村で用意されていたのは「自然体験」ではなく「体験を作る体験」〜人の少なさが主体性と多様性を加速させる〜
村に教育移住したというと「自然体験」「自然学習」を思い浮かべる人が多い。
西粟倉村に移住してそろそろ2年。
我が子はここで何を体験したのだろうか?
本題に入る前に。
私は仕事でも地域活動でも「体験」をかなり作ってきた。
子育てにおいても、我が家は大学という「未来の学歴」を一旦手放し、「今の体験」に全振りしている。(選択肢として大学進学はあるが、行くことを前提とはしていない。)
私自身もお笑い養成所、兼業公務員、芸術家、落語家など思ったことは全実践、全体験をしながら生きている。
体験は誰にも奪われず、増やし続けることができる資産である。
お金を稼ぐための土台であり、知識をつけたいと願う源泉である。
今回の記事はそんな「体験狂」な私の個人的な振り返りである。
一般論でも村の全てを知った上で書いているわけでもない点をご理解いただきたい。
さて、「体験」と言っても色々ある。
習い事のような定期的に行う体験、海外旅行のような非日常的な体験、遊びや暮らしなど日常的な体験。無料体験、有料体験、最先端の体験、自然体験。消費者体験、生産者体験。広げる体験、深める体験。家庭だから作れる体験、学校だから作れる体験、地域だから作れる体験。
そんな中、村で子どもたちが体験しているのは「体験を作る体験」である。
上記のような体験を自分で作ることができる力を養っている。
体験ができる施設やイベント、お店を誘致するには「数」が必要。
村は人が少ないので、多様な習い事から選ぶことも、集団スポーツの部活動も難しい。美術館も、スーパーも、本屋もない。
人が少ない。
ゆえに、店舗やサービスが来ない。
つまり、待っていても何も始まらない。
だから、自分たちで作る。
人が少ない。
ゆえにターゲットを絞ったら成立しない。
つまり、全村民がターゲットになる。
だから、年齢や性別に関係なく喜んでも来てもらえるものを作る。
年齢や属性関係なく楽しめる場がたくさんある。
バスケ部はないが、毎週水曜日に中学校の体育館でバスケがある。 小学生、中学生、20代、30代。息子が何度か行ってるが参加者の名前は知らないらしい。でも、道で会ったら楽しそうに話してる。
同学年だけだと友だちが少ないので、4年生の娘は6年生や中学生と村役場兼図書館に集まり、「何する?」と話し合った結果、よく隣の保育園に遊びに行くらしい。図書室に遊びにきた赤ちゃんと遊ぶこともしばしば。
村の文化祭に出展者として、大人たちと一緒に説明を聴き、友達と販売を行った。「子どもだから」という特別な枠は特にない。
習い事がないから、小学4年生が自ら劇団を立ち上げた。さらに自分たちの村だけでは団員が少ないから、隣市まで公演しにいき、団員募集をする。
村の高校生がクラブパーティーを開きたいと企画し、赤ちゃんからシニアまで40人集まって踊り狂った。我が子も2時間半踊り狂っていた。
学校の総合学習では「このままでは村は消滅するぞ!」と村出身の大学生が隣町の高校生を巻き込み、小学6年生と一緒にプロジェクトを立ち上げた。
その後、公園を魅力化するために看板を作り、市に提案して、村の企業に協力してもらって看板を設置。
「このままじゃ、村はやばいらしい!俺たちにできることがある!燃えてきた!」と興奮しながら帰ってきた息子の顔が忘れられない。
特に子どものやりたいことに関しては一般社団法人NESTが全力でサポートしてくれる。
「レストランをやりたい」「お化け屋敷やりたい」「ゲーム大会したい」「サバイバルキャンプしたい」「劇団したい」「専門家と一緒に海で貝殻拾いたい」
子どもたちの声からイベントやプロジェクトがバンバン生まれる。
彼らはサポートはするが、決してリードはしない。子どもたちが会議を開き、決めて、市に申請書を提出し、集客をし、寄付を募り、実践をする中で、本当に子供だけではできない部分のみを補う。
この徹底がすごい。 最低限の軌道修正を繰り返しながら、子どもたちの体験づくりのプロセスに丁寧かつフラットに寄り添ってくれる。何度も何度も実践して、振り返って、また企画するを繰り返させてくれる。だから、子どもたちは徐々にサポートなくても勝手にできるようになるのだ。
人の少なさが、多様性と主体性を加速させる。
学年を、年齢を、学校を、地域を、当たり前を越えないと何もできない。
でも、自分で企画しさえすれば実現する。みんなが楽しめるように作れば成功する。
人が少ないこと。
サービスや商品が少ないこと。
待っていても何も来ないこと。
みんなを対象にしないと上手くいかないこと。
やりたいことを自分たちで作っている大人が多いこと。
子どもや大人関係なく企画に参加できること。
多様な人が参加する難しさも楽しさも知っていること。
上手く行っているものもいかないものも見ていること。
そして、やりたいことを実現できる体制や場所があること。
村は体験の作り手のスーパーエリートが育つ環境なのである。
体験を自ら作る力を持てたら、どこに行っても自分の楽しめる環境を作ることができる。
村の子どもたちはこれからの時代に「最強」だと私は思う。
春から中学生になる息子が「集団スポーツの部活がないから、放課後、村の会社にインターンに行けないかな。森に入って動物や木を調査したりするもの面白そう」と呟いているのを見て、また面白い3年間になりそうだとワクワクしている。
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