列だらけの世界
ぼくにとってのコーヒー
コーヒーを飲むと落ち着く。
「なんでなんだろう」
今日はそんな"くだらないこと"について考えてみたい。
例えば、
水
麦茶
炭酸水
これらを飲んでも落ち着くという感情にはならない。
どちらかといえば、
喉が渇いた時に飲みたくなるものなので、元気が出るというか、生き返ったという感情に近い。
逆に、
コーヒー
紅茶
白湯(はちみつ入りに限る)
これらを飲んだ時、ホッとした感覚になり、思わず上を向いて息を吸って吐きたくなる。
今日も一日頑張るぞ!とか
ちょっと一息入れるか〜とか
今日も一日お疲れ様〜など
日常にある"句読点"みたいな存在で、不思議と心が落ち着く。
では、
水や麦茶などの飲み物と、コーヒーや紅茶などの飲み物は何が違うのか。
それは言うまでもなく、
"温度"である。
温かいというのは、それだけで落ち着くのだ。(飲み物に限った話ではなく)
あとは、なんとなく温かい飲み物の方が大人っぽい。
冷たい炭酸飲料などは、若者のイメージで、
温かいコーヒーなどは、大人のイメージである。
大人っぽい=落ち着いている
この結びつきがぼくの中にあるため、飲んだ時に落ち着くのだろう。
まぁ自分が思っているよりも、大人って大人じゃないし、落ち着いているように見せるのが上手いだけなんだけど。(急)
*
列だらけの世界
「なんだろうこの感覚は」
本を読み終わった後、素直にそんなことを思った。
どこか気持ち悪いような
背中の痒い所に手が届くような
そもそも痒いんだっけ?というような
どの言葉で表現してもしっくりこないような
中村文則さんの「列」からそんなことを感じた。
ざっくりと内容を説明すると、
ある男が奇妙な「列」に並んでいる話で、
いつからその「列」にいるのか、なぜその「列」に並んでいるのかわからなく、「列」の始まりも最後尾も見えない状態で並んでいる。
"この「列」は何なのか"
そんなことを問いかけている作品となっている。
ぼくが「列」と聞いてパッと浮かんだものは、
人気店のご飯を食べるために並ぶ「列」
何かのアトラクションに乗るために並ぶ「列」
である。
これらの「列」というのは、自分の意思で並んでいる「列」であり、並んだ先に何があるのかわかっている「列」である。
この「列」に並べば、食べたいご飯が食べれるし、
この「列」に並べば、乗りたいアトラクションに乗ることができる。
しかし、この本に出てきている「列」というのは、自分の意思で並んでいるかわからないし、並んだ先に何が待っているのかわからない「列」である。
どんな「列」かというと、
"競争"や"比較"
という「列」である。
これらの「列」は自分の意思とは関係ないところで並んでいることが多く、勝手に並んでいることも少なくない。
受験となれば、合格するための「列」があるし、
就職となれば、内定するための「列」があるし、
社会人となれば、出世するための「列」がある。
「いや、ぼくはそこそこでいいです」
「わたしはそんなに望んでないです」
など、自分が今並んでいる「列」から抜けようとする人もいると思うけど、その「列」を抜けたとしても、今度はまた別の「列」に並ぶことになる。
ゆとりを求めるならば、ゆとりのレベルの「列」
心の平安を求めるならば、心の平安のレベルの「列」
そうやって人間は、ずっと「列」に並ばされているらしい。
たしかに"競争"や"比較"という「列」があちらこちらに存在していることはわかっていたけど、そこを抜け出したところで、また別の「列」があるという当たり前なことに気付かされた。
書いてて気持ち悪くなってきたので、最後にうま飯でも置いておきます。
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