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病気の一枚 59

2024年4月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、腕を休ませながら、仕事は本格的に復帰していた。しかし2023年7月から再発治療による副作用のため、再び休職している。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、4年6ヶ月。
右胸全摘&リンパ節切除手術をして、4年5ヶ月。
最初の抗がん剤治療が終わって、3年11ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、1年3ヶ月。

いきなり下半身の愚痴から始まってますので、お食事中の方はお気をつけください・・・。あ、今月は長いです。

副作用は下痢さ。

現在、抗悪性腫瘍薬ベージニオを服用している。その薬の主な副作用が下痢である。今は1日3,4回と飲み始めた頃から比べると下痢回数は減ったものの、ひどくなると、1日7,8回はトイレに駆け込み、ああ、もう駄目だと観念して、一緒に処方されている下痢止めを飲んで、24時間ぐらい下痢と無縁の生活を送るということをしている。
ちなみに、意識してなくても出てくる時があるので、ナプキン型のおむつをしている。

主治医の先生や薬剤師さんは、この下痢は下痢止めをうまく使って下痢をコントロールしなさいと言う。それまで、下痢は身体の中の悪いモノを出す手段の一つだから、出せるだけ出していた。でも、今自分の身に起きている下痢は違う。悪いモノだけではなく、いいモノ、つまり栄養も出してしまっているのだ。

なぜそう思うのかというのは、一つは、食べたモノがほぼ原形をとどめて出てくるのだ。出てきたモノに対して「ねえ、ちゃんと身体の中で栄養を摂ってもらったかい?」と思わず語りかけてしまう。一番ショックだったのは、米粒がそのままの形で出てきたこと。今まで2,3回あったかなと思う。

もう一つは血液検査の結果が安定しないこと。特にヘモグロビン値がそれを物語っているように思う。しばらく鉄剤を処方してもらっていたが、ここ2,3カ月は正常値には届かないものの、2ケタキープで安定しているのでということで、先月から鉄剤の処方はいったん卒業となっている。
卒業ということは、鉄分摂取を自力でやってねということなのだが、レバー、ほうれん草、小松菜ほか、鉄分が入ってるよという食材はあらかた食べた。勧めてくれる人には申し訳ないが、「これに鉄分がたくさん入ってるよ!」というセリフは正直もう聞き飽きたのである。
でも「もうレバーとほうれん草は飽きた!」と両手をあげると、「飽きるな!」と言われ、鉄分補給のために、またもくもくと食べるのである。
お願いだから、鉄分は身体の外に出さないでいただきたい。

やっぱり慣れない採血と筋肉注射なんよ。

注射が嫌いだ。大嫌いだ。やっぱ好かん!
でも、身体の状態を診るために毎月採血をしなければならない。そして、がん細胞の増殖を抑えるために、フェソロデックスというどろどろした薬剤をお尻の左右の中臀筋ちゅうでんきんに注射しなければならない。

採血は、肘裏から採ってもらっていたが、そこをあきらめざるを得ず、手の甲から採血されることが増えてきた。
いえ、いったん見てくれるのだが、血管が細いうえに奥に入り込んでいるので看護師さんの対応が毎月変わる。えいや!と針を刺して採血してくれる看護師さん。えいや!と針を刺してみたものの、その日の血管と相性が悪く、ぐりぐり探ってたどり着けず、断念する看護師さん。しばらく見て触って、「手の甲でいいですか?」と言って肘裏を早々に断念する看護師さん。
どういう形であれ、採血してくださる看護師さんには感謝しかないのだが、でも願わくば、肘裏でお願いしたいのである。今月は、ご自分の腕の太い血管を見せられたので「それって1本いくらで売ってもらえますか??」などと笑いながら会話したが、結局、肘裏の針を刺した探索は断念され、手の甲になった。

お尻のフェソロデックスは、うつ伏せの体勢になって自分で見えないから、とても不安なのである。まあ、たとえ見える状況であっても、見ようとしないので、体勢は関係ないということになるが、不安だから余計、いらん力が入って、身体がかちこちになって注射を受けた後、腑抜けた状態になり、立ち上がるのに数十分ほど横になっていないと復活できないのである。
でも、この薬は長く続けらるなら、続いた方がいいのだそうだ。そして、この注射を受けているとお尻の筋肉がだんだん硬くなってきて、針が入りにくくなるらしいが、私の場合、1年以上経った今も柔らかいままで、何の心配もなく打てるのがいいのだそうだ。いいんだか、なんだか。

撮った。

手も痛い、お尻も痛い、とぶつぶつ言いながら、前日作り置きしておいたポトフを身体の中に流し込む。ホッとする味が身体に染みわたる。ありがたいことに食欲は衰えていないのだ。

そういえば、ガンと告知された時、どんな感じだったかを聞かれた。
とっさに聞かれたので、答えもとっさに出てきた言葉を口に出したように覚えている。たぶん「やりたいことを今まで以上にやっていく」みたいなことを言ったような・・・そこ肝心なとこやろうもん。

でも、いまこれを書いてる時点で、あらためて思う。
最初のガン告知の時は「しこり」という形があったし、それを取り除いて、抗がん剤治療や10年と定められた期間のホルモン療法を受ければいいということだったから、ガンといっても、最近は治る病気っていうのを聞くけど、本当にそうなんだなと思った。
だから、抗がん剤治療が終われば、仕事も復帰できるだろうと思い、実際に復帰したし、ホルモン療法を受けつつも、やれることは今までどおり、できるだろうと思っていた。

しかし、再発のガン告知の時は少し違った。
しこりは胸膜に散らばっていたから、CT画像でしか見えない。血液検査の腫瘍マーカーで数値を見るしかない。見えないというだけで、こんなにも、もどかしいとは。
そして、治療に終わりがないことを知った時が、実は一番ショックだったと、いま振り返ってそう思う。いま服用しているベージニオだって、いつまで効くのか分からないよ、でも大丈夫、次の薬はあるから。いや、先生、そういうことじゃなくて・・・と何度思ったことか。
仕事は副作用の下痢に加えて昨年気管支炎も発症したので、しばらく治療に専念しなさいと言われて、休職中。

最初の告知の時と、再発の告知の時で大きく意識が変わったことが一つある。
「エンディングノート」
いわゆる遺書だが、これをきちんと書いておこうと強く思ったのだ。でもノートじゃなくて、カードでいいな。カードをファイリングしておいて、状況や気持ちが変わった時に、最新の想いに書き換えて置いておくことができる。再発告知の時にそう思って、告知された帰りの足でカードとファイルを買いに行った。死ぬときぐらい、少しわがまま言うけんね。

抗がん剤治療で髪の毛が全部抜けると分かった時は、「何か悟りが開けるんじゃね?」と旦那や親族と笑いながら話したし、右胸がない今、何かやらかすと「胸に手を当てて考えてみ」「・・・うーん、考える胸がない!」「左にはあるだろうが」「あ、そっか。でも左も心当たりがないって言いよるばい」と旦那と能天気な会話をしたりしているが、それは、なってしまったもんは仕方がない、という想いが真ん中にあるから。そして同じガンで亡くなった父と同時期に抗がん剤を受ける時に「よりによって、親子そろって同じタイミングでガンになるなんてなぁ~。でも、やるしかないたい。俺は俺で、お前はお前で、治療をやるしかないたい」という父の言葉に支えられているから。

最初のガン告知の時に
一生付き合っていく病気だと
思った気持ちは変わらない。
大丈夫。
一生この身体とこの想いと付き合っていくさ。


追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったら58もご覧ください。



いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。


記事を書くための栄養源にします(^^;)