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過去の自分に写真の楽しさを伝えてあげたい。

この記事について

2020年にカメラを始めて現在5年目になりました。
自分の今後の成長を考えて、一度過去を振り返ってみようとしたことがきっかけで記事を書き始めました。
自分を振り返ったテーマの記事を過去、3つ掲載しました。

過去の記事についてはこちらから



今回のテーマについて

過去3つの記事で
2020年に初めてのカメラを手にした時から2023年春頃までの話をしました。

その話は今回で終わりです。

今回の話の流れは

過去の自分の心情

当時撮影した写真を思い出す

その時になにを思っていたのか


といった構成で進みます。
以前までの記事と違って、過去を思い出し
反省するというわけではなく
再認識するといったイメージになります。

自分にとって写真は
今までの人生の中で一番夢中になっている趣味です。

上手いか下手かで言ったら、下手な部類だと思います。でも写真を始めた事を後悔したくないと考えています。

カメラ買おうか迷っている方
まだ始めたばかりの初心者の方
つまらなくなりやめようか考えている方

そういった方たちの参考に少しでもなれば幸いです。



1.知識について

2023年の春ごろには写真が楽しいと感じる事が少なくなっていた。
撮影に行っても楽しめず、数枚撮って帰るだけといったことも増えてきた。

どうしたら楽しくなるのか?

そう考えたとしても

上手くならないと楽しくならない。

そんな答えしか出てこなかった。

2023年はPhotoshopを使えるようになりたくて
何冊も本を買ったり、Youtubeを見て勉強するようになった。

他にも構図についてや、配色についてなど
とにかく色々な事を覚えようと努力していた。

カメラを楽しむためには
たくさんの事を出来るようにならない。

そう思い込んでいた。

覚えなければいけないことが多くなり
次第に、撮影に行く事が無くなった。
大半の時間は動画や本を見ることに費やしてた。

勉強して実践するのは撮影ではなくレタッチのみ。

撮影に行かないからいつまでも上手いとは言えない過去の写真をモニター上でいじくり倒すだけの日も長く続いた。

そんな時に、とある写真家の記事を見つけた。

有名な方らしいがその人のことは全く知らず
記事を読んでも内容は初心者向けだと感じた。
(初心者向けワークショップの内容だったので当然)

そんな自分は撮影にいかないくせに情報だけを立派に欲しがり、興味を持てない内容に目を通した。

役に立つテクニックは何もなかったが、文が読みやすかったという理由で結局最後まで読んでしまった。

でも、読み終わったあとに2つの言葉が
理由は分からないがすごく自分の中に残った。

1つは
バズとバエ(映え)とエモを頭から消して
見たものを撮ればいい

2つめは
ヘタだけど、いい写真の方が楽しい

この2つを何度も思い出しながら他の記事も読んだ。

他の記事の内容は、行った場所や食べたものの写真が多く簡単に言えば絵日記のような内容だった。
日常を切り取ったような写真ばかりだった。

SNSで見るようなスローシャッターを使用したレーザービームのような光線とか派手な演出は何もない。
(もちろんプロの方なので、作品として出されている写真はとてつもなく美しいです)


刺激的ではないけどなんだかすごく素敵だった。
きっと撮影者もその場にいた人も、この写真を数年先に見返した時には、当時の思い出が鮮明に蘇るに違いない。

そう思える写真ばかりだった。

全く知らない自分が見ても文と写真の2つによって
想像して、感じ取る事が出来るような内容で
夢中で読み続けていた。

有名な方なので写真をやっている人は分かるとは思いますが、あえて名前は伏せさせていただきます。

記事を読んで
不思議と惹かれていく感情の正体を考えた。

出てきた答えは

カメラを始めた時の楽しさを完全に表している。

ということに行き着いた。

プロなのだからもっと技術やテクニックの話が多いのかと思ったら全くそんなことはなかった。

構図が〜、ボケ感が〜、レタッチ時に〜

そんな話は一つもなく
むしろほぼ全て、日の丸構図(写したいものをセンターに置くシンプルな構図)での写真ばかりだった。

自分が学んでいた○○構図や△△構図なんてものは使われていなかった。

でも、すごく印象に残った。
記事を読み終わった後も何度もその写真と一つの考えを何度も思い返した。

写真を撮るってことは簡単でシンプルなものだ。

楽しいと思う気持ちは
いつから変わってしまったのだろう。


2.覚悟

自分の写真を見てもらえて、認められることに対して楽しさを覚えていた事は間違いではない。

ただ、自分には合っていなかった。

そう思うようになってきた。

そんな事を考えずに、単純に楽しんで撮っている人ってどんなのだろう。

そんなことを思い返すと、以前土手で会ったNikon爺さんのことが頭に出てきた。

あの時はこの爺さんみたいに年取っても写真を好きでいたいと思っていたなぁ。

何日も悩んだ末に、憧れの爺さんと同じNikonのカメラを買った。

なぜわざわざ新しくカメラを買ったのかと聞かれたら、正直わからない。
ただ、直感が働いたり憧れの爺さんが使っているからという単純な理由でしか無いと思う。

こんな動機で行動してしまった事は間違いだと
今は少し後悔する事もある。
特に毎月27日の引き落とし日は深く後悔することも稀にある。


形から入ってしまう部分は今でも変わらず本当に気をつけなければいけない。


いつものお店でNikon Z9 とZ 50mm F/1.2を触らせてもらい、即決で購入した。

人生で初のNikonのカメラだった。

別にSONYでもいいし、Nikonのもっと安いカメラでも構わなかった。
でも自分の性格からして機材のせいにしてしまう可能性を考えた。
(機材のせいにしてはいけません)

だから最上級の機材にして、逃げ道を作らないようにしよう。

SONYでも良かったのだが、SONYのα1には全く魅力を感じなかったので
爺さんと同じNikonにしたという不純な動機だ。

もうこれで機材のせいには絶対に出来ない。
あとは自分次第でしかない。という状況にした。

涙の24回払いを現在進行形で行なっているため
支払いに対する覚悟もきちんと持つべきでした。

カメラを買ったその日には早速撮りに行った。
今までと違うカメラで、行ったことのない場所だった。
設定なんてほとんど何も分からないし、ほぼ初期設定のまま。

SONY α7RⅤを買った時は設定など全部してから
撮りに行ったのに、なぜかこの時はカメラを買った興奮もあるだろうが早く撮りに行きたい気持ちでいっぱいだった。

Nikonにして最初に撮影しに行った場所
今までと同じような構図だが
この時は深く考えずここに来て夢中でシャッターを切っていた
夜の写真を撮る事が嫌いなわけでは無い。
むしろ好きだった。
だから自分の好きなものを残したかった。
Z9を買った日とこの写真が記憶の中で結びつく。
始めて福岡の中洲に行った。
その後も5回は中洲に足を運んだが
同じような写真は撮れなかった。
同じ写真は二度と撮れないと気がついた。
だから撮れ高や他人の評価は関係なく
思い出に残すことだけを考えればいいと思えた。
instagramで飽きるほど見たアメ横の写真
これと同じ場所で撮る事は出来るが
この写真と同じものはもう誰にも撮れない。
生まれ育った下町に突如現れた電波塔。
水面に反射したリフレクションばかりではない。
自分が何度も通ったこの道が
こんなに綺麗だったなんて知らなかった。

自分は技術も知識もなく、下手なんだとずっと自己評価していた。

みんなが良いと思うものを撮らなければ認められない。
認められないから上手くなったといつまでも思うことが出来ない。
これはSNSをやる上で絶対に思ってはいけないことだ

そうやって勝手に思い込み、焦燥感を感じる必要なんてなかった。

一度訪れた場所にまた行ける保証もないし
前回と同じものが見えて、同じように撮ることは出来ない。

そんな考えを持つようになった。

撮影はもちろん、レタッチをするのだって好きなのだから自分の思い出に色をつけることもできる。

写真に正解はないと思う。

SNSをやっていれば
知らない人から自分の写真に対してネガティブな事を言われることだってある。

もちろん、レタッチをしすぎて現実と違う、歪んでいる、構図が悪いなど探せばいくらでも出来ていない事は見つかるだろう。

ただ、これは自分の感情の記録を残しているので
それに対して何か言われてもどうしようもない。

写真や目の前の景色はその時の感情によって
見え方が違うと思う。

疲れてだらしなく斜めに立ってた時に見えたこの光景が良かったのかもしれない
そうしたら水平じゃなくていいんじゃないか?

良いことがあって機嫌が良かったから、いつもの景色がなんか輝いて見えた。
だからPhotoshopで現実では見えていない光を足す。

そんなんでいいんじゃないかな。

目の前の光景は時間の流れで変化していくし
自分の感情だっていつだってニュートラルな状態ではないのだから、正解はないと思う。

自分の目でどうやって見えたか、その時どういう感情だったかなんてことは自分にしか分からないはず。
それを分かる人がいるなら教えて欲しい。


正解がないからこそ、自分が後で見た時に
その時の事を限りなく鮮明に思い出せる写真を撮りたい。

その写真を誰かに見せて、その時の風景を想像してもらえる写真であればいい。

だからそれを叶えるために上手くなりたいんだ。

それが自分の答えになった。


3.変化

悩んでいた時と自分なりの答えを見つけた時では
他人が撮った写真の見え方が変わった。

以前なら

どうやって撮ったのだろう?

どんなカメラ、レンズ、設定で撮ったんだ?

なんのソフトでレタッチした?

どんな方法でこの色を作った?

そんなことばかり気になっていた。

気持ちが楽になってからは見え方が少しずつ変わり始めた。

シンプルにその写真からストーリーが気になるようになった。

どんな場所なのか

その場所はどんな雰囲気なのか

何が見えたのか、何を感じたのか

そんなことが気になるようになった。

自分は本を読む事が子どもの頃から好きだった。

文字しか情報がないのに、そこから世界観を想像し頭の中で映像が流れていく感覚が楽しい。

写真も同じように
見て、想像して、撮った人やその場の光景を自由に想像する。

それに説明文や撮影者の感情や出来事が書いてあれば最高。

そんな視点で写真を見るようになったら今までとは違う楽しさを感じた。

同時に自分の写真を見返した時や、撮影時に見えるものも変化していった。

石垣島にて見えた景色
東京にはない景色で、何度でも訪れたい大切な場所

ここでは天然記念物のカメを見たくて探し回った。
しばらく散策していたら運良く見つけ
遠目から興奮しながら観察した
山の切れ目に2つの道があり
そこに光が差していた。
運良く雲の切れ間で光が差し、このあとすぐに雨が降り出した。
カンムリワシという天然記念物の鳥を見たくて
炎天下の中、歩き回って探検した
結局見つける事は出来なかったのは残念。
この後に危険な毒を持つ毛虫に遭遇し
本気で怖かった。
15年ぶりに大阪に行った。
道頓堀は人が多い。

こんなところに飛び込む人がいるなんて
信じられないと思った。
初めて新世界に行った。
この後入った居酒屋で隣の席の人が転んで流血していた。
歯も折れていたようで救急車で運ばれていった。
さすがにその時は写真を撮る事を控えた。

ここから見える景色が綺麗だなと思ったから写す。

後で見返した時に写真と思い出が結びつく事が楽しい。

でも、これは上達したから芽生えた感情ではなく
カメラを手に入れた時からずっと持っていた感情だった。

それをただ忘れていただけだった。


4.現在

X(Twitter)を最近始めた。
アカウント自体は前からあったが、ほとんど使っていなかった。

以前のように自分の写真を誰かと比べることは無くなった。

その人と同じように撮れるわけではないし
オレと同じものを他の人が撮れるわけでもない。

投稿されている写真を見ていいなと思ったらその感情を伝える。

これで充分だと思う。

もちろんまだまだ上手くなりたい気持ちはある。
ただそれは認められたいから上手くなりたいのではなく、表現方法を増やしたいから上手くなりたいだけだとラフな考え方になってきた。

最近の目標は

なんでもいいから説明する。

ということにしている。

写真の言語化」とたまにXで見かけるような難しい話ではない。

文字だけでも想像できるのだから、写真と合わせたらより想像しやすくなるに違いない。

でもオレは文を書く事が苦手だから、克服するためにnoteを再開した。

撮った写真を見た時にその時の情景が思い出せて
見た時に想像できるように少しでも綺麗に残す。
だから撮影技術やレタッチの技術を磨く。

思い出しやすくするため、伝わりやすくするために
撮影時にはフレームの中の配置を考える。
構図は日の丸構図で充分。
見えたものを真ん中に置いてシャッター切るだけでいい

自分が見た景色の良さを伝えるために文字も使う。
だから説明出来る写真を撮れるようになりたい。

結局、上手くなりたい理由なんてすごく単純だった。
上手くなりたいのは自分のためでしかない。

大好きな京阪電車を待っている時に見えた景色。
初めて行った場所なのにどこか懐かしさを感じる。
道路の上でもないしロンドンでもないけど
4人組が歩く姿が
ビートルズのAbbey Roadっぽく感じて撮影した。
それをもっと伝わりやすくするように
どうすればいいのか。
そんな事を考えながらレタッチした。
息吹。
こんな大きな木になるのにどれだけかかったのだろう。
次行った時には葉が散っているか
緑に染まっているかは分からない。
何十年同じ場所で色を変えながらそこにある大木に命を感じた。
初めて行った島原城。
訪れた場所の歴史を調べると面白さが増す。
過去には争いが起きたこの場所で
今は城が夕焼け空を眺めている。
友人と行った初めての相模湖
立派な船ではないのに
これに乗って奥に見える山の手前まで行ける。
下町の電波塔。
「東京スカイツリー駅」
そんなおしゃれな名前になったけど
お前の本当の名前は「業平駅」だ。
子どもの頃ここは貨物ヤードの駅だったはず。
高校生の頃に建設中の光景を何回か見に行ったな。
大好きな街の長崎。
坂が多く移動は大変だったけど
古い街並みに当たる光がすごく優しかった。
特別な場所じゃなくても特別な写真が撮れる。
日常には特別な事が転がっている
誰もいない幼稚園の壁を光が二分割。
自分が通っていた
幼稚園、小学校、高校は無くなってしまった。
いい思い出なんて一つもない。

でもこの景色になんだか懐かしさを感じた。
大人になるってことは
過去を受け入れるってことなんだ。
慣れ親しんだ土地を歩いた。
正直、こんなところに撮るものなんてないだろ
と思っていたが
マンションが幾何学模様に見えたり
壊れた信号機があったり
発見だらけで楽しくなり
結局その日は15kmほど歩きながら撮影していた
天気が悪かったが、雲の間から光が差してきた。
この光をもっと分かるように表現したい。
長崎ランタンフェスティバル
コロナが落ち着き数年ぶりに開催した時に訪れた。
人混みがすごく、撮影に苦労したが
途中で同じカメラを使っているお兄さんと出会い
Nikon同士仲良くなることができた。
ランタンフェスティバルはこの場所の写真が有名。だけど、実はもっと広いエリアで祭りモードになっている。
散歩してるだけで楽しい。
動物園での一枚
ダチョウが好きなのでそれ目当てで
真っ先にダチョウゾーンに行った。
檻の前に
「ダチョウは死にました」と張り紙がされていた。
意気消沈して帰ろうと思った時に
カーブミラーが首を伸ばすダチョウに見えた。
初めて400mmの望遠レンズを使った。
フラミンゴ綺麗だなー
という視点でしか見ていなかったが
ズームすると意外と顔は怖かった。
どうせならカッコよく撮ってやろうと思い
こいつを主役にしてやった。
薄暗い中を歩いていたら
突然開けた場所があり、そこから差し込む光が眩しかった。
光を浴びる木、当たらない木
光と影を探して写真を撮る事が楽しい。
自転車で臨海部まで行った。
FineArtの写真に感化されて撮影した。
社会人になったばかりの頃や、学生時代に恋人と別れてしまったときなどこの景色を見て
気分転換をしていた。

見知った土地を少しでもカッコよく残したかった。

4.最後に

趣味なのにこんなに悩む必要なんて全くなかったし
大半の人はそういった事はないと思う。

この記事を書く時に、自分の5年間を振り返った。
遠回りしたり余計なお金を使ったと思った。

カメラを手にしてすぐに上手に撮れる人もたくさんいる。
けど、自分はそうではなかった。

自分とは違う写真を撮れる人を上手いと定義するのではなく、写真から伝わるものを表現できる人の作品が上手く、それが「良い写真」だと今は考えています。

自分の目指す写真を撮れるようになるため
自分の変化を受け入れていこうと思います。

海外の審査制写真投稿サイトに投稿した写真。
現在は、昔ほど厳しい審査ではないと聞いたが
自分の世界が表現できたことが嬉しかった。
あくまでも載せてもらえたというだけだが
これも成長した証だと思う。

そんなことも楽しみながらオレは写真を撮る。

よろしければXでもたくさん写真を投稿しています。ぜひ覗いてみてください。

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