友人の自殺に寄せて

先日とても悲しいことがあり、うまく整理はできると思うけれども、うまく整理したまんまでいいのか分からない。それは整理できてないということかと。

こういうのは、ちゃんと悲しんだほうがいいのだけれども、その機会がなく、なんとももどかしい。

バスクラリネットとは高校の青春そのもので、また、その時間で出会った仲間はかけがえのない存在だと、この機会にあらためて考えさせられた。でも、時間が経つに連れそれぞれ離れ離れになり、ふとしたときに、声をかけられなくなる。仕方がないことなのだけれども、こんなに仲間がいるのに、どうしたものかと。

……
友人が自殺した。
最初にその一報を聞いたとき「自殺した。」と言った後に「でも未遂に終わって現在病院で入院している」という言葉を期待した。でも淡々と経緯を聞き、そんな言葉は出てこない。言葉の額面通り、死んだというのは分かった。それでも実感がわかない。

友達の死ということにどのような気構えでいればわからなかったし、さらに自殺となると、情報過多過ぎてどう捉えていいのか分からない。

とりあえず、自分の気持ちを整理してみて、言葉にしてみると「とても悲しいことが起きた」と言葉にしてみた。
そう、悲しいのだけど、でも悲しいという実感も湧かない。

彼とは3年近く会ってなく、彼は東京に居た。繊細な心を持っていたよなぁと振り返る。だから自殺のリスクはあったのかもしれない。

という感じで、冷静に分析してみる。でも冷静に分析していいことなのだろうか、ちゃんと喪に服すようなちゃんと悲しまなければならないじゃないのか。そう思ってしまう。

しかし、それでも日常生活を送らないといけないから、忘れないといけないと日常を送れない。

だが、仕事を一段落して、少し時間と心に隙間が出た瞬間、涙が出てくる。これは悲しいから泣いているのかどうなのか分からない。

これが、ちゃんと葬式や初七日といった場所でちゃんと泣ける時間があればいいのに、その機会がなく、泣いていいのか分からない。


彼のことは許せない。勝手に命を断つなんて。

でも、死神が現れたのだろう。1人ぽつんとしていたら、急に心に穴が空いて、そこから深い闇に落ちいくような感覚。気がつけば、自らの命を潰そうとしている感覚。その時に死神のようなものが現れたのだろう。

そう思うと、彼が死んだのは「仕方がない」ことと思えるようにもなる。

彼の死の後、彼の仲間が集まってどのような追悼をすればよいか話し合った。彼の写真を集めようということになったけれど、集めれば彼との楽しかった日々を思い出してしまって泣いてしまう。でも、どんどん集めれば、悲しい気持ちより、彼との楽しかった記憶で溢れて、悲しさより大きい思い出になって、僕らの悲しさを癒やしくれる。

シャワー浴びたあと、ドライヤーで乾かすと抜け毛が多い。なんでだろうと考えてみる。たぶん、ストレスがかかったら抜けていくやつなんだと思う。

ようやく、抜け毛が収まった。

自殺は少し元気がないぐらいの人がしやすい。うつ病でもうつ病の治りかけの人が一番危ない。

まったく元気がなければ自殺したいという「意思」よりも物理的に体が動けなくて「行動」できないから、自殺ができない。

しかし、少し元気ないくらいなら、自殺したいという「意思」があると、動ける元気はあるから、実際に自殺する「行動」をすることができる。

深酒が危ないらしく、不安から目をそらすために深酒をして酔い、目が覚めて、冷静になって不安が急激に押し寄せて、その時に、ぽつんと死にたくなるらしい。

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