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乳幼児期の言語センスを育てるために①〜言語以前の表現力を伸ばす

自分の中に内在する感情や思考、意志を外側へ表出するために、最も手っ取り早いツールが言語だ。

私たち夫婦は元々読書で繋がった者同士、娘には「言葉」を大切に、また言語で自在に自分の中のものを外に出すことができる大人になってくれればいいな……と思ってきた。

そういうざっくりとした理想の中に、英語という引き出しも……といういささか欲張りな気持ちもあり、娘には生後4ヶ月から、かの有名な高額英語教材、通称DWEを与え、細々とおうち英語にも取り組んできた。

今考えると日本語と同時におうち英語に取り組んだことで、子供が「言語」を習得していくプロセスがとても分かりやすく分析できてきたように思う。

娘も4歳になった。
彼女が幼い頃の様子や取り組みの記憶が比較的フレッシュな今のうちに、この「言語習得・言語理解・言語力向上」を取り巻く様々な要素について、私自身が気づいたことや考えたことを、留めておこうと思う。

昔の取り組みを思い出しつつ、これまでの育児の軌跡を辿りながら、娘の言語力を成すものについて記述していく。

かなり長くなると思うので、いくつか記事を分け、出来る限りわかりやすく記せたらと思う。

はじめに言っておきたいが、私は言語学者でもないし乳幼児の言語に関する知識に通じているわけでもない、ただのその辺にいる「観察分析好きな、いち母親」である。
ただの娘の様子とそれに対する私の見解を細かく述べるのみに終始しており、これらに専門的な根拠があるわけではない。

子供の成長過程における言語習得の1パターンとして、読んでいただけたら本望である。

また、この記事を書いている現在も、ここに書くべきことがまだまだあるような気がしている。
恐らく今後追記をしていくだろうと思う。ご了承願いたい。

現在4歳。
公園の砂場で「castleの周りにはmoatと逆茂木が必要」
と木の枝で逆茂木を作っているところ

はじめに
〜全てのスキルは繋がる、という意識〜

自分なりの結論をまず記すと「言語力は人間的総合力で成される」ということなのだと思う。
私が娘を観察していて感じた「人間的総合力」というのは一体何かをざっくりと記すと

1、言語以前の表現力
2、想像力
3、会話のための引き出し(知識)の多さ
4、度胸や勇気
5、話し方や表現パターンの多さ
6、論理的思考
7、観察分析力
8、一言一言を吟味する力
9、自分の状態を俯瞰する力
10、傾聴力
11、会話上のマナーの習得
12、語彙力

あたりが挙げられるだろう。

番号をわざわざ振り、太字にしているから何だか大したことを言っているような印象を受けるだろうが、よく見てみて欲しい。

こんなこと誰かに言われなくても分かる、当たり前のことである。
いや、ホントに、自分でもびっくり。

そんな「わざわざ書くまでもない些細なこと」なのだが、結局子供の言語力に関しても突き詰めれば同じようなことが言えるのだろうと思った次第なのである。

自慢することではないが、私は昔からビジネス書の類を一切読まない人間だし、育児書に関しては一冊も目を通していない、勉強不足人間だ。
「完全オリジナルで我が道を突き進む育児」と言えば格好もつくが、まあ正直「モノは言いよう」である。

私のことは無知だけれど「己の無知の知」くらいは受け止めている正直者だと、認識していただけたら嬉しい。
こんな当たり前の気づきを列挙するのに、4年もかかってしまった。
何とも恥ずかしい限りである。

とは言え、この4年間必死で娘を観察してきて試行錯誤した結果、納得感を持ってこの結論に辿り着いているわけなので、急がば回れの結果オーライ、ではないだろうか。
怠惰には怠惰にしか開かれない道と景色があるものなのだ。
……まあ、これだって「モノは言いよう」だな。

と言うことで「言語センスをつけるのに絵本を闇雲に読むだけじゃあ無理でしょ」「語彙力あっても人前できちんと言葉を口から出せないと意味ないな」と、回り回って結局は「総合力」なのだと思うに至った。

この「乳幼児期の言語センスを育むために」シリーズでは、上に記した各々の要素について、私が娘に対して行ってきたアプローチや取り組みを、その月齢や年齢も含めてまとめていきたい。

0歳の赤ちゃんの頃。
一緒に傘の下に潜り込んで雨を楽しんだ

1、言語以前の表現力を伸ばす(0歳〜)

何事も「言葉にして自分の外に出す」というのはかなりハードルが高いものだ。
形にして己の外に出す、というのにはそれなりの動機がある。
伝えたい相手への強い共感だったり、どうしても主張したい思いや要求だったり、強い愛情だったり、理由は様々だろう。

まだ言葉を話せない赤ちゃんはその出力方法として、泣く・笑うの2パターンで行う。

と一般的には思われているが、実は違う、というのが私の私見だ。
私は、生まれて間もない娘を観察すると、もっといろんな方法で私たちに「伝えよう」と努力をしていることに気がついた。

おっぱいが飲みたい時は泣くよりも前に唇をチパチパと音を立てて鳴らすような仕草をしていた。
ウンチをする前に声を出して私を呼び、そこでウンウンと気張るような表情をしていた。
眠い時は泣く前に目を擦る仕草をしていたし、何か興味を持ってもっと見たい時は上唇を出して足をジタバタと動かしていた。

何か興味を持った時は上唇が出る

気がついて観察を重ねると、もうそれは意味を持った行動で間違いなかった。
これに気がついた時には、信じ難くて手が震えたのを覚えている。
私とて、初っぱなから、赤ちゃんなどどうせ「泣くしかできない生き物」という認識だったのだ。
「なんだこれ。赤ちゃんって、面白すぎてたまらんぞ」とゾクゾクして鳥肌が立った。

この気づきのおかげで、私は娘が空腹で泣く前に授乳ができるようになったし、ウンチでお尻が汚れた時も泣く間を与えずお尻を拭いてあげられた。
眠くて泣き出す前に寝かしつけのルーティンを遂行できたし、彼女が面白いと思っているものをタイムリーに山ほど与えてあげられた。

笑う・泣く、以外での表現ができるのであれば、そのバリエーションを増やしてあげたい、と当時の私は強く思った。
しかし相手は0歳の赤ちゃん。言語はまだ出ない。
親としてできるアプローチは限られるが、やれることは多分たくさんあるはずだ。

私は考えた。

★表現の種類や幅を増やす努力を行う

①表情の種類を教えてあげることを意識する
考えた末まずは、怒った顔、悲しい顔、嬉しい顔、眠い顔、様々な表情を大きく動かし、娘に提示することにした。
眉毛の位置や口角の微妙な違い、目の見開き方など、いちいち意識して娘の前で見せることにしたのだ。

最初は表情に「違い」がある、と気がついてもらいたいな、と思ったのである。
娘はこれをよく見ていた。
そして「泣く」以外の感情伝達方法として、できることは取り入れているようだった。

生後3ヶ月。嫌な時はこの顔をしていた。
今も嫌な時はこの顔をするので、基本的に私の認識は間違っていなかったと思う。
(この日は菜の花を見に散歩しに出かけたのだけれど、思いの外風が強くてこの顔をしていた)

「んー!」「あー!」「うー!」と一音で声を上げていたら、自分も気が向いた時には「ん」「あ」「う」で会話する
音が少なくても、そのイントネーションや声量、長音や単音を駆使すれば、喜怒哀楽を表現し、何かを相手に伝えることは可能だ。

また、音と表情をつなげることで、音だけで「自分の中にあるものが表現できる」認識と成功体験を積んでいった。

その後は「あー、あー」と娘が声を上げたら「お腹すいた?おっぱいあげるね」と言葉での声かけへと繋げていく。

★五感刺激をし、それを共有し、言葉と繋げる

台所から様々な大きさのボウルや茶碗を並べ、娘の周りに置く。
それをお玉で一つずつ叩き、その音を言葉で表現する遊びをよくしていた。

「ぼおん、ぼおん」「かん、かん」「ちん、ちん」「ティン、ティン」
「ぼおん、かん、かん、ちん、ちん、ぼおん、ティン、ぼおん」
と組み合わせて言葉で表現しながら奏でると、娘も面白そうに凝視して足を動かす。

音と響きを一緒に楽しんだ

雨の日は抱っこ紐で娘を抱っこし、外へ繰り出した。
傘をさし雨音を聞かせ、それを言葉で表現する。
「パタパタパタパタ」「バラバラバラバラ」「だーっ!」「パサパサパサ」

そよ風が吹いている時は木々の葉を一緒に見る。
「葉っぱが、ゆうらゆうら、揺れてるね」
「葉っぱが、ざわざわ、揺れてるね」
「葉っぱが、プルプル、震えてるね」
そして腕に抱く娘を、ゆうらゆうら揺らし、ざわざわ揺らし、プルプル揺らす。

その後、家で抱っこした時にも「ゆうらゆうら」と言いながら揺らし、ざわざわざわと言いながら揺らし、プルプルプルー!と言いながら小刻みに揺らすと大変楽しそうにした。

甘い果物を食べさせた時、目を見開いて嬉しそうにしていた時には、すかさず自分も同じものを口に入れる。
そして同じように目を見開いて嬉しそうな表情をし「甘い!すごく、甘い!」と大騒ぎをしてみせる。

五感は言葉以外の娘と私との共通言語だった。
同じものを聞き、見て、触り、嗅ぎ、味わう。
そしてその五感で感じたものと言葉とをシンプルに繋げていく作業を行うのだ。

今聞こえた音は「そよそよ」、今一緒に見たものの名前は「カラス」、今触ったこれは「ぷよぷよ」、今嗅いだこの匂いは「くさい」で、くさい時の表情はこんな感じ。
細かく「こんな風に表現するんだよ」といちいち紹介していくのである。

ある日は様々な野菜を並べ、触ったり匂いを嗅いだりして遊び、それを使って料理して食べる。
ある日はキッチンツールで危なくないもののみを並べておもちゃにする。
ある日は様々な種類の梱包材の下に一緒に潜り込む。
ある日はすべての部屋の天井を見せて色や壁紙を観察する。
ある日は窓を開けて風で揺れるカーテンがどんな風に日差しを変えるか見て楽しむ。
ある日は色んな色や大きさの葉っぱを集めて裏表それぞれ触ったり、観察したりして遊ぶ。
ある日は森の中へ行き、鳥の声ひとつひとつに耳を澄ましてマネ遊びをする。
ある日は石拾いをして、石がどんな様子か説明して遊ぶ。

視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。
そこに繋がりゆく言葉の数々を、その時々で細かく紹介した。

梱包材を集めてきて触り心地や音や透け感を楽しむ

◉言語以前の表現力をつけることで得られた効果

①アウトプットのハードルを下げる

これまでに記した、「表情や声音の種類」「よく聞くことやよく見ること、よく感じることのクセづけを行うこと」などの、言語以外・言語以前の表現力をつけていくことは「自分の中にあるものを外に出す練習」へと繋がっていくのではないかなと思う。

お腹が空いたら泣く、以外の表現方法を身につけそれを他者にわかってもらえる成功体験が得られたら、おそらく「泣く」以外の表現方法があるのだと学び実践していく。
唇をチパチパと鳴らすだけでなく、「あ」だけで空腹を伝えられるようになっていく。
そして時が熟せば、その「あ」が「お腹すいた」と表現できることへの理解へと自ずと繋げていく。

②精神的な状態が常に安定する

様々な表現方法や伝達方法があり、それを知った上で「泣かずに伝えられる」成功体験を重ねていくと、娘は余程の必要性や緊急性がなければ「泣く」手段を取らなくなった。
(逆に彼女が「泣く」ということは、何か重大なことが彼女に起こっているという判断基準にもなった)

我が家の泣かない赤ちゃんがどう育ったかと言うと、程なくして「安定して機嫌が良い」子供になった。
安定して機嫌が良いと得られるメリットは母子双方に多々あるのだが、その中で一番大きいものが「なんでもスルスル吸収する状態を常に作れる」ことである。

泣かないから体力が削がれず疲れない。
さらには、親が自分の状態を常に快適に保ってくれる安心感からか、絶対的な信頼関係が母娘の間で構築され、基本的にずっと楽しそうにしている。

彼女は自分の不機嫌とは遠い場所で、よく人の声を聞き、遊びや好きなことに集中できていた。
なるほどストレスがない状態は、何事にも集中して楽しむ土台が常にある状態とイコールなのだろう。

0歳の娘はとにかく連日、機嫌よく「絵本の読み聞かせ」をねだっていた。
「ん〜♪」の一音を発しながら本棚の方へズルズル向かい、本を一冊取り出す。
「ん!ん!」と言い持ってきて読んで欲しいと表情でアピールする。
「ん゛」の一音で「もっと読め」と催促する。
要求が叶えられ機嫌よく読み聞かせを楽しみ、読み聞かせが止まると「ん゛ー!ん゛ー!」で「やめるな」と文句を言う。

私は自分自身も本が好きなこともあり、毎日彼女が満足する冊数の絵本をウホウホ言いながら読んだ。
日本語英語合わせて毎日80冊から100冊の絵本を読み聞かせており、1歳3ヶ月の段階で、1万冊以上の絵本を読んだ。
(絵本以外の本も山ほど読んだが、こちらはカウントしていなかった)
ウホウホ言いながらも、それは壮絶で大変辛い日々だったが、圧倒的なインプット量だったのだろうと思う。

結果、1歳5ヶ月で500語を操り3語文を話すおしゃべりモンスターを爆誕させるに至った。

今になって振り返ると、彼女がこれほどに一つのことに熱中し集中できたのはこの「機嫌の良さ」がその地盤にあったからだと、確信できる。
絵本を沢山読みたい、と親が思っていたとしても、そもそも絵本を沢山聞ける状態でないと子供は絵本に集中できない。
常に「ノリノリで調子が良い状態」であればある程、本人も集中して好きなことに熱中できる。

尚、当時、絵本も感情を込めてセリフっぽく読むと「口調」や「話す速度」の参考になり娘の表現力に繋がるかなと思い、淡々と読まずに大変騒がしく読んでいた。
(4歳で演劇を始めたが、まあまあ役に立っているんじゃないかと思っている)

※絵本の読み聞かせに関しては次の記事、またはその次の記事にて詳細を記したいと思っている

ただし、ここでの「機嫌の良い状態を作ること」に関して一つ注意点を述べると、あくまで親が「子の機嫌取り」のために動かないことだと思う。
あくまで「言語以外で対話をする努力」の副産物が、この「ご機嫌さん」であって「機嫌よくさせる」を目的化した行動をとると、追々マイナス面が出てくるだろう。

1日通して楽しそうに過ごしていた

③イヤイヤ期の重症化を防ぐ


娘は1歳後半にイヤイヤ期に入った。
が、結果として1ヶ月くらいでこのイヤイヤ期は終息に向かった。

1歳5ヶ月で3語文を話していた娘にとって「言葉で伝えられない」というストレスがそもそもあまりなかったというのもあるが、「言葉以外で伝える手段」も、彼女はその時すでに沢山持っていたのだろう。
表情で己の中の複雑さを私に伝えてきたし、仕草や行動での表現方法も沢山引き出しがあったように思う。

※イヤイヤ期をどう過ごしたか、またイヤイヤ期中の取り組みは、またいずれ記事にしたいと思っている。

④観察力向上につながる

語感刺激と言葉を繋げる行為が習慣化していたせいで「よく見る」「よく聞く」「よく考える」「よく表現する」が自然と習慣化した。

ものや人の様子を観察すること、自分が見ているものや聞いているもの、または自分自身のことも観察し、それを正しく言葉にする努力に繋がっている気がしている。

4歳である現在、自分の機嫌が悪い時には
「ごめんね。なんか機嫌が悪いの。もやもやする。なんで機嫌が悪いのかを考えてるんだけど、ちょっと分からない。疲れてるんじゃないと思うし体調は良いよ。体は元気……」
などと言ってくれる。
「じゃあそのモヤモヤをなくすためにはどうしたら良いか一緒に考えるよ」
と対話が可能になる。
これは親としても大変ありがたいことである。

他にもこの「非言語での表現力をあげる」ことに関わるメリットをあげるときりがないように思える。
我が家の育児の中では、乳児期に「言語以前の表現力」を意識したことで、娘自信が様々なものを受け止める受け皿が大きくなったことは疑いようがない気がしている。

言葉が出る前の0歳〜1歳期間というのは授乳に寝不足、離乳食作りと、母も忙しく日々ぐったりしている時期だとは思う。
ただ、もし今後出産し育児される方がこの文章を読んでくださっているのであれば、この0歳期間をどうか心底大切にされることを私は勧めたい。
赤ちゃんだと侮らず、よく観察しよく歩み寄ると、案外面白く意思疎通が叶う生き物なのだ。

こちらの記事は「乳幼児期の言語センスを育てるために」シリーズの①として書いている。
引き続き同シリーズでは、同じテーマに沿った取り組みを書き綴っていくつもりである。
「乳幼児の言語センスを育てるために」シリーズ②は「想像力」にフォーカスして行きたい。
我が家が「想像力育成」を目的とした取り組みやその効果と見解、そして今後の計画について、次回は綴って行こうと思う。







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