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職業肩書でなく「青木真也の表現」な話

先週日曜日は「プロレス」の試合をしていました。もう1週間が経ちます。世の中的にプロレスをしていたかと言われればプロレスをしていたんだろうけど、僕の中では「青木真也をプロレスで表現した」のであって、深層ではプロレスをしていたとは思っていません。これは格闘技戦にも同じことで「青木真也が格闘技で表現した」のであって、格闘技戦をしたかと言われると首を傾げて苦い顔になります。言われてる事はごもっともで間違ってないんですけど、ちょっと違うんだよなって青木真也のアレです。わかります。面倒ですよね。

僕は格闘家でもないしプロレスラーでもなくて、今後もどちらになる気もありません。格闘技もプロレスの試合もするけど、格闘家でもプロレスラーでもないと言えば、「また青木が面倒なことを言っている」と言われるのは重々承知ですが、それが僕の本当の感覚なのです。格闘技もプロレスも文章も喋りも格闘代理戦争も全てひっくるめて「青木真也の表現」で「仕事」です。その意味では絶対的な自分業を展開しています。

こんなことを書いたのも格闘技の試合が減って、選手生活の終盤を迎えるタイミングになると皆が気になるのは今後で、「プロレスをやって行くんですか?」と聞かれることがありました。そこで僕が思ったのは青木真也の表現をプロレスでしているのであって、僕にプロレスに軸足が出来てしまうと表現として個性や異物感を失って没個性になるだろうと思いました。僕が一般的な普通のプロレスをしたとき、その他大勢となって価値がなくなるのはよくわかっております。プロレス格闘技に限った話ではないとは思いますが、上手くなって行くのは没個性でもあって、上手くなっても隠せない個性とか凄みが大事なのです。歪さや粗さ下手さが見方を変えれば個性に変わったりするから面白いのです。

格闘技のほうはとりあえずONEとの一年契約更新を希望していて、契約合意で一年が経ったとして、その後どうなるかはわからないけれど、青木真也の表現を形や場所を都度変えてやって行くのだろうと思います。存在して生きていくことが表現だとするとなんだか凄い領域に入ってきたような気もがしています。ONEで表現していくにあたっての制限というか、ルールが違う感を話せば話すたびに感じています。ONEは資本主義の論理を当てはめることで競争と成長をさせていくスタイルです。この構造に関しては「流石チャトリ」で、ボーナス制度などのルールセットを作ることで競争と成長の流れを作り出すことに成功していると思います。これは資本主義の人チャトリは流石だと思います。

チャトリと話しているとエネルギッシュで常に成長を目指す姿勢に圧倒されます。僕のチャンピオンシップを目指さないとか、有名にならなくて良いとか、自分がほしいぶんのお金があれば良いとする価値観は言葉として入ってきても、理解が追いつかずにいつも不思議な顔をしています。それでも変わった奴だと思って、否定せずに置いておいてくれるのは感謝しかないです。彼とはあと一年競争をしたところで向き合い方が変えられるといいと思っています。彼とは元々は友達でコーチの関係だったのですが、友達とコーチの関係が一番楽しかった2人の関係だから、団体の社長と選手の関係を早く終えたい気持ちが強いです。そのほうが絶対に仲良く楽しくできると思っているのはお互い一緒なんじゃないかと思います。友達と商売の話をするのはそれはそれで苦しいものです。まあそれはそれとして。

この記事を書いているのは静岡のスタバなのですが、昨年から仕事のない週末は静岡にいるようにしていて、二拠点生活か東京から拠点を移すのを本格的に視野に入れ始めました。練習とコンディショニングの都合を見て、静岡だけでなく地方都市に滞在する生活を一月の試合が終わったらしようと考えていたので、その生活になってきたような気がします。ジムのような根を張る商売は今後も持たないようにしようと考えているので、世界各国日本全国どこにでも気が向いたときに行くような生活をしようと思っています。

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