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生き方についてちょっとだけ考えた

実家に帰るたびに、自分の育った環境とか生き方とか、
いろいろ考えてしまいますよね。

私の実家はめちゃくちゃ貧乏で、親も私が17歳の時に離婚していて、
普段一人で東京にいるとそういうことをだいぶ忘れてしまっているんですが、
こうやってお盆や正月の時に帰ってくると否が応でもそういうものを思い出させられてしまいます。

でも、まぁいろいろ考えるいいきっかけなのかなぁと。
先ほど母親がぽろっとこんなこと言いました。

「仕事も正社員でもないし、何も成し遂げられなかった人生だったなぁ」

こんなこと言われて娘の私としてはとても悲しい気持ちではあるんですが、
母は22歳という若さで私を産んで1人の人間を育て上げたのに、
それでも人生に対する達成感って得られないものなのかと驚く気持ちもありました。

そして思ったのです。どこで満足するかはもう本人の決めの問題なのではないか、と。
子供を産んでも、大企業で出世しても、誰と結婚しても、
「私の人生はこんなはずではない」「これでいいのか」「あの時もっとこうすれば良かったのではないか」
と悩むことはなくならなくて、ある程度悩んだり探求したりすることはいいことでもありますが、
ある程度のところで折り合いをつけないと一生、死ぬまで後悔ばかりして死んでゆくのではないかと。

ある人を選んで結婚する、子供も産む、結婚しない、子供を作らない、企業で働く、会社を辞める。人生において無限に選択肢があって、
だからこそ責任をもって自分で選んで、そして自分で選んだ選択肢はきちんと認めて愛してあげるというか。
それが本当に間違っていたと思うなら、仕切り直せばいいじゃん、と。

年齢を重ねるたびにその「仕切り直す」ことのリスクは増えていくことは重々理解はしていますが、不可能なことではないと思っています。
それができないなら文句言わず自分で選んだ選択肢を受け入れて愛する覚悟を持てばいいのです。

って思いながら生きてきたけど、これからもそういう気持ちは変わるどころか強くなっていくんだろうなと思いました。

同じ新潟県出身の小林麻央さんが33歳という若さで亡くなったことはとても大きな衝撃でした。
私と母親の共通の気持ちとしては「彼女は不運ではあったけど不幸ではなかったはずだ」ということです。
愛する人と結婚し、2人の子供に恵まれ、その愛した人たちに看取られ「愛している」と言いながら終える人生はその短さこそ不運ではあるものの、不幸ではないと。

長く生きたとしても、後悔ばかりの人生は嫌です。
そうならないためにも自分で決めて、自分の選択を愛していきます。
誰に何を言われても、それは自分自身の問題なので。

なんて思った、思っていたけどさらに強く思った夏でした。
明日東京に帰ります。

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