「中の人」を軸としたバーチャル世界観三分類と世界観の認識齟齬について

こんばんは。ジョン・オービンです。

今回は、前から考えていた「バーチャル存在」の世界観的な分類について、自分の考えをまとめておこうと思います。言葉の定義というよりは、こういう感じの世界観があるよねー、というふわっとした話だと思ってください。
あ、ちなみに、「バーチャル存在」の定義は、「なんかバーチャルって名を付けて活動しているものの総称」ぐらいの意味です。ふわっとしてます。

さて、今回は「中の人」との関係を軸として話を進めます。はい、メタな話です。

分類は「中の人はいない」「中の人と同一人物」「中の人とは別人格」です。それぞれに一応名前も付けました。これらは私が勝手に定義付けしたもので、一般的な意味とは違うのでご了承ください。

バーチャルライバー

・バーチャル世界の住人。
・中の人はいない、もしくは関係ない、というスタンス。一つの独立した人格であるとみなされる。
・中の人に対して「魂」という表現を使うことが慣習上多い。
・キズナアイ、電脳少女シロ、にじさんじ所属のライバーなど代表例。

→既存の似た存在
一部のマスコットキャラクター(くまモン、プロ野球球団マスコット)など

バーチャルダイバー

・リアル世界の人間が、バーチャルのガワ(アバター)をかぶって活動している。
・中の人と、バーチャル存在は同一人物として扱われる。おっさんが幼女になっていても、同一人物と言い張れば同一人物。
・同一人物なので、中の人という言い方はあまりしない。
・バーチャルアメリカザリガニが代表例。

→既存の似た存在
オンラインゲームのプレイヤーキャラクター、SNSのアカウントなど

バーチャルキャラクター

・バーチャル世界にいるキャラクターをリアル世界の人間が演じている。
・中の人は存在しているが、バーチャル存在とは別人格として扱われる。バーチャル存在は、あくまで作られた創作物であり、リアル世界の人間が演じているという扱い。
・中の人は、アニメに準じて声優・CVと呼ばれることが多い。
・22/7が代表例。

→既存の似た存在
アニメ・演劇などのキャラクター


かなり大雑把な分類なので、三つの境界はあいまいです。それぞれの中間にいるような人もいたりします。境界があいまいなものですから、Vtuber界隈には、この三種類がごちゃっと区別されずに存在しています。

ちなみに、三つの世界観を持った存在が一緒に活動できるのか?という話についてですが、出来ます。
Abemaのにじさんじのくじじゅうじでは、タイムマシーン3号がバーチャルダイバーとして、バーチャルライバーのにじさんじ勢とやりとりしてます。また、途中からボケ役のタイムマシーン3号・関太さんがバーチャルキャラクター天川さくらに(いつの間にか)なっていることに対して山本さんがツッコミを入れたり、リアル世界でバーチャルライバーとリアル世界の関太さんが一緒にお菓子作りをしたりしてます。
世界観が違っても、それが障壁にはならない、ということです。

この分類を思いついたきっかけ

この名称と分類を思いついたきっかけは、泉信行さんの以下のツイートツリー。

見ての通り、元ツイートでは、日本のVtuberは、実質上「バーチャルライバー」的な世界観を前提にしていると語っています。これについては、「去年の5月時点では正しい。現在でも半分以上正しい」と思います。

バーチャルユーチューバー(Vtuber)という言葉はキズナアイさんが始めに使った言葉です。キズナアイさんはバーチャルライバー的な世界観で活動されていますので、「この世界観がVtuber」と思われる方も多いし、それはある意味正しい認識です。しかし、現実的にはVtuberという言葉がバズって広まるにつれて、多くの世界観を持つものがVtuber業界に含まれるようになった。その過程で、バーチャルダイバーやバーチャルキャラクターといったものも、Vtuberの一種として取り込まれ始めており、現在はその過渡期にある、というのが私の認識です。

しいて言うなら、狭義のVtuberはバーチャルライバー的な世界観を持っており、広義のVtuberはバーチャル存在全てを指す、と言った感じでしょうか。

※2/20 追記
バーチャルダイバーの元ネタ説明が抜けていたので追記します。

杉ノ(旧名:杉ノ美兎)さんは、月ノ美兎さんのパロディである自作3Dモデルを使用して活動されていた方で、自身をバーチャルダイバーと称していました。バーチャルライバーをもじった言葉です。

杉ノさんが使っていたバーチャルダイバーの定義は、私の定義よりも広く「3Dや2Dのモデルだけでなく、YouTubeやTwitterのアカウント等も一種のバーチャル世界のアバターとみなし、それらを通じてバーチャル世界で活動(コメントやツイート)してる人全て(一般のファンや業界のスタッフなどを含む)」という定義だったと思われます。杉ノさんが、それを名乗る理由は「自分は3Dモデルを持っているけど、アバターの種類が違うだけで他の人と同じ月ノ美兎の一ファンだよ」という意図だったように思います。

「中の人」を軸にした私の定義とは着目点が違いますので、他の方が使っている場合には意味が違っている可能性がありますのでご注意ください。あくまで、私が使用する場合の呼び名ということでご容赦を。(潜るというイメージがぴったりだったもので仮称として付けさせていただいております)

世界観の認識齟齬から来る反応

さて、ここから先は少しだけ真面目な話。
Vtuberが流行り始めた去年の4月頃に出た人々の反応や、今回のバーチャルジャニーズ発表時の反応って、この辺りの意識のずれがあるんじゃないかな、と思うのです。

人間は新しいものに出会った時、それを自身の中にある既存の似た存在に当てはめて理解しようとします。
例えば、アニメ業界が好きなファンは、まずバーチャル存在をアニメキャラに似た「バーチャルキャラクター」として認識します。
なので、バーチャルライバーに対して「声優は誰だろう?」と思ったり、バーチャルダイバーに対して「なんでちゃんと演技しないんだろう?」と疑問を持ったりします。

キズナアイさんなどを中心とするVtuberにハマっている人は、新しくVtuber界に入ってくるバーチャル存在を狭義のVtuberである「バーチャルライバー」として認識します。
なので、バーチャルダイバーやバーチャルキャラクターに対して「魂を公開するのはご法度」という反応を見せることがあります。例えば、バーチャルジャニーズは、世界観で言えば、おそらくバーチャルキャラクターなのですが、それに対して「CVって言うのは違うんじゃない?」といった反応があったりします。

これらの反応は、わりと自然なことだと思うんですね。新しい業界ですので、こういった反応が出ること自体は当たり前のことだと思っています。

ただ、問題があるとすれば、そこから一歩踏み出して「バーチャル世界には様々な世界観を持った人間がいることを理解し」「それぞれの世界観を尊重して接すること」へ向かうための考え方・例示みたいなものが少ないことじゃないだろうか、と思って、この記事を書きました。
まぁ定義や呼び方など、全部あいまいなものばかりですが、「色んな世界観があるんだなぁー」と思っていただいて、それを理解し、受け入れようとする気持ちの一助になれば幸いです。

ジョン・オービンがバーチャル世界に望むこと

ここから先は、私の理想の話です。

私がVtuber業界で、いいと思っている文化は、例えば「ぼくは悪魔だ」と言ったら「そうなんだ。よろしくね」と言ってくれたり、「私は現実世界では男性で社長やってますが、バーチャルではケモミミの女の子です」と言ったら「そうなんだ。かわいいね」と言ってくれたりする「自分が表現したい自分をそのまま受け入れてくれる文化」「多様性を許容する文化」だと思うのですね。

だから「Vtuberとはこういう世界観を持った人だ」という縛りは必要ないと考えています。現実と同じ格好でバーチャル世界に来たっていいし、現実と別人格として理想のキャラクターを演じたっていい。バーチャル世界は、バーチャル世界の住民だけのものじゃない。そういう自由で多様性にあふれた世界になってほしい、というのが私の願いです。

今後、Vtuberを中心としたバーチャル世界は、どんどん広がっていくと思います。そのバーチャル世界が、常に新しいものを認め許容する、自由な世界であることを願って。

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