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日本人の栄光、その影にある虚無(サンパウロ日本人街/ブラジル) 

2023年11月14日、世界一周旅行の幕が上がる。
南米に始まりじわじわと日本に近づいていく魂胆。
パートナーと共にだいたい3年ほどかけて巡るつもり。
旅情80%ぐらいのかんじで緩く書いてまいります。

ブラジル滞在6日目。
昨日に続き今日もサンパウロを楽しむ。
日本人街地区でラーメンを食べ、ブラジル日本移民資料館で歴史に少し感情移入した話。

今日もパートナーの同僚であるブラジル人のセルジオと
セルジオのパートナーのセリアが宿まで迎えに来てくれた。

治安の悪いサンパウロ、来るか迷ったけれどセルジオがいるならと訪れた。
昨日初めてセルジオと会った時、セルジオのTシャツには「無責任」と書かれてあって椅子から転げ落ちる描写が脳内再生された。
今日はどんなお茶目を見せてくれるのかと少し期待したが着てきたのはは無地のTシャツだった。ちょっとザンネン。
前日の記事はこちら↓


今日も日本人街があるリベルダーデ地区へ。
ランチにラーメンを食べた。

一幸舎

九州に多く展開している店らしい。
パートナーはジロウインスパイアという二郎系を注文。
わたしはお肉は苦手なのでヴィーガンラーメン。あとベジ餃子も。

ジロウインスパイア
横に置いてあるだけで臭かった(もっと臭いほうが良いって言ってた)
野菜出汁、醤油ベースのヴィーガンラーメン

おいしかった。久しぶりのラーメン。
日本でヴィーガンラーメンに出会うことはなかったので1年以上前、オーストラリアで食べたときぶり。
醤油としいたけの香りがする出汁が美味しかった。日本を思い出す。
それに汁をすすれるという嬉しさが凄まじかった。
パスタやスープでは満たせない喜びがじんわり染み渡る。
汁をすすりながら食べる美味しさってこんなにも幸せなんだ。
日本人、やはり汁だくの民。心が満たされた。

ランチのあとはブラジル日本移民資料館へ。
ブラジルは世界一日本人の移民が多い。
現在の日系ブラジル人の若者は両親は日本人だけどブラジルで生まれ、育ち、日本語や日本の文化を知らないという人がほとんど。
おじいちゃんやおばあちゃんが日本人という人も多い。案内してくれたセルジオやセリアもその一人だ。

ビル3階分の充実した展示内容

移民数をグラフで表す年表をみると日本に住んでられないぐらい貧しく、どうしようもない時期があったのがわかる。
旅の中、アルゼンチンの不安定すぎる財政やボリビアの貧困を目の当たりにしたが、日本にもそんな時期があったんだなと思った。
日本が恵まれない時代もあったこと、教科書では知っていたけど初めて実感した。

移民数が増えているところは世界恐慌
全くいないところは世界対戦

1950年に9年ぶりにブラジル移住したたった1人の日本人が勇者だと思う。
過去行ったっきり誰も戻っておらず、そして戦争後なので情報は希薄だろう。
この人は完全にその時代の先駆者だ。格好いい。

これは日本移民が住んでいた家を再現した展示物。
ジャングルの中の小屋みたいな住居に日本の日用品や神棚があるのがおもしろい。

ジャングル日本風味
神棚
桶やお重があるもの面白い

貧しくて日本に居れず一家をあげて思い切ってブラジルに移住したのに、奴隷が住んでいた家を当てがわれその不衛生さにショックを受けたと資料に書いてあった。
アマゾンの方には危険な虫や動物がたくさんいる。
そして致命的な病気も蔓延したらしい。
過酷な暮らしだったと思う。
南米旅の中、汚いバスルームやグロテスクな虫に衝撃を受けたけれどその比じゃないだろう。
しかし当時の日本人は慣れない暮らしの中で畑を耕して必死で工夫を凝らして仕事して、日本人コミュニティを築いたらしい。
日本語の新聞を発行したり次世代のために学校を作ったりといった展示がされていた。

異国でいちから自国のコミュニティを作るって、考えられない。すごいパワーだ。
それもすべていつか日本に帰るためだという。

当時、ブラジルに来たはいいが過酷な環境で低賃金、日本に帰るお金もなく本当に大変な思いをしただろう。
それが母国への愛、一筋の光のみを頼りに日本人コミュニティを耕したのだからこれは日本の栄光だと思う。
歴史的に見たらサクセスストーリーに感じるが、最悪の時代を生き抜き、そしてそのまま亡くなっていった世代もいる。
そして第二次世界大戦、日本の敗戦をしばらく信じてない人たちもたくさん居たらしい。
栄光の影には果てしない虚しさがある。
教科書だけじゃわからないってこうゆうことだ。
実際にその時代に行って目で見たわけじゃないけれど少し感情移入した。
現地で丁寧に展示物を見ているとそれがただ過去にあった出来事にしてはやけに距離が近く思える。

日本人移民の生活が安定してきてからは絵を描いたり詩を読んだりする人もいたそう。
あとはスポーツの大会とかも開かれていたみたい。
文化を共有できるって素晴らしい。
その流れで展示の最後にブラジルで人気のジャパニーズポップカルチャーとしてアニメとか戦隊モノのフィギュアとかが展示されていた。

ドラゴンボールが表紙の時代のジャンプ。いい資料。

かつて、第二次世界大戦でブラジルと日本は敵同士となった。
日本人移民は母国の愛を胸に懸命に働いていたがその産業が武器や軍服などに使われる素材だったりして、自ら労働放棄するものがいたり同じ日本人だけど反対して工場や畑に反対運動する者もいたそう。

混沌とした対立があったのちの私たちの世代。
正直、生きていてその歴史を感じる瞬間なんてそうそうない。

この街には日本の食品が売っているスーパーやすき家、ダイソーなどがある。
経営しているのはかつてブラジルで力戦奮闘した先駆者の子供や孫だろう。
文化は異民族を繋ぐ架け橋、平和への大きな一歩。
私たちにもできることいっぱいあるんじゃないのかなあ。
カルチャーに自信を持つべきだ。
平和のために、なんてそんな大それたこと言えないけど。



プロフィール:

1996年、サブカルインドア人間として大阪にて誕生。
服飾専門学校卒業後テキスタイルデザイナーを務めるが都会的な暮らしや流行に嫌気がさし退職。
2021年、沖縄県の宮古島に移住。
趣味だったハンドメイドウィービングや料理の仕事に就く傍ら、フリーダビングにはまり毎日海で泳ぐ。
さらなる自然への興味と世界を深く解釈したい欲が矢を放ち、世界を駆ける。
ラジオとゲーム実況が好き。

良ければインスタグラムも覗いてみてください。
https://www.instagram.com/_maryo.san_


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