているのかわからない「列」である。

どんな「列」かというと、

"競争"や"比較"

という「列」である。

これらの「列」は自分の意思とは関係ないところで並んでいることが多く、勝手に並んでいることも少なくない。

受験となれば、合格するための「列」があるし、

就職となれば、内定するための「列」があるし、

社会人となれば、出世するための「列」がある。


「いや、ぼくはそこそこでいいです」

「わたしはそんなに望んでないです」

など、自分が今並んでいる「列」から抜けようとする人もいると思うけど、その「列」を抜けたとしても、今度はまた別の「列」に並ぶことになる。

ゆとりを求めるならば、ゆとりのレベルの「列」

心の平安を求めるならば、心の平安のレベルの「列」

そうやって人間は、ずっと「列」に並ばされているらしい。

たしかに"競争"や"比較"という「列」があちらこちらに存在していることはわかっていたけど、そこを抜け出したところで、また別の「列」があるという当たり前なことに気付かされた。


書いてて気持ち悪くなってきたので、最後にうま飯でも置いておきます。

人形町にある「駄目な隣人」
というラーメン🏃‍♂️
見た目から完璧ですね〜

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