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また飛行機の夢、日記について、ベルヴィル、赤ちゃん、アフリカ

今日は久しぶりに飛行機に乗るため苦労する夢をみた。
社会的地位が高くてお金持ちで気のいい上司たちと一緒に飛行機に乗ることになっているのだが、かばんの中にはチケットと同じような封筒と紙束がいっぱいでどれがチケットだかわからない。やっと引換券を見つけて案内カウンターに走る。
空港内は東南アジア風レストランや旅館が複雑に繋がり合い入り組んだ状態で地図もなく(『龍が如く』の地下繁華街みたい)、走り回って人に尋ねても要領を得ない。猿回しの人、竹で囲まれたレストランの女将さん、子供を連れた男性に聞いても分からなくてやっと地図を見つける。自分の現在地もわからないし位置関係もわからない駄目な地図。
鶏小屋の向こうに搭乗口とチケットカウンターがあると分かる。分かりづら!!と突っ込みつつ疾走しながら目が覚める。
飛行機に乗れない夢をいつからかよくみるようになった。
カナダで入国に失敗した時や、7年前のフランスに来れるか来れないか…という頃に頻繁に見ていたので、トラウマのようになってしまったのかと思っていたけれど、今でもこうしてみるということはもしかしたらそんなに関係がなかったのかもしれない。
飛行機に乗る、ということにはなにかしら取り返しのつかなさがあるような気がして、それでうっすらと追い詰められるような気持ちになるのかもしれないな。実際はパスポートと体さえあれば大きな問題はないはずなのだけれど。
閉所恐怖症であることも関係しているのかも。

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なぜ私は日記のようなものにこだわり続けているんだろう。何を面白いと思っているのか、こんなに長く続けていながらまだはっきりとわからない。自分がずっとそれを続けてきたから自分がなにごとかを知っている、引き出せるような気がしているだけなのかな。そうかもしれない。
私がどこに日記を書こうと書くまいと、誰も気にしない。それなのにどの場所にどういうスタイルでどのくらいの更新頻度でどうやってお知らせしようかなと考えてそれに時間を費やすなんて、冷静になってみると変なことだ。けれどそれでもこだわり続けるからには、きっと何かがあるのだろう。
自分のためだけの試行錯誤ではあるけれどせっかくそれに費やしているのだから、もしそれを見ているひとがいたとしたら楽しんでほしい(または一緒に楽しむべく動いてみてほしい)という風に思っているのかもしれない。

以前、駅とか繁華街など人が行き交うようなところ、人が生活の中で幾度か通りすぎるようなところで24時間パフォーマンスをしてみたいと考えたことがある。朝会社に行く時に踊っているわたしたちを見ることができて、会社から帰ってくるときにもまだ踊っている。このひとたちは自分が一日生活をしている時間にもここでずっと何かをしていたんだ、とその人は思う(意識的に、または無意識の中でかもしれない)。自分が過ごす一日の中で他人が他の一日を過ごすことなんて当たり前のことなんだけど、世界には70億とおりの「その一日」があるのだけれど、そのことをただ漠然と感じるようなことにならないかな、というようなこと。思いつき以上のレベルまで練り上げないままになんとなく放置してある。
他にも、自分の家を使って生活をするようにおうちパフォーマンスをして、人が遊びに来るみたいな感じでそれを見る、というのもしてみたいが、これもわたしのなかでは24時間パフォーマンスの派生版だ。

私にとって、日記を書くということもそこにある何かと繋がっているのだと思う。
何を大事だと思っているのかはっきり掴めないのだけれど、……なんだろう。ただ見せたがりなのか?生きているという無駄を、無駄にならないように誰かに見せて何かにしておきたい、という貧乏根性なんだろうか。(…そうかも…)
もしくは、今でもやっぱり、自分の体があるうちにしか私はなにかを誰かに残すことができないという切実な思いが消えていなくて、だからその生きていることまるごとを使っておきたいのかもしれない。

今日は一日家での作業が多いから、隙間に考えたことやメモをscrapboxに公開してみようという試みをしてみた。ひとりTwitterみたいな感じで。
(ここにあるのはそれをまとまりのある日記として整理したもの。)
scrapboxでは文章を書いている過程がリアルタイムで見えるのだと思いこんでいたのだが、それはそのページを編集できる権限のある人だけが見えるのだった。ふと覗いたら私が文字を書いている瞬間が見えたら面白いと思ったのだけどな。

それから、こういう風に日記を上部に追加して書いていくというのは、竹中万季さんの日記にも影響されているのかもしれない。

この記法はTwitterのタイムラインそのものだから、これは個人的なTwitterができるな。仲間を募ったらそのひとたちだけのタイムラインもできるじゃないか…というところまで考えたけど、それはやっぱりTwitterで充分なのだった。
でもそこまで考えて、私がTwitterにこんなに長い間はまっている理由もなんとなく分かってきた。

とにかくどなたかひとりでも面白がってくれたらいいので時々やろうかな。

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『動いている庭』と『自然の鉛筆』を少しずつ読み始める。
ほんとうに少しずつしか読めなそうだから、数ページずつ読み進める。
もうメモを取りたいような気がしているけれどそれはもう少ししてからにする。じゃないと膨大な時間が漫然とかかってしまう。

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今日読んだもの
ベルヴィル日記(2)|[福島亮] -水牛のよう
ベルヴィル(Belleville)には7年ほど住んでいて愛着のある町だ。住んでいるうちに少しずつおしゃれな店が増えてきたが、20年前にはずいぶん治安のよろしくない町でもあった。近くにButtes-Chaumont公園という勾配の多い、気持ちの良い公園があるが、近年起きたCharlie Hebdo事件の時の犯人がこの公園で訓練をしていたとかなんとかいう噂がある。(私もそこでボクシングの稽古をしてたことがある)
アジアの食材が揃うから、この町にいたおかげで食卓に困ることはなかったな。とても安くて美味しいうどん屋さん(一杯6ユーロちょっと)があって、そこの女将さんが小鳥のように可憐で優しくてしょっちゅう通っていた。
今もアジア食材は主にここまで買いに行く。家から自転車で20分くらいの距離なので。
ベルヴィルには急で長い坂があって、食材を積んだ自転車でその山を超えるのは一苦労なのだった。
行きつけのカフェの店主、アーミトゥッシュは元気かな。近所の友達のキキ(赤毛で目と足が悪い猫)は元気かな。

赤ん坊は普通の人間だった|mikimomose(庭文庫)

朝は大体彼女の方が先に起きていて、ベビーベッドを覗き込むとにっこりと笑う。まるで、もう会えないと思った人に再会できたみたいに、本当に嬉しそうに。嫌なことがあれば、大声で泣く。その理由をわかってあげられるときもあれば、さっぱりわからないときもある。なぜわからないんだ、と目で訴えるから、とりあえず謝っておく。

『アフリカ』を続けて(4)|下窪俊哉-水牛のように

理想を言えば、いろんな文章を気ままに書いて、気ままに読むなら、いいのだけど。それではたぶん職業にはならない。
ただの個人の営みにしてしまえば一番自然なのかもしれない。
「アフリカキカク」は、いわばプライベート・スタジオである。でもせっかくつくるなら、自分だけが使えるスタジオというのでは詰まらない。いろんな人が入ってこられるような「場」をつくりたいと思った。
ことばというものを考えるうえで私の先生となった作家・小川国夫さんは、はじめて雑誌をやろうとしている若者(私)に声をかけて「仲間とやりなさいよ」と言った。「親しい友人とやるというのじゃない、雑誌をやることで仲間になるんだ」と。

今日は日々書くことが積み重なってゆく、ようなことをなんとなくずっと考えているから、何を読んでもそういう長い時間をかけた集積に浮き出てくるもののことが気になる。雑誌「アフリカ」はまだ二冊しか読んだことがないのだけれど、「水牛のように」とならんで、わたしはこういうことに興味があって、やってみたかったのだということを思い出させてくれる雑誌だ。


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