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パレスチナを忘れないで

文・えりか(UNRWA元美術教師)

最近、ニュースで耳にしない日はない“パレスチナ”“ガザ地区”というワード。
去年10月からイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への軍事侵攻がはじまり、3万人以上の罪のない人々の命が失われた。
今に始まった争いではなく、76年前にパレスチナ人は祖国を追われ、隣国に避難していつ元に戻れるのだろうかと願いながら生きている。

そんなパレスチナ人たちが生活をしているヨルダンの首都アンマンの街中にあるワヒダット難民キャンプに私は配属された。

ワヒダット難民キャンプは小さな商店が立ち並び、買い物客でにぎわっている


現地のヨルダン人にワヒダット難民キャンプで働いていると言うと、驚きと憐みの表情をされることが多かった。
それほど、ワヒダット難民キャンプは貧しい地域だというイメージがあるらしく、『なんでそんなところで働いてるの!大変だねぇ…』と労いの言葉をかけられたものだった。

私も赴任した当時は、ヒジャブ(イスラム教の女性が髪の毛を隠すためにまとう布)も被っていないアジア人だということで好奇の眼差しで見られて苦労したことも事実。

9回辛いことが続いて、もうダメかも…と思ったら、それをチャラにしてくれるような素敵な人たちとの出会いが1回あり、救われる。これの繰り返しだった。

今回はその素敵な人たちの1人である、パレスチナ人のおじさんについて話したいと思う。


赴任したばかりの頃、好奇の眼差しで見られ、緊張しながらワヒダット難民キャンプを歩いていた時のこと。
パレスチナグッズを売っているお店のおじさんに出会った。
そこで、私は前々からパレスチナ解放を訴えるキャラクター "ハンダラ" を買いたいと思っていたので尋ねてみた。(ハンダラとはパレスチナ問題を後ろ手を組んで静観している10歳の少年のキャラクター。作者は暗殺されてしまったが、今もなおハンダラくんというキャラクターは生き続けている。)

ハンダラ

どうやらハンダラはなかったらしく『ちょっと待ってて』 と言われた。すると、机の下からペンチとハンダラのチャームを取り出し、わざわざキーホルダーを作ってくれた。

パレスチナの地図やパレスチナ色のビーズもリクエストして、カスタムメイドの素敵なキーホルダーができた!

おじさんが作ってくれたハンダラのキーホルダー


『わぁーすてき!ありがとう!いくら?』と聞くと、『プレゼントだよ。』と言う。
『え!なんで!払います!』
『いや、いいんだよ。俺はパレスチナ人だからな。』とおじさん。

なんていい人なんだ…と感動しながらお礼を述べてその店を立ち去った。

すると、後ろから少年が"ミス!(先生!)"と追いかけてきた。
少年に後ろから追いかけられるなんて大抵ろくなことじゃない…(以前からかわれた経験ありなので)と思って無視して歩いていたら、またもや"ねぇ、ミス、ちょっとこっちきて!"という。
どうやらさっきのお店のおじさんが呼んでいるらしい。
ちょっと疑いつつ、その店に戻ってみると…おじさんがさらにパレスチナ柄のブレスレットなどのお土産を追加でくれた。

決して儲かっているようには思えない店。何も売れない日があるだろうに…そんなおじさんの気持ちに心が温かくなった。

そして数日後、久しぶりにそのおじさんに再会しまたあいさつをした。
すると、こっちへこい!と手招きした。

『名前はなんだ?』とおじさんは尋ねる。
そういや名前言ってなかった!と思って、『えりか。』と答えた。
『どういうスペルかこの紙に書いて。』とおじさんがいうのでアラビア語で"えりか"と書いた。
『えりか、明日もここにくるのか?』
『毎日きてるよ、そこの学校で働いてるからさ。』
『じゃぁ、明日またこい。』

そうして、翌日またおじさんのお店に行ってみた。

なんと、またまたプレゼントが用意されていたのだ。私の名前とパレスチナの地図が描かれたマグカップだった。

プレゼントしてくれたマグカップ


おじさんが描いたとは思えないキラキラしたかわいいデザインのマグカップ。

ありがたいと同時にパレスチナ難民の支援にきているはずなのに自分はもらってばかりだと申し訳ない気持ちにもなった。

シャイなおじさんとつたないアラビア語の私との出会いはここからはじまり、たまに顔をあわすと「元気?」と他愛ない会話を交わすだけの関係が1年半ほど続いた。

私が任期を終えて帰国する時には、おじさんがビデオメッセージをくれて「えりかは私たちワヒダット難民キャンプのために働いてくれて、力を貸してくれて、助けてくれた。」と言ってくれた。
私のほうが助けられたんだよ、おじさん。

おじさんは私が日本へ帰国してからもfacebookを通して連絡をくれて、難民キャンプの写真なんかを送ってくれた。
おじさんからたまに電話もきたが、シャイなおじさんとつたないアラビア語のせいで会話はたいして長続きせず。
それでもおじさんは何度も連絡をくれた。

ある日、またおじさんから着信があったが、忙しいからと後回しにして応答しなかったことがあった。
そして数日後、facebookの投稿で、おじさんが亡くなったことを知った。
なんとそれが最期になってしまったのだった。
それはあまりにも突然で、ショックだったし、今でもその電話に出なかったことは悔やまれる。

おじさん、10年前、心細くワヒダット難民キャンプを歩いている私に優しくしてくれてありがとう。

いつも椅子に腰かけておはよう、元気?とあいさつを交わしていた


ハンダラのキーホルダーをもらったときにおじさんはこう言った。

「パレスチナを忘れないでくれ」と。

その時はパレスチナ難民キャンプで働いているんだから、当たり前だよ、忘れるわけなんかない。と軽く流したけれど、帰国してから10年経ち、多くのパレスチナ人が命を落としている現実に、その言葉の重みをひしひしと感じる。

おじさん、忘れてなんかないよ。
私はこうして今、おじさんの言葉を思い出して、パレスチナのことに思いを馳せて筆を執っているよ。

憎しみや、報復からは何も生まれないし、争いは永遠に終わらないだろう。
ボランティアが必要なくなる、彼らがパレスチナに帰られる日はいつなんだろう。

何の罪もない子どもたちが、どこにいても笑顔で安心して学べる環境にいれますように。
子どもたちの夢や希望が失われない平穏な日々が戻りますように。

学校の壁にパレスチナとエルサレムの岩のドームを描く子ども

パレスチナや世界の平和を心から祈って、自分にできるちっぽけなことをやっていくのみです。



[告知]
6月5日(水)日本時間の19時から21時オンラインイベントを開催します。
私たち草の根主婦たちと、パレスチナにルーツを持つ人々とをzoomでつないで、お話を聞く予定です。草の根の人々が集い、パレスチナに思いを馳せる場を作れればと思っています。

参加事前登録またはご質問はこちらからお願いします。
https://forms.gle/xiTQUUegkuPgxt3Z9

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