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散歩日記

何をするわけでもないしなぁ、と思いつつ、せっかく快方に向かってるのにずっと家にいるとまた生活リズムが終わって精神も病みそうだと思って、なんとか明るいうちに家を出る。
目的がなくても、この時間に近所を歩くと散歩中の犬にたくさん会える。
鳥もいる。
川沿いに住むというのはそれだけでも素晴らしい。
私は猫派だけど、もし犬を飼うなら、ハスキーかスピッツだ。
ハスキーは『動物のお医者さん』のおかげで憧れがあり、スピッツは世界で最も可愛い犬種だからだ。
別に猫派でも犬を飼ったって良いよね。
てか猫と犬どっちも飼いたいな。でかい庭のあるでかい家で、のんびり暮らしたい。
私は本当に物が多い人間なのですが、断捨離とかの話を聞く度に思う。
私に必要なのは断捨離とかじゃなくて、無限の物を置けるでかい家なんだ。
てかそもそも断捨離の概念があまり理解できない。
捨てれるようなものは、始めから買わないんだが・・・・・・(そして、無限に増えてく、物・・・・・・)
よく断捨離の方法論でさ、「捨てるか迷ったものは箱に分けておいて、1ヶ月使わなかったら捨てましょう🎶」みたいなのあるけど、10年使わなくたって持ってることそれ自体が幸福の源となる宝物たちの存在をさ、無視してますよね。
使用などしなくてもそこに在るだけで有用なんだよ。
所有しているという喜びが、あるんだ。
つまり、これは裏を返せば『持っている』という気持ちこそが重要なので、例えば全てを物置に入れて、明日からバックパックひとつで生活してください、と言われたとして、私にはそれができる。
でもそんなのはつまらないじゃない。

川の脇の遊歩道を歩くと、前に居た鳩や鴨が大げさに鳴きながら飛び立っていく。
別になんもしないのに。歩いてるだけ、、、
歩いていると頭の中でずっといろんな物事が浮かんでは消えていく。
それらに脈略はない。
短くて小さいたくさんのトピック。
だから散歩とTwitterは相性がいい(あるいは私にADHD傾向があるからか?)(私はTwitterが終わる日までTwitterのことをTwitterと呼び続ける)(もう終わってるかもしんねえ)
大学生の時、頭を真っ白にしたくて夜通しかけて国分寺から浅草まで歩いたことがある。
なぜ頭を真っ白にしたかったかというと、もうあまり覚えてない。好きだった先輩に彼女ができたとか?どうだろう。上手く忘れられたのかもしれないね。
長時間歩いていると、頭が真っ白になるというか、(疲れた)(しんどい)(もう歩きたくない)以外のことを考えられなくなるので、目論見はまぁ成功だったと言えるのかもしれない。

川沿いには大きなスーパーマーケットがある。
何をしにきたわけではないが、スーパーマーケットがあるとどうしてもふらふらと入って、なんとなく買い物をしてしまう。
買い物に来たのかもしれないな、と思いながら帰り道を往く。
終わってからしか分からない、終わってみれば分かるものってある🦌


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