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薄くて長いつながり

プロレスが好きで、しょっちゅう観に行く。
しょっちゅう観に行くと、友達がたくさんできる。
その友達のみなさんから、観戦の度にお菓子をいただく。
こういう、友達同士でお菓子を配る文化のことを、とても面倒くさいと思っていた。
幸か不幸か、これまで職場にも友人関係でもそのような習慣がなかった。

お菓子は大好きだ。もちろん全部食べる。
だけど、相手にそんなつもりがなかったとしても、受け取ればお返しをしなければいけないような気持ちになる。毎回お返しを用意するのは億劫だった。

その気持ちが変わったのは、つい最近のことだ。

わたしは昨年12月から今年2月半ばまで休職していた。仕事から離れて家族としか会わない毎日になり、しばらくは寝て過ごす日が続いた。
少しずつ元気を取り戻し、ようやく人に会えるようになってきた時、わたしを助けてくれたのは薄く長くつながっている友達だった。
会えば笑顔で言葉を交わすけど、自分自身のことは深く話さなくても済む。そういう関係が心地よかった。

2月はバレンタインとわたしの誕生日があったので、プロレス会場でたくさんのお菓子をいただいた。
仕事を休んでいても、ありのままの自分でいいと認めてもらっている感じがした。

その頃、高校の同級生にも会った。
彼女は1児の母で、この夏に第2子を出産する。
子どもがいないわたしとは関心事が違うけど、年1度は必ず会って話をする大切な友達だ。
その彼女がふと、「今同級生たちはライフステージがバラバラだけど、やがてみんな同じような生活になっていく。人間はいつかは1人になるし、女性は長生きだから。そしたらまた共通の話題が増える。その時まで薄くつながり続けるのも悪くないよね」と言った。

恥ずかしながら、わたしには人間関係のリセット癖があった。
飽きっぽくて(よく言えば好奇心旺盛で)出入りするコミュニティが移り変わるし、気難しいから所属先の人間関係にモヤモヤすることもある。
そういう時、プツンと関係を途絶してしまうタイプだった。悲しいかな、オンライン中心になった今の社会では人間関係が途切れてもあまり支障がないし、維持にはコストがかかる。

だけど、わたしが経験したように、薄いつながりにも心が救われることはある。友達が言うように、長くつながっていればライフステージの変化に伴って、深い関係性に発展することもあるのかもしれない。

わたしは、推しのプロレスラーに対しては、サイン会の列に並ぶ1時間も、物販で支払う1万円もまったく惜しいと思わない。
なのにどうして、プロレス友達に渡すお菓子を買う、たった数分と数百円を惜しんでいたんだろう。
ひょっとして、相手を期間限定の人間関係として、使い捨てようとしていなかっただろうか。

相手がどういう気持ちでわたしにお菓子をくれるのかはわからない。
好意かもしれない。損得勘定かもしれない。
ただ単に、誰かに会ったらお菓子を渡すということが習慣として染みついている方なのかもしれない。
でも最近では相手の顔を思い浮かべてお返しのお菓子を用意し、なかなか会えない方にはDMやLINEで1人ひとりにお礼を送るようになった。そうやって、相手がわたしとの関係に注いでくれたメンテナンスコストに、敬意を払える自分でありたいと思っている。

いつまでこの関係が続くかはわからない。
でも今は、会場に向かう時、推しに会えるのと同じくらいプロレス友達に会えることがうれしい。
そういう人間関係を築けた自分を誇りに思う。

プロレス友達から2月にいただいた
お菓子やお誕生日プレゼントの数々
推しがいる方はみんな愛情深い

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