エッセイ| 下着というよりは隠してる。
隠した方がいい下着がある。
私は基本的に下着はいつも3つ。その都度洗う。もちろん、光熱水費を安くするために洗濯物はためておくけれど、それ以外はいつもその時の綺麗な下着を履く、と思っている。
逆に、コートなどはある程度時間が経過してクリーニングに出さなきゃと自分で判断したものはクリーニングに出す。
そんなことを繰り返している私の生活で、引っ越して、すぐに引っ込めた勝負下着がある。穿かない内にタンスに戻した下着だ。
そしてそれは、今も私にとっては鮮やかなのだ。
なぜタンスに戻そうと思ったかというと、私の日々の活動の〝重し〟になると思ったから。
この下着を世に放たないことで、いつか穿くことを夢見続けることができて、さらに言えば、いつか穿ける未来の生活を続けられると思ったからだ。
――なんのはなしですか。
ここまでは下着の記事の話だけれど、昔買ったお気に入りの細見の服においても、「この服だけはタンスの底から出してやらない」と思っている洋服がひとつあると、自分を支える重しとなり、有り難みすら感じる。
着ることができない服を捨てることで、解き放たれて今の自分に合う服を買いたくなる人もいると思うけれど、私はそうではないみたい。
ある程度タンスの中で飼い慣らすことが、一番バランスのいい方法だったりする。
なんのはなしですか。
…大変申し訳ございません
おそらく、この記事こそ下書きに戻すべきだとも思いましたが
どうしても、書きたくなってしまいました…
怒られるか、あきれられると思いますので、元記事の引用は控えさせていただきます。
P.S. すみません、ノノ様にたいほされてしまいました…
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