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「禅画」がアートだとわかると,アートの本質がわかる…かも。

「アート」を制作する目的は、なんでしょう。

私はアーティストではないので、実際のところは分かりませんけれど、おそらく、感情とか、感覚とかを、言葉や絵画や彫刻や映像やパフォーマンスにして、誰かに「伝えること」なのかな、と思います。

文字で伝える場合は詩歌や小説の形をとり,2次元で伝える場合は絵画や書画の形をとり,3次元で伝える場合は彫刻などの立体物の形をとり,音や空間や体験で伝える場合はパフォーマンスの形をとるのではないでしょうか。自分が「この手法の方が伝わりやすい」と思う手法で表現するのでしょう。文章を得意とする人は文字で,絵が得意な人は絵画で。

「誰かに伝える」と書きましたが,必ずしも他人ではなく「自分」に伝える場合もあるかもしれませんね。他人に見せることが目的ではなく,自分に見せることを目的に。

どのような表現方法を選択するにせよ,アーティストには,まずは誰かに伝えたい「情熱」が必要ですね。この情熱がないと何も表現できない,というか,表現するものがない。その次に,表現する「技術」が必要。このふたつがそろって初めて「アーティスト」になれるのでしょう。

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先日,福岡市美術館で『仙厓ー小西コレクション』展が始まりました(2019.10.1-12.10)。実業家・小西友次郎氏のご子息から寄贈された,仙厓義梵(せんがいぎぼん)というお坊さんの書画や愛蔵品のコレクションの,初展示です。
仙厓は,今から200年程前、博多の聖福寺というお寺の住持をされた後、亡くなられるまで博多の地で暮らした、禅僧です。この仙厓による書画が、当時の博多の人々に大人気で「博多の仙厓さん」と呼ばれ、親しまれていたそうです。(というわけで,私もここからは「仙厓」ではなく「仙厓さん」と呼ばせていただきます(^^))

小西氏の仙厓コレクションは,「初期に描かれた謹直なスタイルの禅画から晩年のゆるくてかわいい動物たち、そして、茶器や文房具などの日用品も含んでおり、仙厓のすべてを知りたいと願ったコレクターの思いが伝わってきます」というもので,この展示を観たり,担当学芸員である宮田くんの話を聞くと,仙厓さんの作品もさることながら、仙厓さんという人間について興味が湧いてきます。

もう一度言います。仙厓さんは,お坊さんです。そのお坊さんの描いたものが,時を経て,今,公立の美術館に展示されています。はて。仙厓さんの絵はいつの間に「アート」になったのでしょう。少なくとも仙厓さんは,存命中,自分のことを「アーティストだ」なんて思っていなかったのではないかと思います。

そんな仙厓さんの描いたものがなぜ今,美術館に飾られているかと考えると,やはりそこには作者が情熱を持って「伝えたいもの」があり,それを伝える技術が優れていたからでしょう。

仙厓さんが情熱を持って伝えたかったもの,それは,「禅の教え」です。


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例えばこの《円相図》(福岡市美術館所蔵・小西コレクション)。円相は,禅画で「悟りの境地」を表現した主題です。

「悟りの境地」を弟子たちに伝えるのに,言葉では十分説明できない部分を,円相という「記号」で表現したんですね。その横には,悟りについての説明が添えられています。

一方,仙厓さんは,こんな《円相図》も描いています。(福岡市美術館所蔵・石村コレクション)

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横に書いてある字が少なくなりましたね。なんと書いてあるかというと「これくふて 御茶まひれ」つまり,この饅頭を食べてお茶でもどうぞ,と。

一気にユーモアが出てきました。こともあろうに「悟りの境地」を饅頭に見立てて召し上がれなどと,ここまでふざけていいのか,と心配になります。

しかし,こんなふざけた禅画の背景には,やっぱり「伝えたい」という,誰よりも強い情熱があったのですよ!

この「ふざけた」《円相図》は,どうやら禅の教えなんてよく分からない,どこにでもいる市井の人,つまりは私たちに向けて描いたものなのです。禅の教えに疎い私たちに向けて,悟りの境地について説明してもまさに「説教じみて」聞く耳を持たない。ところが,悟りの境地と言われている「円相」を描き「これを食べてお茶でもどうぞ」なんて言われたら,笑っちゃいます。おもしろいから,他人にも教えたくなっちゃいます。ありがたいよく分からないお坊さんの書を飾るより,この掛け軸を部屋に飾っておこうかという気になります。

そう,こうして,仙厓さんという,類稀なるCMプランナーの術中にハマるのですよ!禅の教えなんてよく分からない一般ピープルに,まんまと禅画を話のネタにさせ,部屋に飾らせるのです。これが仙厓さんの作戦だったわけですよ。

「いやいや,いくらCMとはいえ,商品を茶化すのは如何なものか」って?

とんでもない。この「食べてしまえ」という考え自体,禅の教えをバカにしているわけでは決してないのです。
「描かれた円(悟り)は消さなければならない」,つまり悟ったと思って修行をやめてはいけない,という考え方もあるので,「食べてしまえ」というのは,禅の教えとしては間違っていないわけです。
お坊さんの描いた円相をありがたく眺めてばかりいてはいけない,ということを言いたかったのかもしれません。

仙厓さんは,「市井の人々に禅の教えを浸透させたい」という思いを達成するため,強い情熱を持って,得意の絵画の技術を存分に発揮したのです。

こちらの《犬図》(福岡市美術館所蔵・石村コレクション)

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こんなのを見ると「いや,これ,上手いのか?」と思われるかもしれませんが,仙厓さんの若い頃の作品の数々を見ると,やっぱり元々は絵を描くのがめっちゃ上手いんですよ。ピカソだって子どもが描いたような絵が有名ですが,若い頃からめっちゃデッサンがうまかった,というのは有名な話です。
この《犬図》も、さらっと描いているようにみえますが,一筆でこの犬の輪郭を描く(しかも尻尾から描いているらしい)というのは,なかなか真似できるものではありませんよ。

そして,これこそ今で言う「ゆるかわ」キャラクター戦略の元祖では?!

というわけで,200年の時を経て,福岡市美術館のミュージアムショップでしっかりグッズ化して活用されています(^^)

こちらの《双狗図》(福岡市美術館所蔵・小西コレクション)は見るからに上手いですね。

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こんなかわいい動物の絵を描くのも,禅画に関心を持たせるための戦略なのか,あるいは皆が「かわいい」と思い気持ちをひとつにすることこそ,禅の教えにつながるのか。

というわけで,仙厓さんは,伝えたいという強い「情熱」と優れた「技術」を備えた,立派なアーティストなのですね。

さらに,「人に伝える」という目的を達成するために,伝える相手によって表現手法を変えるなど,優れたCMプランナーでもあったのです。

人に何かを伝えることができるもの,それがアートなのだと思います。

さて,私のnoteは,あなたに何かを伝えることができたでしょうか?(^^)

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【参考文献】

『仙厓ー小西コレクション』(宮田 太樹・編集)福岡市美術館(2019.10発行)

『(別冊太陽)仙厓 ユーモアあふれる禅のこころ』(中山喜一朗・監修)平凡社(2016.10発行)

『仙厓の○△◻︎(まるさんかくしかく)無法の禅画を楽しむ法』(中山喜一朗・著)弦書房(2003.8発行)

※ちなみに上記著者の「中山喜一朗」は、現在、福岡市美術館の館長なのです!館長ブログもおすすめ(^^)

【2019.11.5現在,開催中の仙厓関連展覧会】

「仙厓ー小西コレクション」福岡市美術館(2019.10.1-12.1)

「ZENGA 白隠と仙厓展」佐川美術館(2019.10.1-12.1)…福岡市美術館所蔵・石村コレクションなどの仙厓による禅画と,白隠の禅画の共通点と違いが楽しめます。

「仙厓と禅の美」出光美術館(2019.10.11-12.15)…日本一の仙厓コレクターとして有名な出光佐三氏の珠玉のコレクション。