生きている車

aikoの無観客ライブ配信を見ながら、ふと思ったこと。

私は学生の頃からバンドが大好きで、ライブにもよく行っていた。高校の時にはギターも始めて、ガールズバンドを組んで学園祭でライブをしたこともある。今でもギターはたまに弾いているし、機会があればライブに出ることもある。なので、ちょっとはライブのことを知っているつもりなのだが、こういう無観客のライブ配信は、私にとって初めての新鮮な体験で、ちょっと戸惑った。おそらく配信している側のアーティストもそうなんだろうな。

ライブというのは本当に不思議で、ただのCD音源だけでは絶対に味わえない何かがある。無観客ライブは、目の前に伝えたい人がいない状態で、ライブをするということ。いつもと同じようにライブをしようとしてしまい、アーティスト自身が戸惑っている時も多い。aikoも終始そんな感じだった。曲は素晴らしい、aikoってこんな歌うまかったのか!と驚くくらい、踊りながらでも音程を外すことなく、本当にCD音源のよう。まわりもスタジオミュージシャンなのだろう、演奏も完璧。ただ、なんなのだろう…ライブ感がない。湧き上がる、つながってる感覚がない。

この間のNUMBER GIRLの無観客ライブは、同じように観客がいなくて、めちゃめちゃシュールな空間で、最初は「うわぁ」と思っていたのだが、次第にNUMBER GIRLワールドがじわじわ展開されて、最後にはそのほとばしっている音みたいなものが、画面越しでも伝わってきた。それは、やっぱりバンドだから、というのが大きい気がする。音を出すひとりひとりがつながっているから、そこから放たれた音が塊になって、届く。aikoはまわりがいくら仲の良いメンバーだとしても、その伝えたい思いを抱えているのは、結局ひとり。だから、それを画面越しまで届けるというのはとても難しいのだと思う。

すごく前置きが長くなってしまったけど、車もこの無観客ライブにちょっと似てるな、と思ったのだ。車もひとつひとつ、たくさんの部品からできているし、それこそとんでもない数の人が関わっている。そんな無数の人やモノがあわさって、ひとつの車ができている。ただ、それは車に乗る側の人たちにとっては、画面越しで見るライブみたいに、どこか遠い出来事なのだ。そのできあがった車だけに触れて、ひとりひとりのあたたかさや、まるで車が息をしているかような感覚を覚えることは、とても難しい。

でも、私にとっては、まるで「生きてる」と思えるような車もある。今乗っている、ロードスターがそうだ。まわりの人たちから見れば、車はひとつの機械、道具でしかないのかもしれないが、私にとってのロードスターは違う。ハンドルを切ったその手から、アクセルを踏むその足から、単なる機械ではない「感触」がありありと伝わってくる。まるで、犬を撫でている時のように、誰かと手をつないでいる時のように。不思議なことに命あるもののあたたかさのようなものを感じることができる。

こんな車に触れることができて、それを作り上げた人たちと関われるからこそ、私は今この仕事を続けているのかもしれない。

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