ジョルジュ・ディディ=ユベルマンを読む前に 『ニンファ・モデルナ』レジュメ#0

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ 包まれて落ちたものについて』
レジュメ0 「ニンファについて、その落下について」「聖女について、その遺物について」前半部分
2/19 19:00―(作成・キュアロランバルト)


⑴ 著者について

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(Georges DIDI-HUBERMAN, 1953- フランス)

「イメージのもつ感情移入や類似性の力、またその錯綜した時間性を、人類学の視点から捉えなおされた現象学や精神分析に依拠しつつ、考察している哲学者・美術史家。サン=ティティエンヌの生まれ。リヨン大学で哲学と美術史を修めたのち、パリの社会科学高等研究院を出る。その後、コメディ・フランセーズでの劇作やパリ第七大学の教壇などを経て、1990年からは社会科学高等研究院で美術史を講じる。」(http://passing.nobody.jp/thought/didi.html)より引用

主な著作
『ヒステリーの発明』Invention de l'hystére, Paris : Macula, 1982.
『イメージの前で』Devant l'image, Paris : Minuit, 1990.
『ヴィーナスを開く』Ouverir Vénus, Paris : Gallimard, 1999.
『時間の前で』Devant le temps, Paris : Minuit, 2000.
『残存するイメージ』L'image survivante, Paris : Minuit, 2002.
『イメージ、それでもなお』Images malgré tout, Paris : Minuit, 2003.


⑵ イメージ人類学

「その分析を支えるのは、イメージを表象や記号ではなく「徴候=症状」(フロイト)、「弁証法的イメージ」(ベンヤミン)、「残存」(ヴァールブルク)と捉える発想である。ディディ=ユベルマン自身はこの発想を「人類学的」と形容する。たとえば壁画の顔料の白さや映像の黒い縁など、それ自体では何の表象でも記号でもない物質性の感覚的現前は、それでも宗教儀礼や映画視聴といったイメージの実際の使用において心理的・社会的効力を発揮しうる。このとき、意味以前のイメージの現前性を現象学的に分析し、人類史的展望におけるその使用と効果を精神分析的に考察せねばならない。そこから彼は、フロイトの「徴候=症状」の概念を現前性と潜在性の同居するイメージのありようへと適用し、そうしてイメージをめぐる太古からの人類のふるまいが今現在でも反復されるさまを、ベンヤミンが過去と現在との星座的布置として語った「弁証法的イメージ」の概念でもって理解し、このときはたらくアナクロニックな歴史性をヴァールブルクの「残存」の概念から把握する。」―『現代フランス哲学入門』(2020、ミネルヴァ書房)岡本源太「ジョルジュ・ディディ=ユベルマン」348ページより引用


・「徴候=症状」(フロイト):抑圧されたものの回帰

「(フロイトは)症状形成を抑圧されたものの回帰と同一視し,抑圧を別の過程であるとした.というのは,症状にそれ特有の形を与える要素は,防衛葛藤にかかわる要素とはほとんど関係ないからである.」―ラプランシュ/ポンタリス(監訳・村上仁)『精神分析用語辞典』(1977,みすず書房)225―226ページ「症状形成」より引用[()はレジュメ製作者]


・「弁証法的イメージ」(ベンヤミン):アレゴリーによるイメージの隣接
e.g.ボードレール 売女⇄聖女  現代パリ⇄古代ローマ
                  

「過去の真のイメージは、ちらりとしてしかあらわれぬ。一回かぎり、さっとひらめくイメージとしてしか過去は捉えられない。認識を可能とする一瞬をのがしたら、もうおしまいなのだ。」―ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」(編訳・野村修道)『ボードレール 他五編 ベンヤミンの仕事』331ページより引用


・「残存」(ヴァールブルク):

「アビ・ヴァールブルクの「残存(Nachleben)」という概念、それは芸術作品が宿す記憶、そしてひとつの文化の中に存在する別の文化の痕跡を問うものでした。」―ソコ・フェイ「アビ・ヴァールブルクが語る芸術の残存」(http://www.diptyqueparis-memento.com/ja/%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%81%AE%E6%AE%8B%E5%AD%98/)引用


「ヴァールブルクは、残存という概念を通じて、イメージとそれが持つ矛盾した性質に関する新たな発想を得ました。ドイツ語のNachlebenという言葉には「生きる」を意味するLebenという動詞だけでなく、イメージの再来を強調するかのように、「後に」を意味するNachも含まれています。こうした観点から、ルネサンス文化は、古代文化の再生とは言えません。なぜなら古代文化は未だ消滅などしていないからです。残存とは、今に息づく過去の力であり、近代史に一石を投じ、疑問を投げかけているのです。」―前掲サイトより引用

⑶ ニンファ・モデルナについてGeorges Didi-Huberman, Ninfa Moderna. Essai sur le drapé tombé ,2002

・Ninfa Modernaとは
Moderna→ラテン語modernus(現代の、今の、近代の)の女性形
元ネタ:ヴァールブルク『ニンファ・フィオレンティーナ』
フィオレンティーナ→フィレンツェの

・le drapé tombé について

「動詞tomberにもとづく形容詞tombéはまずもって「落ちた」ものを意味するのはむろんであるが、そればかりでなく、「死んだ」ということをやや遠回しに指し示す言葉でもある。もうひとつの形容詞drapéのもとになるdraper(「包む」「襞をつける」)はどうなのか。少し古い用法にさかのぼるなら、そこに服喪の徴として身体や物を布で覆うという意味のあったことがわかって、たとえばプルーストにもこの意味での絶対用法が確かめられたりする」―本書「訳者あとがき」214ページより引用

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?