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ジェンダーバイアス禁止のルールづくりは、過干渉な毒親的思考ではないのか?

※この記事は、最後まで無料で読めます(2019/4/14、4/16加筆、4/17 八項目後半を修正)

漫画家の楠本まき先生がハフポストの取材に応じた4月10日の インタビュー記事 を読んでいて、先生の「ジェンダーバイアスにも何らかのルールを作ればいいと思う」という発言が気にかかった。

4月8日は、過激コンテンツ放置のネット企業に制裁金、欧州議会委が承認 というロイターの記事を読んだ後だったこともあり、筆者としては、改めて表現規制について考えるきっかけとなった。

先に述べておくと、筆者は、ルールによって他人の表現に口を挟むことに反対する立場だ。

楠本先生ご自身が、ジェンダーバイアスに囚われない作品づくりを追求することは先生の自由だ。しかし、その価値観をルール化して他のクリエイターに強いることは、他人が描く作品に対する表現統制であり、それはおかしいと考えている。


少女漫画は変化してきたし、この先も必ず変わる

1960年代から少女漫画を見ていくと、漫画の主人公や登場人物は変化しているし多様化してきた。そして、これらはこの先の未来においても必ず変わっていくものである。

なぜなら、漫画家などのクリエイターは、その時代を実際に生きている人たちだからだ。その時代を生きている以上、その時代の流行りから影響を受けるし、執筆中に見聞きした社会問題なども意識するだろう。

そもそもクリエイターという生き物は、どうしようもなく新しいものが好きだったり、廃れてしまったものへの愛で溢れていたり、現状では満たされない衝動を創作意欲にしているのではないか?

先輩が試みたことを引き継いで改善することもあれば、先輩がやらなかったことへの挑戦だって考える。どう考えても、今の流行りが10年後も、20年後もそのまま続いている事態など起こりえない。

楠本先生のように、ジェンダーバイアスに注意を払っている人々が居ることは分かる。

しかし、ジェンダーバイアスを禁止するルールを設けることは、これまでクリエイターたちが積み上げてきた変化を過小評価している。ルールづくりの訴えは、将来に渡って変化していくことはないと先生方が勝手に抱いた絶望の表明でしかなく、他のクリエイターの創作活動にまで口を挟もうとするのは行き過ぎだ。

1960年代
・ひみつのアッコちゃん(赤塚不二夫)
・魔法使いサリー(横山光輝)
・アタックNo.1(浦野千賀子)
・サインはV!(原作:神保史郎 作画:望月あきら)

1970年代
・ポーの一族(萩尾望都)
・ベルサイユのばら(池田理代子)
・エースをねらえ!(山本鈴美香)
・はいからさんが通る(大和和紀)
・ガラスの仮面(美内すずえ)
・王家の紋章(細川智栄子)
・生徒諸君!(庄司陽子)
・パタリロ!(魔夜峰央)

1980年代
・有閑倶楽部(一条ゆかり)
・ときめきトゥナイト(池野恋)
・ちびまる子ちゃん(さくらももこ)
・ぼくの地球を守って(日渡早紀)
・動物のお医者さん(佐々木倫子)

1990年代
・イタズラなKiss(多田かおる)
・天使なんかじゃない(矢沢あい)
・美少女戦士セーラームーン(武内直子)
・花より男子(神尾葉子)
・ふしぎ遊戯(渡瀬悠宇)

2000年代
・NANA(矢沢あい)
・ハチミツとクローバー(羽海野チカ)
・のだめカンタービレ(二ノ宮知子)
・ライフ(すえのぶけいこ)
・ホタルノヒカリ(ひうらさとる)
・君に届け(椎名軽穂)
・僕の初恋をキミに捧ぐ(青木琴美)

2010年代
・ちはやふる(末次由紀)
・僕等がいた(小畑友紀)
・今日、恋をはじめます(水波風南)
・夏目友人帳(緑川ゆき)
・好きです鈴木くん!!(池山田剛)
・アオハライド(咲坂伊緒)
・orange(高野苺)
・俺物語(原作:河原和音 画:アルコ)

年代流行より



06年から13年へ、アイドル志望の少女を描くアニメから恋愛要素が消えた

女性のキャラクターに限っても、性格付けや劇中での役割は多様化している。これは、クリエイターたちが、それぞれに「次の面白いもの」を考えてきた成果だろう。

例えば、少女漫画雑誌『ちゃお』の看板作品で、2006年から金曜6時枠でアニメも放映された『きらりん☆レボリューション』という作品があった。

中学2年生の少女・月島ひかりが、一目惚れした人気アイドルSHIPSの日渡星司に近づくために自分もアイドルを目指すというストーリーだ。主人公の恋の行方や、ライバルとの競争・妨害工作にめげることなく主人公が芸能界を生き抜いていく姿を描いており、SHIPSの日渡星司と風真宙人も危なっかしい主人公を支える主要人物として活躍している。

しかし、同じ中学2年生でアイドル志望の少女を描いた作品でも、2013年に木曜6時枠でスタートした『アイカツ!』では趣が大きく変わる。

主人公の星宮いちごが関わるのは、同じ様にアイドルを目指す少女たちだ。共にアイドルを志す仲間たちと訓練やオーディションを重ねて、アイドルデビュー、アイドルとしての成長していく姿を描いている。『アイカツ!』で男性キャラといえば、主人公たちが通う学園の教師や劇中で制作される番組スタッフなどで、思春期の恋に揺れる乙女心という要素は無い。

放映スタートが7年違うだけで、アイドルを目指す中学2年生の主人公がこれだけ変わるのである。

思えば、2004年の『ふたりはプリキュア』の時点で、変身して身体能力の上昇した主人公の一人であるキュアブラックが、第1話から敵の男幹部に渾身のスピアー・タックルを決めているわけで。男性に虐げられる女性像など、少女漫画に負のジェンダーロールはどの程度残っているのだろうか?

男の子プリキュアとは何だったのか? 自分らしさを訴えてきたHUGっと!プリキュア  著・鮎滝 渉



少女漫画は、女性の恋愛にどう影響しているのか?

婚活支援サービスを展開する株式会社パートナーエージェントは、2017年9月に、25〜39歳の未婚女性2,060人を対象として、「少女漫画と恋愛」に関する調査 を行っている(調査結果の詳細は、リンク先にあるページの下の方から同社HPへ飛ぶと閲覧が可能)。

どういう女性たちなのかがイメージし易くなると思うため、まずは、同調査から人気作品、人気キャラクターのランキングを見ることにする。

漫画だけでなく実写版も大ヒットした『花より男子』が強さを見せている。典型的なシンデレラストーリーだと思う方もいるかもしれないが、主人公の牧野つくしは、気に入らない生徒に対するイジメを仕切っていた道明寺司の顔面に飛び蹴り(実写ドラマでは右ストレート)を入れて、後に「英徳のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる女性である。

<好きな少女漫画ランキング>
1位 花より男子 608票
2位 ママレード・ボーイ 486票
3位 美少女戦士セーラームーン 460票
4位 君に届け 423票
5位 こどものおもちゃ 403票
6位 ご近所物語 389票
7位 フルーツバスケット 323票
8位 花ざかりの君たちへ 323票
9位 桜蘭高校ホスト部 278票
10位 ときめきトゥナイト 277票

<好きな男性キャラクターランキング>
1位 道明寺司(花より男子) 361票
2位 風早翔太(君に届け) 305票
3位 松浦遊(ママレード・ボーイ) 274票
4位 タキシード仮面(美少女戦士セーラームーン) 216票
5位 佐野泉(花ざかりの君たちへ) 206票
6位 羽山秋人(こどものおもちゃ) 194票
7位 須王環(桜蘭高校ホスト部) 179票
8位 山口ツトム(ご近所物語) 171票
9位 草摩夾(フルーツバスケット) 169票
10位 真壁俊(ときめきトゥナイト) 167票


少女漫画を読んでいる人ほど交際経験が多い
さて、この調査では以下のグラフのように、少女漫画を読んでいる人ほど交際経験が多いという傾向が出ている。ここからは、楠本先生が懸念されていた、少女漫画が「女子力アップして、彼氏をゲット」という刷り込みをしている可能性を指摘できるかもしれない。

しかし、少女漫画による実際の恋愛への影響を詳しく見ていくと印象が変わってくる。


少女漫画の恋愛と現実の恋愛は別モノ
まず、女性たちは少女漫画の恋愛と現実の恋愛は別モノだと区別しており、あくまでフィクションとして楽しんでいることが分かる。

少女漫画の登場人物たちへの憧れや、彼らのような恋愛をしてみたいという願望も語られているが、現実とは冷静に区別している様子が伺える。


理想の男性の条件で違いが表れる
次に、女性たちに挙げてもらった<理想の男性の条件>を見てみると、少女漫画を読む女性では「自分を大切にしてくれる」が64.2%でトップに来ているのに対して、少女漫画を読まない女性では「特にない」が32.7%と非常に高くなっている。


これらの結果に対して、調査をした株式会社パートナーエージェントは、「少女漫画が好きな女性は恋愛に対する意識が高く、また恋愛が好き」「日ごろから漫画を読むことで恋愛に対するイメージができあがっている」と指摘している。

筆者としては、この調査が明らかにした少女漫画が及ぼす実際の恋愛への影響について、全く悪いものに思えないのだがどうだろうか?

作中のジェンダーバイアスなど、気になる人にとっては気なる箇所は幾つもあるだろう。しかし、漫画を通じて、自分とは異なるキャラクターたちの生き方を見ていった結果として、多くの女性が「自分を大切にしてくれる男性と出会いたい」と思うのであれば、悲観する必要性はないように思う。


ジェンダーバイアスを無視できない読者は、現実世界で問題を抱えている可能性がある

(本項・2019/4/14 加筆)
前項の<好きな少女漫画ランキング>の9位に『桜蘭高校ホスト部』がランクインしていたため、ここで触れておきたい。なぜなら、『桜蘭高校ホスト部』は、ジェンダーバイアスを逆手に取ったラブコメだからだ。

桜蘭高校の新入生である主人公・藤岡ハルヒは、服装に頓着のない女子高生だったために、ホスト部で活動する3年生の須王環らに男子生徒と間違えられる。ひょんなことから男子生徒としてホスト部に入部せざるを得なくなったハルヒ、後でハルヒが女子であることに気付く部員たち、そして美少年ハルヒ推しとなった女生徒たちが織りなす学園ドラマである。

桜蘭高校ホスト部がラブコメとして成立するのは、男子は男子らしく、女子は女子らしくというジェンダーバイアスが前提にあるからだ。だから、ジェンダーバイアスから外れた藤岡ハルヒが劇中で特異な存在となり、その特異性から様々なトラブルを生み出して喜劇が展開されていくのである。

つまり、ジェンダーバイアスは、笑い飛ばすことも可能な話なのだ。

もし、ジェンダーバイアスを笑い飛ばすことができない読者が居たとしたら、それはその読者がリアルの人間関係で問題を抱えている可能性がある。

「女の子なんだから、こういう生き方をしなさい」と迫ってくる保護者であったり、教師であったり、そうした周囲の大人たちと自分が望む生き方との間で軋轢が発生しているからこそ、フィクションの中にあるジェンダーバイアスが心に刺さるのだろう。

このようなジェンダーバイアスを笑えないリアルを抱えている読者は、フィクションである漫画の表現を変えても何も救われない。この読者に必要なのは、リアルで抱えている人間関係の改善だ。



少女漫画は絶対のバイブルではなく、相対化された数あるコンテンツのうちの1つ

参考になりそうな統計を探していて、興味深い調査を見つけたため触れておきたい。以下は、gooリサーチが、全国の15歳~44歳の男女を対象として、2012年5月に実施した「マンガに関するアンケート」に関する調査結果 だ。


女性が定期的に読むコミック誌のトップは週刊少年ジャンプ
女性が定期的に読んでいるコミック誌は、『週刊少年ジャンプ』が55.7%でトップとなっている。しかも、2位の『別冊マーガレット』とはトリプルスコアの差をつけており、非常に興味深い。

週刊少年ジャンプ掲載作品のBL同人誌が多いのも納得の調査結果である。


好きな作品でも、週刊少年ジャンプ掲載の ONE PIECE が1位となっており、女性の間での少年漫画人気が伺える。


女性ではラブストーリーが、男性ではスポーツが好まれている
好きな作品ジャンルでは、女性ではラブストーリーが40.2%でトップとなっており、男性ではスポーツが35.7%でトップとなっている。


アニメや店頭で商品を選ぶ読者は、少女漫画を相対化している
統計を見る限り、読者である女性たちの方が、楠本先生よりも早く、柔軟に動いている。彼女たちは消費するコンテンツを拡げることによって、それぞれ自分たちでバランスをとっているように見える。

そこに居るのは、少女漫画が合わなくて立ち止まっている女性たちではなく、他に好きになれる漫画を探し出す自立した能動的な女性たちだ。

少年漫画誌で連載中の作品は定期的にアニメ化されており、女性たちがそれらの作品を知る機会は多い。いきなり店頭で選ぶのと異なり、アニメで内容を知った上であれば、女性が少年漫画誌を手にするハードルはかなり下がるはずである。

好きな作品の2位に1993年にアニメ化された『SLAM DUNK』が挙がっているように、女性が少年漫画誌を手に取る現象は25年以上前から始まっていたのではないだろうか? 同時期にアニメが放映されていた『幽遊白書』も女子中高生の人気が高かったため、『SLAM DUNK』だけに見られた特異な現象ではない。

もちろん、女性たちがラブストーリーを好む傾向も見られるため、小学生の頃に手にした少女漫画誌の影響は高いと思う。

具体的には、ガベージニュースで掲載された部数動向 では、『ちゃお』が圧倒的に売れている。gooリサーチで『ちゃお』が上がってきていないのは、調査対象の下限を15歳で切っているからであり、10歳まで拡げれば『週刊少年ジャンプ』に『ちゃお』が迫るグラフを得られたはずだ。


では、女性がラブストーリーを好きになる傾向は、是正が必要なことなのだろうか?

思春期に入って異性に興味が出てくる小学生時代に、すぐ隣に異性が座っている教室で勉強している環境を考えれば、恋愛話をするようになるのは自然な心の成長ではないだろうか? これを、ジェンダーバイアスによって曲げられた成長と決めつけるのは難しいように思う。

仮に、女の子だからとラブストーリーを押し付けられるような同調圧力があったとしても、個人の好みが尊重される個人主義を進めれば跳ね除けられる問題であろう。

つまり、講じるべき対策は少女漫画における表現規制ではなく、個人が同調圧力を押し返す強さを手に入れること、周囲も押し返してきた個人を受け入れる人間関係を築くことなのではないか?



必要なのは「普通」と異なる夢や生き方を選んだ人に向き合うこと

作中のジェンダーバイアスが気になるというのは、その少女漫画が描く偏見が自分に押し付けられるように感じるためだと理解している。偏見から逃れようとしているのに、その偏見の枠内に押し込まれることは不快だというのも共感できる。

しかし、偏見の押し付けを拒否するために表現規制を説く人々に対して、筆者は疑問に思っていることがある。

<なぜ、漫画を手にした少女と向き合うのではなく、読まれた漫画の排除に走るのだろうか?>

仮にジェンダーバイアス満載の作品があって、それを読んだ少女が「自分はこうじゃないし、こうなりたくない」と悩んでいたとしよう。

あなたは、ジェンダーバイアス満載の作品を描いた漫画家への怒りに震えて、出版社や漫画家の SNS にクレームを入れるのだろうか?

筆者は、そんな自身の怒りの解消よりも、先にやるべきことがあると考えている。目の前で悩む少女に、「この作品は、貴方とは別の女の子の話ですから、貴方と違って当たり前です。貴方がやりたいことは何ですか? 探検家になって、新種の植物を探しますか?」と声を掛ける方が大切であろう。

そこで少女が、「普通」とは異なる夢や生き方を教えてくれた時は、その夢や生き方を支えるのが大人の役割だと筆者は考える。

少女漫画が合わなかったのであれば、『週刊少年ジャンプ』を手にする女性たちが沢山いるように、他の漫画もあることを伝えればいい話だ。

造り酒屋を継ぐことになった女性を描いた『夏子の酒』や、鉄工所の仕事にやり甲斐を感じて父親の鉄工所を継ぐ『ナッちゃん』、特撮オタクのOLを描いた『トクサツガガガ』など、世の中には「普通」とは異なる生き方をする女性を描いた作品も存在している。

「普通」と違っても良いこと、ちゃんと居場所があること、応援できることを伝える方がずっと重要だろう。


ジェンダーロールに沿う生き方も、絶対悪ではない
ジェンダーロールの強要に苦しんでいる少女が居ることも解っている。そういう少女は、ジェンダーロールが本人と合わないのだから、ジェンダーロールから外れた生き方が認められるべきだ。

しかし、作中のジェンダーロールに沿って生きる女性に憧れて、それを目指す少女だって居るかもしれない。それならそれで、本人にとってストレスの少ない生き方を見つけたであり、作品に傷付けられたのではなく作品が憧れとなったのだから、わざわざ「貴方は、間違っている!」と指摘する必要性はないだろう。

筆者は、ジェンダーロールから外れた生き方も、ジェンダーロールに沿った生き方も、両方ともが尊重される社会こそが多様性のある豊かな社会だと考えている。

なぜなら、どっちの生き方のほうが幸せなのかは、本人が身につけられるお金を稼ぐ能力や、結婚するパートナー、いつどのタイミングで病気やケガに見舞われるかなど、人生に対する他の不確定要素の影響が大き過ぎて判断がつかないからだ。

ジェンダーロールから外れた生き方の勧めも、ジェンダーロールに沿った生き方の勧めも、「私は、こうしてきた」という枠を超えられない参考意見だと筆者は思っている。



過干渉な毒親を想起させるルールづくり推進論

ジェンダーバイアス禁止のルールづくりを推進する人々がやろうとしていることは、結局のところ、「これが正しい解答なのだから、これに合わせなさい」という過干渉だ。

子どものためと言いつつ、自分にとって望ましくない方向へ子どもが進まないように予めレールを敷き、その邪魔となる少女漫画などのコンテンツも先回りして排除しておく。

その姿は、過干渉や統制型と呼ばれる毒親そのものではないだろうか?

前の項でも言ったが、子どもが「普通」とは異なる夢や生き方を教えてくれた時、その夢や生き方を支えるのが大人の役割だと筆者は考えている。

子どもの前に立って、子どもを悩ませるジェンダーバイアスの排除に奔走することは大人の役割ではない。排除して回ったところで撃ち漏らしは出てくるわけで、それならばジェンダーバイアスに負けそうになる子どもを側で支える方が、ずっと効果的な助けになるのではないだろうか?

行く手を阻む作品を払うことより、子どもを見守る方が大切だと思う。



ルールで決めるのではなくゴールドラッシュで牽引を

(本項・2019/4/16 加筆・同4/17 後半を修正)
筆者は、楠本先生が少女漫画雑誌の読者が減っていることを危惧し、その対策として新しい試みに挑戦されることは良いことだと思っている。

先に挙げた gooリサーチによる 「マンガに関するアンケート」 では、女性たちの中でラブストーリーや少女漫画といったジャンルが人気を集めているのに対して、コミック誌では『週刊少年ジャンプ』が一番人気となっている訳で、現状、少女漫画がカバーできていない読者層は存在する。

この読者にとっての正解が、楠本先生の考えるジェンダーバイアスに囚われない作品なのであれば、先生は未開拓地を発見したことになる。

未開拓地に一番乗りした漫画家として、楠本先生にはそのまま抜け駆けをして欲しいと筆者は考える。そして、そこに金鉱脈があれば、ゴールドラッシュを起こせるだろう。

ルールによって決めるとそこから外れたものを「悪」と見なすことになるが、ゴールドラッシュを起こすのであれば話は変わってくる。

なぜなら、他の漫画家たちは、楠本先生を追いかけて未開拓地へ行くのか、今の道の先へ行くのかを選択できるからだ。漫画家が各自で選ぶのであれば少女漫画の多様化は進むはずで、結果的に、より多様な女性たちを読者として抱えられるようになると筆者は考えている。



まとめ 表現規制よりも、人に向き合う方が重要だ

もし、ジェンダーバイアスのかかった作品が嫌いなら、自分でジェンダーバイアスのない作品を描いて、「新しい時代に相応しい、少女漫画の新基軸」を示せば良いだろう。

その新基軸の作品が、他のクリエイターたちにとっても真似したくなるぐらいカッコいいものであれば、自ずと新基軸に沿った作品は増えるはずだ。

しかし、ジェンダーバイアス禁止のルールを作って、他のクリエイターに強制することは全体主義でしかない。

20世紀のSF作家オーウェルは小説『1984年』において、全体主義によって統治された国家の恐怖を描いた。指導者の正しさを喧伝し、指導者に反する者を排除し、人々の思想・良心を統制する社会だ。

筆者は、『1984年』のような一部の指導者が統制するディストピアは忌避すべき未来と考えている。

理想とは、自由闊達な対話と、暫時改善で実現していくものではないか?


これは、ジェンダーバイアスの禁止だけでなく、EUにおける過激コンテンツの取り締まりに関しても、筆者は同様と考えている。

表現規制によって若者がテロに走らない社会を作るというのは、現実で困難に直面している若者と向き合うことを止めた人々の誤魔化しだ。

イラクやシリアでISが急激に拡大していた時期、なぜ若者がテロに走るのかについて議論がなされていたはずだ。UNDP・国連開発計画は貧困に問題があると指摘しているし、インドの元外交官タルミズ・アフマド氏は若者が各地で感じてきた疎外感を埋めるために大義の下に参加することを選んでいると指摘している。

こうした若者が抱える問題を解き明かそうとした議論は、一体、どこに消えてしまったのだろうか?

過激なコンテンツの取り締まりは、若者のストレスのはけ口を減らすことはあっても、彼らの生き辛さや絶望を解決することはない。彼らがテロに走るのを止めるには、彼ら自身と向かい合う以外の道は存在しないだろう。

ジェンダーバイアスに負けそうになる少女や、テロに走ろうとする若者を救うには、表現規制よりも、当の本人と向き合うことの方が遥かに重要だと筆者は思う。(了)



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