見出し画像

朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑫(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。


五色旗の下に《南京復興の足ど り》
 
写真特集その五
ーーーーーーーー
 十三年二月十三日付揭 載の、「五色旗の下に〈南京復興の足どり〉」と題
する、四枚の組写真である。

 朝日新聞は一月三日付の新春号に五段抜き凸版 見出しで、「南京・今ぞ明けた平和の朝」と大書 し、「建設の首途を飾り/光と水のお年玉/萬 歳、電燈と水道蘇る」と題した近藤特派員の一日 発の電報を載せている。そのリードの文は次の通りである。

 「光と水の不足から苦しい喘ぎを績けてゐた 首都南京も新春を迎へて蘇つたやうに力強い息を始めた。大晦日の夕方五時から南京市内の主 なる街々には思いがけない電燈がつき、それと 同時に水道まで景気よくほとばしり出たのである」
 とある。
 つまり、唐生智軍が退却時に破壊していった水道源や変電所など電源を、日本軍と中国 の労務者が協力して、年末ぎりぎりに復興したの である。

 近藤記者によると、南京は十二月十日から水道は止まり、電気はつかず、水飢饉と暗黒の都市と なった。日本軍は入城と同時にこれの復活に着手 した。技術将校以下八十名と中国人電工七十名の班編成で、水道も同様に百五十名の編成で、不眠不休、激烈な戦闘の疲れも忘れて取り組んだ結果 であるという。
 
 近藤記者はこの文章の最後をこうしめくくって いる。
 「光と水のお年玉に南京市の屋根の下に寝る 我が皇軍の勇士や市民等は歓喜の万歳をあげ た。中山路の中島部隊が宿舎に当ててゐる中央 飯店には、赤青のネオンサインさへほの見えて ゐる。丁度二十日振りで、再び電燈の光りの輝 き出した南京の夜の何といふ賑やかさだ。

 二十二日には上海南京間には日の丸列車が開通して南京市民の喜びの矢先、また降つて沸いたやうな贈り物だ。三日に発会式を舉行する南京 自治委員會の力強い誕生と相まち、治安の基礎 は全く確立して、明朗南京はいま新春の旭光が 上ると共に、ふう爽として建設の軌道をスタート した」
 
 写真は、全員汗と油にまみれて、日中の技術者 が一体となって水道と電気の復活に取り組んでいる姿である。


写真説明は次のとおりである。
①復興の南京では水道も復活した。
  日支水道班が送水ポンプを動かしてゐます
②送水鐵管の出口
③揚子江の水を引き、先づこの沈澱槽に入れて浄化する
④露天街にも春景色
     (南京 林特派員撮影)

 五色旗とは、南京自治委員会が採択した、国民 党の青天白日旗に代わる翼東政府の国旗である。同委員会はすでに十二月二十三日,準備委員会が 結成され、陶錫山が委員長に推された。一月三日 の結成大会には残留市民三千数百人が会場の鼓楼 を取りまいて、旗行列でこれを祝福した。(この準備 委員会の模様は、読売新聞が五段抜きトップ記 事で大きく報道している)。
 
 私が言いたいのは、東京裁判の検事側証人が言 うごとく、日本兵が女子供を見さかいなく捕らえて殺したり、連日、何百名もの捕虜や敗残兵が引きたてられて機関銃掃射を受けたり、昼夜の別なく強姦が 行なわれ、連日放火が続いて、一区画ずつ焼き払った……かくして、武器を置いた兵をふくむ三十万人が屠 殺された――という、そのような鬼畜にも劣る暴虐な 悪魔や、地獄のような市街で、どうして三千数百人も の市民が、自治委員会の成立を喜んで、爆竹を鳴らし、萬歳を唱え、旗行列に参加するであろうか。

 だいいち、そんな街に自治委員会などできるはずがなく、人口は 滅るとも増えることなど絶対にあり得ないはずだ。と ころが、南京安全区国際委員会の公式文書によると、 南京の人口は、占領一ヶ月後の一月十四日には五万人 増加して、二十五万人になっているのである。
 
 このような、東京裁判に基礎を置いた間違った教科書の記述を直してほしいというので結成されたのが、 「教科書を正す親子の会」である。現在四百二十七名 もの大勢の親子が原告となって、文部省相手に教科書 是正の訴えを起こしているが、その内容はもっぱら 「南京虐殺事件」である。このような何の証拠も根拠 もない、戦勝国が一方的に敗戦国を悪しざまにののし ったあげく判決した「南京虐殺二十万」の冤罪をそのまま教科書に記述していることに対し、修正を求める訴えである。

  その他、国際的な非難も抗議も受けていないの に「各国の非難をあびた」とか、箝口令も布いて いないのに「国民には知らされなかった」とウソ の記述まである。

 読者は本稿によって、朝日新聞が煽りたてた「中国の旅」「南京への道」をはじめとする大虐殺 が「あった! あった!」とする今までの煽情的 な記事や、中国側が東京裁判に提訴した「南京敵 人罪行調査委員会」報告なるものが、いかにデッ チあげのまやかしものか、これを受けて裁いた東 京裁判のインチキ性がじゅうぶんご理解頂けたも のと思う。
 
 東京裁判でただ一人、全員無罪を判決したイン ド代表判事パール博士は、その判決文の最後で次 のように予言している。
 「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、 また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつ きには、その時こそ、正義の女神はその秤の平衡を保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」と。

 正に、「その時」は来たのである。否、来さしめなければならない。

――――――――
 
    朝日新聞が報道した『平和甦る南京』の写真特集
             著者:田中正明  ( p、25~28 )

    ※ 深田先生から本の紹介の了解を得ています。
    ※ 次回も写真を載せたいと思います。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?