自分に誇れる自分であれ。
頑張りたいときには、「オワリはじまり」を聴く
昔から、自家発電機を満タンにしたいときに、くり返し聴く曲があります。
かりゆし58さんの、「オワリはじまり」。
発売当時はあまり知らなかったけど、あるとき聴いたときに、胸にガツンときた曲。
それ以来、自分自身を鼓舞したいときに必ず聴く「げんきプレイリスト」の、いちばん最初の曲です。
好きなのは、冒頭とサビに繰り返し出てくる、歌詞。
もうすぐ今日が終わる
やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい
燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
この歌詞が脳裏に流れこんでくると、自分自身に問いかけずには、いられなくなります。
「今日、わたしは、胸を張って終われる?」
いちばん守りたいのは、自分自身との、やくそく。
自分がいちばん落ち込むときって、どんなときですか?
わたしは、自分に対して嘘があったときです。
言動が伴わないときもそうですが、「これでいい」と、自分自身を承認することが、できないとき。
「自分に胸を張れる自分」で、いなかったときです。
例えば、
自分との約束を、守れない自分。
わたしは「7つの習慣」が好きで、ここ5年くらい、第3の習慣をもとに、目標やタスクをスケジューリングしています。
ところが、自分がたてたはずの目標を守れなかったり、あるいは、たった数日前の自分を軽んじるような、日々の過ごし方をしてしまったとき。
自分はなんてダメダメなんだろう、と、この世の終わりくらい落ち込みます。
(悲しいことに、ほぼ毎週です。)
このことを、なぜいま、こうやってnoteに書いているのかというと。
最近の自分が、まさにこの通りで、自分自身に、喝を入れたかったからです。
今、自分と決めた約束を、ちゃんと守れてる?
今、自分自身に胸を張れる?
このところ、漠然と、地に足がついていない感じがしていました。
なんとなく、本来見るべきものと違うものを見ている、感覚。
少しずつ、何かズレてきてるな、と。
今日、たまたま、以前使っていたTwitterアカウントを開き、その瞬間に、ハッとしたんです。
そこには、自分に真摯に向き合っていた、自分の姿がありました。
膝の怪我の、やり直しとなる2度目の手術を受け、夢と現実との葛藤で、一番苦しかったとき。
仕事でひとつ大きな壁に立ち向かっていたとき。
まわりから、「頑張ることを、もう少しやめたほうがいい」と言われ続けていたけれど、自分に向き合い、日々、まっすぐに過ごしている実感があった。
自分に対して、胸を張れてる実感があった。
そんな毎日を送る、わたしの言葉が、並んでいました。
今考えても、めちゃくちゃ苦しかったはずなのに、悲観するでもなく、理想を連ねるわけでもなく、ただただ真摯に、自分に対する「約束」と「問いかけ」が、並べてありました。
それを見て、思い出しました。
本来見るべきものは、真摯に、着々と、日々を重ねていく自分自身の姿であったこと。
知っている。覚えている。
自分に誇れる自分であれ。
どんなに他人を想ったとしても、まず、自分が「あるべき姿」でなければ、誇りをもって接することはできません。
今、わたしは、大切にやり遂げていきたいことがある。
これから、幸せにしていきたい人たちもいる。
このnoteは、これから毎日手渡す、自分への、約束の手紙。
そう思って書きました。
明日のわたしへ。
「今日、胸を張って、終われる?」
あのころ心に刻んでいた、大好きな歌詞を、胸にやきつけていこう。
もうすぐ今日が終わる
やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい
燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
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