掟と真実 〜ガリレオ・ガリレイに捧ぐ〜 ③

一五八五年 十月 フィレンツェ ガリレオ 21歳


結局、大学を中退し、フィレンツェに帰る事にした。貧しいガリレオ家にこれ以上負担を掛けさせる訳にはいかないというのも理由だったが、同じくフィレンツェに居る、リッチ先生の助手として数学をもっと学びたいというのが本音であった。当然両親は反対した。

父親は言った。

「途中で辞めるというのが一番無駄なんだぞ。一体何の為にお前に金を掛けてきたか分からんじゃないか!」

母親も言った。

「立派なお医者さんになって、みんなを支えてくれると思っていたのに…」

散々小言を言われた。両親の言う事は至極当然だ。だが、無理なものは無理なのだ。

両親に理由を説明する。ガリレオは自分の体験した大学での三年間の事を色々話した。そして、数学と、オスティリオ・リッチ先生との出会い。そして振り子の等時性の発見について語った。熱を込めて生き生きと語る我が子を見て、両親もやれやれと納得するより無かった。

父は尋ねた。

「…まあ、お前の人生だから結局はお前が決めるしかない訳だが、大丈夫なんだな?」

「はい。期待に添えなくてすいません」

それは、どこの家庭でもある普通の光景であった。いつの時代でも、親は我が子を大切に思うからこその小言であり、反対である。それでも最後には納得してくれ、そして大切に思ってくれている家族にガリレオは感謝していた。


夜、決まって来ている丘で寝そべって空を眺める。秋の澄んだ空気と虫の音が妙に心地よく、静かに思い巡らしていた。

“教えられるだけが学問ではない、自らが答えを探すのが学ぶという事”

大学で学んだものといえば、これだけといっても過言では無かった。だが、そのたった一つを確信出来たのはガリレオにとって何より大きな収穫だった。大学卒業の資格は得られなかったが、大学に行かなかったとしたら新たな発見や出会いは無かった訳で、結果的にピサ大学で得たものは非常に大きかったといえた。
行き場の無いギラギラした自身の感覚を消耗する事の出来るどこまでも“透き通った闇”という自分の生息する場所も見つかった。

「さてと…」起き上がり呟いた。

夜空と同化して透き通っていく感覚が冴え渡るこの時が、ガリレオにはたまらない時間だった。


フィレンツェに戻ってからは、忙しい日々を送っていた。とはいえその忙しさは、単純に生活費を稼ぐために忙しいという訳ではなく、リッチに師事し更に数学を学んでいた為のものであり、生活の充実度はピサ大学時代よりも高いと実感していた。
ガリレオは主に数学の家庭教師をして収入を得ていた。そしてリッチも働き口を紹介してくれた。ただ学問を教えるだけではなく、リッチには研究者の先輩としての金銭的な配慮もあったのである。“数学は金にならない”という事実を良く分かっていたから出来る配慮であった。

(こうした研究を続ける為には、外堀から埋める必要がある。それに気付いた者だけが学者として生き残れるといっても過言ではないのかもしれない)

だがガリレオはこうも思った。

(確かに数学は金にならないけど、金も掛からないよな)

それが妙に嬉しかった。そして、ガリレオは自覚していた。

(大学を辞めたのは、人から教えられる為の人生を歩む為じゃない。自分自身が学ぶ為だ。その覚悟なんだ。透明な黒、その透明度を上げる。これが俺の人生なんだ)

その姿は以前の無気力な流れのままに生きる学生ではなかった。未熟ではあったが、そこに居たのは既に“学者”であった。


そんな日々を送っていた蒸し暑いある日、彼の家にリッチが訪ねて来た。いつもはガリレオがリッチの研究室に行くのがほとんどであったので、珍しい事といえた。他愛も無い話をした後、突然リッチは、こう切り出してきた。

「ガリレオ、君はピサ大学に戻る気はないか?」

「先生、何をおっしゃるんですか?今更戻って何やれって言うんですか?」

「ピサ大学の数学講師に欠員が出たという知らせがあったのだが、君が講師として赴任する気は無いかな?と思って実は今日は君を訪ねてきたんだが」

「へ?私が講師ですか?」

「そうだ」

「ちょっと、その、えーっと、あのピサ大学ですか?」

「不満か?」

「いや、不満って訳じゃないんですが…」

「丁度良いと思うんだよ。我々研究者は、講師として収入を得る道を確保しないと生活出来ないのは君も良く分かっているだろう?家庭教師も、大学教師も原理は同じだよ。教える事に変わりはないんだから。君の思った通りに教えてみなさい、きっと上手く出来る!慣れ親しんだピサ大学だ、尚更だろ?」

少し考えてガリレオは答えた。

「はい。それでは、やってみます。ありがとうございます」

「ああ、一つだけ提案しておくが、髭を生やして行くといいぞ」

「髭…ですか?」

「ああ、そうだ。教授ってのは実は、何でもないんだよ。しかし、生徒達にとっては、それなりには、大きな存在なんだ。だから、それっぽく見えるように威厳ある風貌でいないといかん」

「はあ、そんなもんですか…」

「そういうなんでも無いような事でも、周囲をプラスに運ぶ材料になるんだよ。覚えておきなさい」



一五八九年 四月 ピサ ガリレオ25歳


ピサ大学の数学講師に就任する事になった。久しぶりのピサの街。数年前まで居た街なのに懐かしく感じる。

(懐かしく感じるっていうのは、あれからの生活が充実していたって事なのかな?)

と感じながら、校舎に入る。今度は生徒ではなく講師としてだ。不思議な気持ちに包まれていた。

(教える項目は一つしかないよな。俺は俺の信じる事実を伝えるだけだ!)

見慣れた校舎の廊下を歩き、部屋に入り、教職員達に挨拶をする。知った顔の教授達も居た。

“教授ってのは何でも無い”と言うリッチの言葉を思い出した。確かにそうだなとガリレオは改めて感じていた。

大げさに言えば、“世紀の発見!振り子の等時性を発見した天才ガリレオ・ガリレイ”である。

だが、実際はマルツェッロとの酒場での話と、そこに居た姉さんが持ってきた紐と玉ねぎなのだ。何だか笑えた。


いよいよ最初の授業だ。教室に入り、挨拶をした。

「諸君、私がこの度この学校に数学講師として赴任した、ガリレオ・ガリレイである私が君たちに伝えるのは一つだけだ。それは“発見”するという事教科書を読む、そしてそれを信じる。だが私は君たちに尋ねたい。何でそれが学習なんだ?」

ガリレオは自身の研究を伝えるが、同時に自分がこの大学で学んでいた時に感じたフラストレーションの全てをぶつけてやろう!と考えていた。きっと同じ思いを感じる生徒はいるはずだ。そう確信していた。

「教科書っていうのは何だと思う?」

生徒は答えた。「やはり教科書を元に研究するのが学ぶっていう事になるのではないでしょうか?」

「そこだ!そこがおかしいと思わないか?教科書は誰が書いた?」

「誰といわれましても…。権威ある方々が書かれたのではないでしょうか?」

「その通り!誰かが研究した課題を、さも真実のように書いてある。だが、君はその研究を確かめたいと思わないか?」

「人がやった研究をもう一度やるのですか?」

「そうだ!」

「それって無駄のように思うのですが…」

「どうしてそう思う?何で無駄なんだ?人が提出した答えでも、自分の手でもう一度確証する。これが本当に理解するという意味だと私は信じている。私は君たちにその事実を伝える為にこの学校に赴任した」

生徒達は思った

(…結局それが何になるんだ?面倒な。)

ガリレオはその生徒達の気持ちを読んで答えた。

「結局何になるんだ?と思う者がほとんどだろう。何になるんだ?と問われれば、真実を知ったと答える以外には無いな。そして、真実ってのは自分の眼で確かめるという以外に方法は無いという事を君達に覚えておいて頂きたい」

ふてくされた生徒が答えた。

「自分の眼で見るって、先生それじゃ、何でもいいから私に見せてくださいよ」

こういう生徒はどこの時代にも居るものだ。だが、数年前まで自分もその最たる者だったという自負を持つガリレオには彼が可愛く思えた。

「よし!わかった。だが、明日まで待ってくれ。実験用具を持ってくる」

生徒達とそう約束し、その日は簡単な基礎的な数学理論を教えた。

そして、授業が終わると自宅に戻り、実験用具を準備した。準備したといっても、たいしたものではない。五キロの大砲の弾を二つと、三十グラムの鉄砲の弾、そして麻袋を調達しただけだ。


次の日、集まった生徒にガリレオは質問した。

「物体の重さについてだが、君たちに私から問いたい。同じ物質で出来たものを高いところから落とした場合、重い物体と軽い物体のどちらが速く地面に落ちるか?君はどう思う?」

昨日ふてくされていた生徒に尋ねた。

「言うまでもなく重い方が先に地面に落ちます」

「何故、そう思う?」

「何故って、教科書にそう書いてありますよね?アリストテレスは「物体が落下する時、重い物ほど早く落ちる」と言っています」

「そうだ。そういっているね。“石が下に落ちるのは、石にとって自然な場所が大地の中心付近にあるため、下に落ちる。そして、人が家に帰ろうとする足どりが自分の家に近づくにつれて速くなるように、石も自然の場所に帰ろうとして下に落ちる。自然の場所に近づくにつれてその速度は速くなる”とある。物体が下に落ちるのは、石に限った事ではない。人であれ鉄であれ、玉ねぎであれ、何であれ物体は下に落ちる。そこでだ、こんな物を持ってきた」

例の麻袋に大砲の弾二個と鉄砲の弾一個が入っていた。

「今から、大砲の弾と鉄砲の弾を同時に落としてみる。どちらが先に床に着くかやってみよう」

ふてくされた生徒は答えた。

「そんなのするまでもないですよ。馬鹿馬鹿しい」

答えた生徒を見ながら、憤りを表すようにガリレオは返答した。


続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?