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おばあちゃんの部屋でファッションショーを

「まだおばあちゃんの服いっぱいあるから着れそうな服あったら遠慮なく持っていっていいよ」

ゴールデンウィークで実家に帰ってから母に言われて、読んでた雑誌を置いておばあちゃんの部屋にむかった。

8畳くらいのまだ生活感の残るおばあちゃんの部屋には、洋服、洋服、洋服の山。3月に滞りなく終えた一年忌以降、ずっと置いてるみたいだった。

わたしは一年忌以降、この洋服の山を探索するのを結構気に入ってた。自分じゃ見つけられないような柄のシャツとか洋服がわんさかあって、自分が持ってる洋服との相性が結構良い。だから、おばあちゃんの部屋でちょっとしたファッションショーが繰り広げられる。

今回もこれから活躍しそうな寒色系や暖色の襟付き柄シャツとかギンガムチェックのシャツ、ロングのタイトスカートをゲットできてホクホクでトランクに入れて持って帰ってきた。何着も吟味に吟味を重ねた洋服たち。今後着るのが楽しみな一着たちだ。

ゴールデンウィーク期間中におばあちゃんの部屋から掘り出した服を着て幼なじみと飲みにいったら「そのシャツオシャレじゃん!どこで買った?」なんて聞かれて評判が良かったのもある。おばあちゃんのことを褒められたようで鼻が高かった。

自分がお店に足を運んで選ぶとどうしてもシンプルなものを買いがちで。でも、おばあちゃんの部屋には、色が鮮やかで、柄も多種多様で、1年365日あっても足りないくらいの遊び心ある洋服がたくさんある。

絵画や書道、華道、近所のおともだちとおしゃべり…とよく外出するおばあちゃんだった。けれども、ここまで洋服が好きで持ってたことはおばあちゃんの部屋が洋服の山になって初めて知った。高校卒業するまで一緒に住んでたのに、気づかないことなんてあるんだとも思えた。

そんなこと思いながら束になった洋服を1枚、1枚着れるかななんてみていく。するとたまに袖を綺麗に詰めたものもあったり、冬物でも売り物のように作られた毛糸のベストもあって。というかそもそも今日すぐ着れる状態の洋服しかないことにようやっと気づいて素直にびっくりした。

一昨年の秋に入院する直前まで99歳になっても自分の身の回りのことをなんでもやっていて、裁縫も編み物もやってる姿をぼんやりと見たことはあったけどここまでとは。既製品の洋服に手を加えていた痕跡は1着だけじゃなかった。知ることのなかったおばあちゃんのこだわりを触れた瞬間だった。

洋服の山を1個ずつ見てくごとに知らないおばあちゃんに出会ってるような不思議な感覚。部屋にある姿鏡に気になった洋服が似合うか確認しながら、軽く1,2時間くらい8畳の部屋に居座った。


洋服を広げながら初めて知ることがあっても、不思議な感覚あれどものすごく悲しい気持ちというわけでもない。悲しい気持ちしか持ち合わせてなければ、この部屋にも入れなかったし、洋服を吟味してファッションショーなんて開けなかっただろう。

ゆっくりゆっくりとその時が来ることを覚悟して後悔しないように過ごしたからこその故人の偲び方なのかなとも思う。悲しいだけじゃないなんて知らなかった。


もうゴールデンウィークは終わってしまったけど、まだまだおばあちゃんの部屋には洋服が山のようにある。次帰った時は季節は巡ってる。その時活躍しそうな洋服を掘り当てられるか、新たなファッションショーが開けるか今から楽しみ。





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