戯言

自動車雑誌の編集部を退職してから、フリーランスになって2年が経った。それなのに、いまだに同じことで悩んでいる。「フリーランスになったらスッキリするだろう」「もっと自分の中で深く考えて答えを出せるだろう」と思っていたことが、今、さらに色濃く私の心をモヤモヤと曇らせる。

「もっとたくさんの人に車の魅力を伝えたい」

車好きだけではなくて、もっと同世代や若い人、そして車に興味がない人にも楽しんでもらえるような発信がしたい。シンプルな願いのはずなのに、まったく手が届かない場所にあるような気がしてしまう。

最近、ある仕事をした時に、車に興味がない友達もそれを見て「頑張ってたね!」と褒めてくれた。でも、そこで私の悩みの核心を突いた言葉も聞いたのだ。

「でも、ちょっと気になったんだけど、おじさんが若い人とか女性に対して、普通ならハラスメントになるようなことも結構言ってたよね」

車だけを見ているわけじゃない友人だからこそ、はっきりと分かってしまう問題。自動車を伝える媒体や人が今の世の中の潮流やリテラシーを深く理解せずに、昔の考え方のまま伝えてしまっている。これが自分の悩みの根幹なのだと、友達の何気ない一言で改めて気づかされた。

いまだに日本の自動車メディア業界は、女性を”お飾り”で扱うことが多いし、世間一般では誰も知らないような自動車ジャーナリストをおだてて持ち上げなければいけないという風潮があるし、「今時のワカモンは苦労を知らん、俺らの時代は……」という根性論が当然のように息づいている。正直に言えば、世界的にこういう考えは時代遅れも甚だしいし、日本ですらこういった事案は厳しい目で見られるようになってきている。この時代錯誤なイメージを与えるだけで自動車業界全体の評価は下がりかねない。

自動車の歴史は古く、長くこの業界いる人たちや媒体はその経緯をよく知っていて、それが重要な蓄積であることは間違いない。でも、だからと言って、それが偉いとか、現代でも昔と同じような伝え方をすればいいという訳ではないはずだ。昔からの車好きにとってはいいのかもしれないが、「これからの車好きの芽を育てているか?」というと、やはり疑問が残る。昔の理想と今の現実の乖離が大きく、車から離れてしまう人がいるのも無理はないと思ってしまう。

本当はこんなくだらない愚痴を上げる前に「自分で新しい発信をしろよ」という話なんだけど、あまりにこの急所が根深くて身動きが取れなくなってしまっている。「そんなの自分で破壊していけばいいじゃないか!」と言われるかもしれないが、その猪突猛進の精神だけでは何の仕事も来なくなり、私自身が自動車を伝える仕事を諦めなければいけなくなる。TwitterやYouTubeなどで自由に発信できる時代なので、個人的にその問題に立ち向かうこともできるのかもしれないが、これらのメディアは短絡的なものが流行る傾向にあって、あくまで一過性のものに過ぎず、自動車というものを伝えるにしては軽すぎるような気もしている。

「この二律背反を実現するには……」と、モヤモヤ考えているうちに、またあっという間に時間が過ぎていく。おそらくだが、これは一人で解決できる問題じゃない。同じような思いや悩みを抱えている人たちを集めて、新しいメディアや発信の形を作っていかないと、これからの自動車メディアはより狭い世界へと収束していくと思う。

あと数年のうちにこのモヤモヤを解決したい。そのためにも今は、長い物に巻かれることも、軽薄なことをするのも、厭わずにやっていかなければいけない、のかもしれない。あー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?