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月はずっと

眠れない夜は、大きな望遠鏡を出してきて、地球を眺めることにしている。懐かしい地球。私がいなくなったのに、まったくもって、いつも通りに回り続けている地球。たぶん地球は私がいなくなったことに気づいていない。

月にいる私の友人たちもよく地球を見るらしい。

ある友人は、太陽が上がる瞬間ばかり追いかけている。「地球の夜の部分って真っ暗でしょ。そこにね、白い光が現れるんだ。丸くて暗い地球が、少しづつ光に覆われていく。いっせいに朝になっていくんだ。その光の下で海も山も砂漠も木も花も動物も人間もみんなが平等に朝を感じているんだ。君も覚えているだろ。あの毎日休むことなくやってきたうんざりする地球の朝のことを。あの朝は、こんなに美しかったんだって驚くと思うよ」。

ある友人は、ずっと地球の海ばかり眺めている。「こんな美しい地球を作った人は素晴らしい芸術家だってよく言うじゃない。もちろん地球を作った人たちは細部にこだわったはずだ。でもね、でもほら見てよ。やっぱり地球は海だよ。海の青い色だけはずっと見ていても飽きないね。天候や光の加減でも変わるんだ。僕が一番オススメの海は夜の海かな。夜の真っ暗な海に雨が降り続けるのをぼんやりと眺めるのが一番だ」

私は地球の夜の街を眺めるのが好きだ。

色んな国があり、色んな夜がある。ネオンが光り輝いていて、その下にたくさんの人たちの夜がある。家族だけで静かに食事を楽しんでいる人たちがいる。酒場で大騒ぎをしている人たちもいる。夜道を二人で歩いている恋人たちもいる。もちろん、私のような孤独な人間も地球の夜の街にはいる。

「どうして自分は生まれてきたんだろう」とか「人生って何なんだろう」とか考えながら、窓を開けて夜空にうかんだ星や月を眺めている人間がいる。

今夜もそんな夜の街を眺めていると、窓から大きな望遠鏡を出して、こちらを見ている青年を見つけた。

私は真っ白な紙に太いペンでこう書いて、その青年に見せた。

「どうして一人で月なんて見ているの?」

驚いた顔を見せた青年は、白い紙にこう書いてこちらに見せた。

「そちらこそ、どうして月に行ったのに、地球を見ているんですか?」

私はこう返した。

「あんなに嫌で出てしまった地球なのに、たまにこうして懐かしくなって眺めてしまうのは、私が年をとってしまったからだと思う」

「懐かしいのなら帰ってくればいいんです。月本人は別にあなたに月にいて欲しいとは思ってません」

「帰りたくても帰れないところってある。君も大人になればわかる」

「あなたのようなつまらない大人にはなりません」

「どうして私がつまらない大人だとわかる?」

「夜中に一人で地球なんて見ているからです。昔、好きだった人が今どうしているのか検索してしまう人と、自分が出てきた土地に帰らないで見ているだけの人は、つまらない大人です。そんなつまらない大人には僕はなりたくないです」

私はしばらく悩んで、今度は彼にこう返した。

「月はそっちから見てどうかな? 相変わらず美しいかな?」

青年はこう返した。

「月は綺麗ですよ。月はずっと僕の音楽であり、僕の詩です」

#超短編小説 #こよいお月見  

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