「選んだあなたが悪い」の残酷さ

この半年間、自分がこれまで知らなかった世界を見たいと思い、これまでの行動パターンを意識的に変えてきた。

「静岡方式」を視察に行ったり、いくつかの少年院や更生保護施設、児童養護施設を視察し、さらに少年院にて学習支援に継続的に入ることで、これまで見えていなかったことが見えつつあり、かつ自分に変化が見えてきた。

これまで私は、「選択肢が少ない人には選択肢を作ったら良い」「もし嫌だったら選択しなおせればよい」という考えをベースに動いていた側面がある。

「学校が嫌だったらいかなくても良い」
「別の教育機関を選んだら良い」
「仕事が嫌だったらやめたらいい。転職したらいい」
「自分で好きなことを選んだらいい」

もちろん新たな選択肢を作ってそれを選べるような仕組みをつくることは超大切。それでしんどい思いをしなくてすむ人もたっくさんいる。だからそれはそれで絶対必要。

けれど、それはもしかしたら「強者の論理」では?ということ。頭ではこれまでもそう思っていたけれど、実感を持ちつつある。

選ぶためには選べるだけの選択肢があること、そしてその選択肢を知っていること。その選択肢を選ぶ基準を自分で持っていて、それを選択しても大丈夫と思えるだけのベースの肯定感や効力感があること、周りにサポーターがいること。選び直しができることと、それを知っていること。そして何より、どれを選んでも、選び直したとしても、住まいがあること、食べていけること。

ただ「選択肢をつくる」ことだけでは届かない人たちがたくさんいる。

そしてそういう人たちを目の前にして「転職したらいいじゃん」「選び直せばいいじゃん」「好きなの選んだらいいじゃん」なんて言えるわけがない。そもそも選択肢なんてなかったり、少なかったり、あっても選び直すだけの余力がない、選びなおしたら食べていけなくなる、そういう状況。

そういう状況で、「選んだあなたが悪い」なんて言うのは残酷すぎる。
選択肢なんてそもそもなかった。あったとしても知らなかった。視野を広げて選ぶ余裕なんてなかった。そしてそれはその人のせいじゃない。

しんどい思いをしている人に対して、選んだことをその人の責任だけにして放置する社会でありたくない。

これが「格差」か、とはじめてちゃんと実感。

どうしたらそうじゃなくせるのか?はまだまだ考え中で勉強中。そして改めて「学校教育」や「福祉」の本来の役割を認識。

とりいそぎ頭の中でした。

#日記 #コラム #貧困 #格差 #教育 #福祉 #子ども #支援

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