「それくらい我慢しろよ」の暴力性

どんな時にどんな感情が沸き起こるかはその人によって異なるし、そのレベルも異なる。

同じ状況でも「楽しい」と感じる人もいれば、「辛い」と感じる人もいる。
わたしは知らない人がたくさんいる「パーティー」はものすごく辛いが、それを「楽しい」と感じて毎日パーティーな人もいる。

そんなの当たり前な話かもしれないが、その「当たり前」を忘れた発言はものすごく人を追い込む。

「どのくらい辛いか」は人による。同じ状況が起き上がれないくらいつらくてダメージを受ける人もいれば、次の日起きたら忘れるくらいの人もいる。感じ方は一人ひとり違う。

だから、「それぐらい我慢しろよ」って言葉はものすごく暴力的。
そんなの無視したらいい。
「我慢しなきゃ」と自分に無理やり言い聞かせる必要もない。

仕事でもなんでも、嫌な時は嫌といったらいい。辛い時は辛い時は言えたらいい。言えない状況だったら逃げたらいい。

そして、自分が我慢をしている状況も辛いけれど、誰かが我慢している状況もものすごく辛い。

わたしもつい、夢中になると勝手に決めつけてしまう時があるから、不安になって確認する。我慢しすぎてない?

「それぐらい我慢しろよ」と思ってしまう時は、時間と心に余裕がなくて自分自身が我慢している時だったりする。

したくない我慢をしないでもやれる方法はあるはず。誰かの我慢の上にある幸せなんて欲しくない。だからみんなで知恵を絞って考えたい。

#日記

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