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人に気を遣う癖が抜けない。

とにかく昔から、人に気を遣う。

気を遣うだけではなく、気を遣わせてしまう。

先日も楽しい仕事関係の会食があり嬉しかったのに、気遣いが限界まで達し、早々と撤退した。

そういう時、私は、考えてることが2つある。

ひとつは、大人になると「人見知りです」という印籠をかざしても、どうにかしてその場をやり過ごさなければならない瞬間がありすぎるということ。

もうひとつは、たしかに人見知りだが、一方では社会的ペルソナもある程度育ってきちゃっているので、ヨソから見れば、普通に会話が出来てしまっているということ。

だから、「大木さんはコミュニケーションがお上手ですねぇ〜」なんて言われる。

その人は、本当の私のことが見えていない。

その人が悪いのではなく、コミュニケーションが苦手なのに、得意ぶっている自分に責任がある。

でも、近頃、ふとこんなことを思った。

もしかしたら人は、自分がコンプレックスを感じているところに自分の魅力を感じてくれており、そこを「アンタ、いいね」と思ってくれているのかもしれないと。

その逆も然り。

自分が「自分にはこんなにいいところがあります!」と推している部分は、見え透いて、ほんとは全然、長所じゃないのかもしれないと。

もしも、そうだとしたら、恥ずかしい。

自分が「社会的大人」をこなすために演じている部分は人様にお見通しで、自分が隠したいゴミのような部分を、人は面白がってくれているのかもしれない。

そう思わせてくれたのは、親友の言葉がきっかけだった。

「アキコが隠したいと思っているところのほうが、本当は、ずっと面白いよ」

彼女は、そう言ってくれた。

恥ずかしくて、恥ずかしくて、隠れたくなった。

今まで「普通の大人」を演じるために続けていた不断の努力は水の泡かよ、と思った。

一方、その言葉を聞いてから私は、自分が隠したいと思っているところは長所になりえると知り、少しだけ幸せな気持ちになった。


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