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2人の大人

「個性」という言葉がまだ新鮮だったあの頃。

高校生の頃に同級生Aと2人で受講した、都内のある美術予備校での話。教育の一場面として印象に残る出来事に出会った。

地方ののんびりした高校で受験に対する危機感も大して抱かず、週末だけの絵画教室に通い、高3の2学期でありながら油絵を数えるほどしか描かないままで、都内の美術予備校の冬期講習会に私達は突入した。これは戦場に丸腰で臨むに等しい。

その時の選択クラスはそれぞれの志望校に準じており、Aは国立やリベラルな私立を目指すコース、私は比較的アカデミックな私立を目指すコースだった。

講習会の終盤には、担当の講師との面談があった。その時、2学期に自主的に作った作品を見せるのだが、その時私が持参したのは数点の木炭デッサンとたった1枚だけの油絵だった。受験生としてはかなり少ない。私の担当だった講師は激怒し、無駄に時間を過ごしたことを散々責め立てた挙句、こんなんじゃ受からないよと吐き捨て、作品の内容には全く触れずにその場を立ち去った。私は放心し、青ざめた顔でじっとするしかなかった。過ぎてしまった時間は戻せない。まだ残っている講習会で自分はどんな顔で、どんなやり方で過ごせばいいか全くわからなかった。もしかしたら講師の後を走って追いかけ、振り払われてもなりふり構わずしがみつき、「お願いですどんなことでも頑張りますから、ご指導お願いします!」なんて涙ながらに訴えていればもう少し結果が違っていただろうか。そんな発想もなかった当時の私は、ひたすら恥ずかしくみじめで、消え去りたいという思いしかなかった。

そんな調子で不毛な冬期講習会をなんとか耐えしのび、暗黒のような受験日程を終えた私はAと話す機会があった。そこで冬季講習会の様子を訊いた。面談ではずいぶんと叱られたでしょう、と訊くと彼女は否定した。

Aのいたクラスの講師は、これまでの作品の量が極めて少ないことについてはとりあえず受け止めた。責めるような態度は取らなかったという。それなら今からできることを一緒に考えようとすぐ切り替えたそうだ。Aのクラスでは1日に複数の課題を連続で出され、それに対して生徒たちがエスキース帳にアイデアスケッチだけして講師の前に列を作ったそうだ。順番が回ってくると講師が「これいいね。それならここにアレを描いてもっとこうしようか。」という感じでかなり具体的な添削指導をしてくれたという。受験対策としては大変前向きでスピーディーなやり方だったようだ。ドライというか、受験生もきっと落ち込む暇がなかっただろう。それでAは現役合格したのである。すでに浪人が決定していた私は正直、あのアカデミックな私大クラスを選んだことを悔やんだ。

教育は教える立場の個性だけではなく、受ける側の様子やその場の状況によっても様々なバリエーションが生じてくるだろう。しかし指導する側の恫喝とそれからの一方的な指導放棄はどんな状況下にあっても、お互いにとって何の利益も生まないのではないだろうか。最近色々な教育問題を見聞きするたび、予備校での体験を思い出す。




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