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【essay】唐十郎という演劇人の死...


5月4日、唐十郎が逝った。

野暮ったい言い方で申し訳ないが…
唐十郎は私の演劇においての父であり、師匠である。
彼の芝居を観て、まだ10代だった私は心が躍り、光を見つけ、いい意味での世の中に対する反骨心が沸々と湧き出た瞬間だった。
その私の人生を変えた唐十郎というひとりの演劇人がいなくなったということの寂しさを、愕然と、唖然と、そして無気力さを感じながら訃報を読んでいる。

紅テントは異様な雰囲気を常に醸し出していた。
世の中には日の当たらないところでしか生きられない人々がいて、その人達の悲哀を浮かび上がらせる芝居だった。
まだ二十歳にも満たない私は、その異様さの深い意味などわからないのだけど、ただただその中に身を置いていたいという高揚感だけで目をキラキラさせながら客席に座っていた。
それから数年後、私は紅テントが昔から上演し続けていた『腰巻お仙』という作品に出演することになる。
その時の演出は唐十郎さんではなかったが、きつい稽古は数ヶ月続き、アングラ演劇の洗礼を受けたのを今でも鮮明に覚えている。
あれから私がやる芝居は良いのか悪いのかわからないが、ちょっとお行儀が良くなってしまって、台詞を口から出してはいるが「本当に伝えないのはこんな綺麗事じゃないんだよ」と心の中の叫びみたいなものを噛み殺しているような気がする。
これから先、手を引っ張ってくれる人がどんどん少なくなってきて、修行がまだまだ足りない私はどうやって芝居を続けていけばいいのか悩ましい。
願わくば、おとなしく成仏などしないで天から『お前の言いたいことはそんなもんなのかっ!」と、怒鳴り続けてはくれないだろうか。

それにしても不思議だ。
アングラ演劇界で唐十郎と人気を二分していた寺山修司の命日が5月4日。
寺山修司の命日に唐十郎さんが逝くなんて、何という因縁であろうか。
こうなれば、私も5月4日に死にたいものだ。
まぁ格が違うよと門前払いされてしまうだろうが…

今夜は夫とふたりで献杯だ。
あぁ、イカした演劇人がまたひとりいなくなった。

ご冥福をお祈りいたします



読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。