掟と真実 〜ガリレオ・ガリレイに捧ぐ〜 ②

何だか遠い過去のように思えたが、あれから一年と経っていなかった。見える一年前と同じ景色が鈍色ではなくなっていた事に、ガリレオは不思議な満足感を感じていた。何もかもが愉快に見える。あの重苦しい感覚は一体どこへ行ったのだろうか?ここが以前と同じ街とは思えなかった。


店に入ると、ガリレオが待っていたはずのマルツェッロが既にワインを飲んでいた。

「おう!ここだここだ!姉さん!ワインをもう一本追加してくれ!」

ほぼ満席の店内。騒がしい空気の中、マルツェッロの声が響く。

「あら?マル、何でお前が先に来てんだ?」

「ハハハ。論文終わりそうに無かったから、腹痛いって言って早退してきた。それで走って裏道通ってここに来たからな。結果として腹が痛い。お前医学生だろ?治せないか?」

「末期症状で手に負えません。マルツェッロさん、天からお迎えが来ております」

「ハハハ。まあ、それはそうと、ガリレオは、何だか最近忙しそうじゃねえか?アルノ川が恋しくねえのか?」

街の景色や住む色は変わったがマルツェッロだけは変わらないな…。ガリレオにはそれがなんだか可笑しかった。

「いや、色々あってな。論文調べたり、書いてる。ピサに来てから一番充実してるかもな。マルツェッロみたいに居残りはしてないけどな。自分の部屋では真面目に学生やってるぞ」

「そりゃー大事件だな。何の論文だ?」

マルツェッロはワインをガリレオに注ぎながら尋ねた。

「数学って奴だ」

ガリレオはワインを一口飲んで答えた。

「数学?医者になるのに数学が要るのか?」

マルツェッロは給仕の姉さんに合図して、いつものつまみを注文した。

「いや、医学とは別だよ。物の原理とか、まあ、物理学って事になるのかな?それと、図形の計算の研究したりしてる」

「それが何かの役に立つのか?」

「そう思うよな?やっぱ」

ガリレオは自分がリッチに尋ねたのと同じ質問をマルツェッロがしたのを可笑しく思っていた。

「マルツェッロの政治学論文ほどではないかもしれないけどな、俺も論文書いてみたんだよ。実はあのオスティリオ・リッチ先生の講義に影響受けてな、自分で数学の本読んで研究して、疑問に思う点をリッチ先生に提出してみたんだ」

「ほお。また、面倒な事を…」

「茶化さないで聞けよ!そしたら、リッチ先生は弟子にならないか?って誘ってくれて、二冊の論文を俺に渡してくれたんだ」

「へえ、しかし、それって凄くね?あのオスティリオ・リッチ先生だろ?この間特別講師で来たトスカーナ公国付きの。あんまり弟子を採らない事で有名なんだけどな。リッチ先生は」

「そうだよ、そのリッチ先生。で、その二冊の論文はエウクレイデスとアルキメデスに関する事だったんだ」

「こりゃーまた難しいなぁ」

「ハハハ。まあ、そうだな。で、アルキメデスは支点を発見というか研究した事で有名だけど、その支点の事を色々考えてたら煮詰まっちゃってな。何だか酒でも飲みたくなった訳よ」

「そうだったか。まあ、俺でよければいつでも呼んでくれや」

マルツェッロの良さはこのレスポンスの良さである。自分がどんなに忙しくしている時でも常にガリレオには付き合い、常にガリレオの良き話し相手となったのである。

「ところで、マルツェッロの政治学はどんなよ?」

「そうだなー…。ガリレオの医学と同じ位の仕上がりだな」

「そりゃー優秀だな!」

注文していたいつものフリッタータを給仕の姉さんから受け取りながらガリレオは述べた。

「大したもんよ。それはそれは!でも、マジな話で、このトスカーナっていうか、フィレンツェも含めてイタリアは危ないかもな…」

「どういうふうによ?」

「このイタリアはローマにあるカトリックの公議会によって治められているだろ?だが、最近公議会の権威が弱体化してきてて、周辺国が反発してるらしい」

「大学の授業の政治学ってそんな内容まで教わるのか?それこそそんな情勢まで大学で教えてたら先生達が枢機卿の方々に怒られるだろ?」

「いや、授業ではそんな事は語らないよ。これは俺の兄さんからの情報なんだ」

「ああ、あの秀才の兄さんか…」

「お前の知ってるように、うちは、割と裕福な家だろ?だから政治家とか枢機卿の方々なんかと繋がりが半端ねえんだ。俺は嫌なんだけどよ。そういうの。でもゆくゆくは、そっちの世界で生きていく事になっちまうんだろうなって思う…。そういう訳で情報は色々入ってくるんだ」

「なるほどなぁ…」

「金持ちの所には悩みなんかねえって思ってたろ?面倒臭さは貧乏人の百倍だぜ?」

「うるせえ!見下してんじゃねえ」

「でもよ、実際、嫌なんだぜ。何でも金、金、金でよ。勿論、金も大事だけど、もっと重要なものがあるんじゃねえかな?って思いながら生きるっていうのはよ」

「うちは逆だな。金無かったからな。違う意味で金、金、金だったよ。まあ、そんな貧しい中でも俺を育ててくれた親父やおふくろには感謝してるけどね」

「なんだかなぁ。世の中のバランスが上手い事取れれば良いんだけどな。秤みたいに」

「秤か…。秤が揺れて…。ん?待てよ!」


ガリレオは閃いたのだった。

「秤が揺れる…。揺れるっていうのは、支点を中心にして紐(ひも)が振れるって訳だよな…この振れって、アルキメデスの支点の原理とちょっと似てるよな。支点があって力の作用があって…」

「おい!ガリレオ!何だってんだよ!とにかく飲め飲め!」

「いや、マルツェッロ、ちょっと待て!思い付いた事があるんだ。姉さん、すまないが、何か紐ないかね?」

ガリレオはさっき注文したフリッタータの入っていた皿を片付けようとしていた給仕の姉さんに声を掛けた。

「紐?何でもいいの?」

「ああ、あれば細くて丈夫なある程度の長さのものがいいな」

「わかったわ。探してみる。何に使うの?」

「実験さ」

「実験?何の?」

「まあ、持って来てくれたら分かるよ。それと出来たら何か錘になるようなものが二つあれば」

姉さんは厨房の奥へ頼んだものを探しに行ってくれた。

「錘って思い付かなかったから、これ持ってきたけど」

そして姉さんは紐を二本と錘となる玉ねぎを二つ持ってきてくれた。

「こんなのでいいの?どれ位の大きさのものか分からなかったから、重さが違うけど」

「ああ、これで上等だ。しかし、玉ねぎとは恐れ入ったなぁ…」

「なによ。何でもいいっていったじゃない」

「いや、すまんすまん。これでいいんだ」

そして、ガリレオは紐の長さを同じに揃え、それぞれ重さの違う玉ねぎを紐の長さを同じにして括り付け、それをテーブルにぶら下げた。

「紐があって、玉ねぎが揺れて…。この時の玉ねぎの振れ幅は時間に換算するとどうなるんだろう?重い玉ねぎで振れが大きくなるのと、軽い玉ねぎで振れが小さいのと、一回の振れで掛かる時間は、紐の長さが同じなら…」

「あ?重い方が時間が掛かるに決まってんだろーが!」

マルツェッロは面倒臭そうに答えた。

「ここに居る三人で検証してみよう」

そして、それぞれの玉ねぎを紐で揺らしてみる。

「どう?」

ガリレオは尋ねた。

「そうね。一往復の時間よね?…うーん同じなんじゃないかなぁ。私にはそう見えるわ」

「いや、重い方が若干速くねぇか?」

マルツェッロは答えた。

「これを計算式にすると…。理論上同じになるはずなんだ」

「そうなのか?で、この玉ねぎが何なんだよ!もういいじゃねぇか!とにかく今は飲め飲め!」

「そうなんだ!同じになるのね。不思議ね。私も重い方が早いって思ってたわ。でも観察する限りでは振れ幅は違うけど、確かに一往復の時間は同じだわ。そんなの考えた事も無かったけど。お役に立てたかしら?」

「ありがとう!凄く助かったよ。お陰で色々閃いたんだ。良かったら君も一緒に飲まないか?」

「ごめんなさい。そうしたいんだけど、私は仕事があるからまた今度ね。ありがとう!」

厨房の奥から声が聞こえる。

「マリナ!なにやってんだ!」

「はい!すいませんただいま!」

給仕の姉さんは忙しそうに戻っていった。

マルツェッロは呆れて言った。

「全く、お前はいつもそうだよ。思い立ったら直ぐに確認しないと気が済まない。もうちょっとゆとり持って生きないと息が詰まるぞ」

「ハハハ。アルノ川でゆとりは随分味わったからな。でも、今日はいい日だよ。良い事発見出来た。今日は飲もう!」

これまで飲んできたのと同じ安いワインであったが、それは今まで味わった事の無い美味しいワインに思えた。


あくる日、ガリレオは朝早くから机に向かい、昨晩の実験を数学的に考えて、論文を書いた。

それにより“振り子の等時性の発見”つまり、“紐の長さが同じなら錘の重さや振れ幅に関係なく、一往復での時間の長さは同じになる”という定義を確立したのである。世紀の大発見である振り子の等時性の発見は大学中の噂となった。


この発見はガリレオが実験して発見した最初のものとなった。そしてそれは今まで誰も気付きもしなかった事実を、実験により、論理的に数学的に定義付けした事により、変わり者の喧嘩屋で医学の落第生が、“天才”と注目を浴びる存在となった瞬間でもあった。



続く

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