やなせたかし『アンパンマン』におけるめいけんチーズの謎について

✳︎ 以前課題で提出した文章です。覚書。

 アンパンマンを見ていていつも思うのはパン工場にてバタコさんやジャムおじさんと住むめいけんチーズという犬を模したキャラクターの存在の不可解さである。アンパンマンには様々な料理や食材、または動物や列車などが「擬人化」された状態で登場しているのであるが、このチーズだけは犬のままである。街の子供達であるカバおくんやウサこちゃんやちびぞうくんなどは皆動物の擬人化であり、二足歩行で歩き言語を用いているのにも関わらず、チーズだけは言語を用いることができず、基本は四足歩行をしている。このように、犬だけが擬人化されないという例は他にもあり、例えば『ミッキーマウスクラブハウス』などに登場するプルートは一人だけ言語を用いず四足歩行であり、ミッキーマウスに飼われている。しかし、チーズがより一層特殊なのは、このアンパンマンという作品において、ほぼ全てのキャラクターに当てはまる法則からも脱しているということである。それは、名前の法則である。つまり、アンパンマンという作品においては、アンパンマンをはじめとしてあらゆるキャラクターがそれ自身が元になった食材や料理や動物から名前が取られている。この法則を逸脱しているメインキャラクターはバタコさんとジャムおじさんとチーズ、そして同じく犬のレアチーズちゃんだけである。つまり、チーズはどちらかといえばバタコさんやジャムおじさんなどの人間(人間ではなく妖精であるという説もあるが、公式サイトでは特に人間とも妖精とも書いていない)の区分に属するということである。ここで、考えたいのはアンパンマンにおける五つの区分である。順に列挙していくと、まずパン工場に住むジャムおじさんとバタコさんとチーズが第一の区分として分けられるだろう。彼らは地理的にも他の登場人物たちから孤立している。しかし、彼らの区分にもっとも特徴的なのは彼らは自らが食べられるような料理や食材を元にしていないにも関わらずパンという料理を行うということである。これは他の区分と対比する上で重要な要件である。ちなみにチーズもパンの調理は行なっている。第二の区分は、街に住むキャラクターたちである。彼らのほとんどは動物をモチーフにしている。そして彼らは基本的に調理をせず、他のキャラクターたちが作り出した自らの料理を食している。つまり、彼らは純粋に食べるだけの存在である。第三の区分は食材や料理をモチーフにしたキャラクターたちである。彼らは、地理的には一部の例外をのぞいて殆どが流離の民である。彼らは常に移動し、各地で自らのモチーフである料理を披露する。これにはアンパンマンや食パンマンなども属する。彼らは流浪の民ではないが、アンパンマンのパトロールに顕著に見られるように常に移動する存在であるということは他のキャラクターとも共通している。彼らは大半が自ら調理を行い、自らを、または自らがモチーフになった料理を他人に食べさせる。そして、もちろん彼らも他の料理を食べている。つまり、彼らは調理人であり、被食者であり、捕食者である。そして第四の区分はばいきんまんやどきんちゃんなどの菌由来のキャラクターである。彼らは自らは料理などせずに他人の料理を食べるということは第二の区分と似ているが、彼らは基本的に美食志向でありながら飢えており他人から奪うことで食を得ている。彼らは唯一共に食べるためではなく、自らのエゴによって食する存在といるだろう。第五の区分は、SLマンやおりがみまんやおことちゃんなどの例外的な存在である。彼らはそれぞれバラバラであるが、モチーフが動物ではないという点と街に住んでいないという点以外は第二の区分と同じであるので、第二の区分に分けてもいいかもしれない。この区分は私が作ったものなので厳格なものではないが、区分の仕方の一基準としては有効であろう。結局何が言いたいかといえば、チーズの属する第一の区分は、調理し食べる者たちであり、自らが被食者になることはない存在なのである。確かに犬食文化は日本にも存在する(した)ので、チーズが被食者にはならないというのは不思議であるが、だからこそ、この作品においてチーズの存在がひときわ際立っているのである。再び、名前の話に戻るが、チーズという名前を犬につけるというのもなかなかに不可思議な話である。しかし、犬も哺乳類であることを考えれば、チーズと犬の結びつきは朧げにではあるが存在することになる。しかし、むしろこのチーズという名前の犬との結びつき方は、チーズという存在の属する曖昧な立ち位置を表しているとはいえないであろうか。彼は動物でありながら、人間たちと同じ部類に属し、他の動物キャラクターが行わない料理もする。その意味で、もっとも人間に近い動物であるのであるが、言語を喋れず四足歩行を行うという点では、この作品においてもっとも人間から遠い動物であるとも言えてしまう。このように曖昧で両義性をもったチーズの立ち位置は、名前であるチーズの不明瞭さ、つまり乳であれば一応は食材を問わず、さらに料理というにはより簡素で、食材というには腐っているというような不明瞭さである。ここまで、考えて、私はチーズの立たされている状況は、人間の赤ちゃんが立たされている状況に近いのではないかという考えに至った。しかし、ここで思い出すべきなのはまさしく人間の赤ちゃんをモチーフにした「あかちゃんまん」というキャラクターだろう。あかちゃんまんも、チーズと同じく曖昧な立ち位置に属している。あかちゃんまんは、他に「マン」や「まん」が付くキャラクターたちの中で唯一自分が食材や料理ではない。そのため、第三の区分に分類することはできない。さらに、あかちゃんまんは食事としてはミルクしか飲むことができず、さらにそのミルクをバタコさんや友人のみるくぼうやに作って貰わねばいけないため、自立していない存在である。この点からもあかちゃんまんは第五の例外的な部類に属することがわかる。しかし、あかちゃんまんはチーズとは異なり、赤ちゃん言葉ではあるが、言語を用いることが可能であり、ある程度の意思疎通を行うことができる。しかし、それでもあかちゃんまんが人間たちにとって曖昧な立ち位置にいるのは否定できないであろう。あかちゃんまんは自立できず他人の調理を必要とし、さらに食に制限の与えられた数少ないキャラクターなのである。この意味でもあかちゃんまんの存在は食を考える上で意義を持つかもしれないが、正直あまり発展できないのでここでは、チーズの話に戻りたいと思う。チーズについては、彼の曖昧さこそがまさにチーズの本質である。彼は人間と獣の間で曖昧な存在であり、現実世界に即して考えるのであれば、動物であるのであるから自然界では被食対象になりえるにも関わらず、まるで人間であるかのように調理を行い、捕食者の位置に座している。この事実から、考えさせられるのは、我々人間のあり方である。つまり、我々は普段バタコさんやジャムおじさんのように暮らしているが、自然界に存在する以上はチーズ同様に本質的に被食の対象であり、食べられる危険性がある。にも関わらず我々は無意識のうちに動物と人間の分断を行い、そこからまさに肉食などの行為が生まれてくることになる。つまり、チーズの存在は、ジャムおじさんやバタコさん、そして我々人間の存在を危機に陥れるのである。彼は動物と人間の間に宙吊りにされていながら、人間の方へと自らを向けている。そしてその様子から、我々人間は、自分たち人間さえもこの宙吊りに掛けられていることを知るのである。つまり、チーズの存在は、アガンベンが『開かれ』の中で展開しているようなバタイユのアセファルやエクスキュルのダニのような人間と動物の間の曖昧であり定義不可能でありながらも存在するような不明瞭な分断と接点である。このように、チーズの存在を考えることで、我々は人間という定義の不明な存在に出会い、そして、自らが立たされている曖昧さに気づくことで、食に関しても新たな視点を持つことが可能となるのである。そのような点からもアンパンマンは、重要な意義を持つと考えられる。

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