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古書防破堤 映画クロストーク第1回の感想と、映画館でみることの大切さと『落下の解剖学』について飲み話すると楽しいという話。

古書防破堤で行われた映画クロストークの感想イベントにいってきた。狭い会場にギチギチに入った業界の人々に混ざって、5年ぶりに映画館にいって映画をみてきた僕も遊びに行ってみた次第。

『キネマ旬報』の延長線上で、南波克行×西田博至による映画の感想トークなんだけれど、これが凄まじく刺激的だった。『落下の解剖学』はなんとなく面白い映画なんだろうな、よくわからないけど、というぐらいの感想しかもてなったぼくに、開幕一声、南波氏がフェミニズム的視点から描かれた裁判映画もののマチズモを暴露する問題作と定義する。フェミニズム、かなぁ?という感想を最初にもったものの、裁判映画の系譜を一気に語った南波さんのトークは説得力抜群で、いつの間にかなんだか世紀の大傑作のように思えていたのだった。凄まじい博学と刺激的な論点整理で、複雑というより枝葉の多いストーリーを明確に批評してみせた、職人芸のような批評だ。しかも絶妙なのがその「音」からの分析。「落下の解剖学」における「落下」とは何かをその場で解剖してみせる。これはすごかった。映画を大量にみて、それを分析するいろんな知識がないと到底できないし、音楽についての学識もなみたいていのものではない。

ところが、西田さんはそれを一蹴。パルムドールにふさわしい映画ではない、監督は逃げに走っていると一刀両断。多数の論点を列挙しまくり、一度司会の篠儀直子さんに止められるほどの難点を抱えていると述べてみせる。西田論だと多数の論点を同時に展開することで、『落下の解剖学』はむしろ特定の論点から脱出を図っているが、それは何も成功していないということになるだろうか。フェミニズム作品としての評価を肯定しながらも、映画全体の物足りなさを示してみせる。

監督のインタビューを手掛かりにしてしっかり読んでいくのはさすがの一言でした。回想シーンなどは観客をだますためのフィクションであるという話から、映画がもつ虚構性への信頼を、この映画は失墜させながら利用しているというところを目の見えない子供の証言を引き合いにだしながら論証したのは見事といえる。

それぞれ相手の意見を尊重しつつも、本質的には真逆の意見だったと思う映画討論で、会場は狭くてつらくはあったけれどとにかくその後の飲み会がもりあがったのでよかったし、これ見るなら「ある殺人」をみろと教えてもらったのもよかった。

ちなみにぼくはあの死んだ旦那が本当に可哀想、惨めで哀れでいい男なのに、作家の女性に人生をおかしくされたんだ、と主張しましたが誰も肯定してくれませんでした。無念。

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