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街コンに行ってきました

タイトルの通りです──人生で初めて街コンなるものに行ってきたよ。

ずっと前から行こうかどうか悩んでいたんだけれども、職場の同期と上司が背中を押してくれたこともあり、このタイミングで行くことに。

明日感想を伝えるように受けているので、今のうちにまとめておこうと思って。

街コンってどんなとこでしたかね

当初は合コンの拡張版と理解していて、まあそんなもんだと思う。

実態は普通の職場とかの飲み会を想像してもらえればよくて、それに「定期的な席替え」と「男女比が1対1になるように努められている(でも綺麗に1対1ではない)」ということくらいの違い。

18:30~20:30まで、30分ごとにメンバーを入れ替えて団欒、が延々と続く、傍から見ると謎なパーティである。30分って結構短くて、割とあっという間に目の前の人が入れ替わっていく。席替えをするときに、連絡先を交換する人はしましょうね、というスタンス(今回の場合は)。

今回の場合、女性2、男性2or3のテーブルを渡り歩いていたのだけれど、なにせ30分単位の小さな合コンの塊。喋れることは一刻も早く喋り尽くそうという野心に満ちた雰囲気ある場所である。

なんだろうね。料理を取り分け始めるとか、お酒を注ぎに行くとか、普通の飲み会と一緒といえば一緒なんだよな。ただ魂胆として出会いを求めているだけで、一般的にそうすべきといったような文化は暗黙の内に求められているようだ。参加者はこぞってその役を取りに行きたがるのも、なんとも滑稽である。

今回の街コンでは、僕は最年少だったんですよねぇ……周りの男性たちは、僕よりも4つとか5つ上の人達ばかり(ある程度予想はしていたけれども)。自分はかなり若い方だろうとは思っていたけど、いやはや。若輩者は立ち回りが難しい。

皆はやはり30歳を過ぎてから焦り始めるものなのだろうか? 女性も男性も。

あと、街コン初めて参加するよって人は少なくて、街コンには何度か来たことあるよ、という人が大半を占めているらしいことも、ちょっとだけやりにくさを感じた。(プロフィールで初めてかどうかを書く欄があった)手練れがそれなりに多いというか、なるほど、隠さないんだなそういうの、というのが少し以外なとこ。

……もちろんこんな御時世なので、食事中もマスク着用、そりゃそうだわな。お酒を飲むときも、から揚げを食べるときも、いちいちマスクをずらしてパクパクもぐもぐ。時代だなあと思う。コロナコロナな時期にわざわざここに集まってくるのは、訳あり物件たちなんだろうなぁということは頭の片隅に置きつつ、レモンサワーを美味しくいただく。

参加費としては男性7800円、女性無料。個人的な希望としては、サクラの混入を防ぐために、ある程度女性の経済的ハードルを設けて欲しいと思うところなのだが、それはそうでもしないとそもそも女性が集まらないからそうしているのかもしれなかった。2000円くらいは女性負担なところがあると良いなーと思う。


プロフィールを基にすると話題が難しい

プロフィールカードというものがあって、参加者が開催前に記入しておいて、街コンが始まったらテーブルの上に並べて話題の種にするという、お助けカード的なものがあったのだけれど……あれ、意外とコレ、邪魔だぞ

当たり障りのない話題というのは、収束しがちである。お仕事何してますかと聞かれて「ITエンジニアです」とは答えるけれども、それ以上の話(組込み系かWeb系かとか)をしてもきっと相手はついてこれないのだ、逆もまた然り。その手の所属話は「ふうん」で大抵終わる。いや、わかるでしょ? 具体的な話を聞いたところで、その方面に知識が無いので自分の経験や意見を混ぜて返すことができないのだ。

趣味の話をしようにも、僕の趣味は結構尖っているので(着物とかバイクとか登山とか)、それも相手が付いていけそうな部分を探しつつ。困ったなあと悶々しばらく。ここにいる人たちは、堅苦しいテンプレートな世間話の応酬を繰り返す、それを横目で見て、もっと個人的な話に膨らまないものかと考えあぐねていた。

プロフィールカードが振る話題を限定してしまい、反って会話が膠着状態になってしまう。それに途中で気が付いたので、ローテーション3回目で、プロフィールカードを無視して喋り散らかすことにした。気付くのが遅かったんだよな……普通に会話すりゃいいのに、プロフィールを基に話を広げていくとお互いの選考面接みたいな雰囲気になってしまうのは良くない。単なる質問攻めになる傾向をどこかで打破しなくてはいけないのだ。

我々が普通に会話するとき、相手が何が好きかとか、どこに属しているとか、そういうので会話をしたりしない(はず?)。大抵は見たものや聞いたものをそのまま話題にすると思う。相手の仕事や会社に興味はないが、目の前の料理とか、街コンそのものの話とかには流石に少なからず興味があるだろう。

話の振り方としては、我流に持っていくのが大切なんだなと思ったよ。


街コンにおいて大事なこと

ぶっちゃけ街コンで最も重要なことは、連絡先を交換することであると思う。

それは参加する前から心していた。連絡先を交換せずに解散するのは、街コンの機会を無駄にするのと同じだからだ。とにかく親しくなって連絡先を交換するのが、ここでは最重要ミッションである。

しかし言うほど簡単ではない。この連絡先を交換する作業、難しいのだ。主催によっては、最後に気になった人を書いて、お互いを指名していればカップル成立発表がある場合もあるけど、今回はそういうのはなくて、「自分で連絡先を交換してくれないか」と交渉する必要がある。

(自分でその交渉ができる人は、カップル成立発表は反って邪魔なのかもしれないが 笑)

そんな感じで、頑張って連絡を交換した。その先に繋がるかどうかはまだ知らん。それ以降は会ったり会わなかったりの成り行きに任せるしかない。

連絡先を教えてくれるのを待つような他力本願的な姿勢は明確に悪手である。なぜなら相手もそうだからだ。親しくなってそのままグッバイするのは、何しに来たんだよと問い詰めたい感じはある。でも油断してモジモジしてると、すぐにそうなる。何しにここに来たのかというのは自問自答して臨んだ方がいいんじゃないでしょうかね。

ここで街コン、その気になれば何度でも来れるので「次があるさ」と考えやすく、つい先延ばしにしてしまうのは分かる。でも、次もきっと先延ばしにするでしょうねえ……今までもそういう感じだから、恋人がいないのではないか。


お膳立てを必要とする恋愛

さっきのカップル成立発表があると便利なのは、連絡先を交換する口実ができることだ。交渉の必要がなく、ストレスフリーにお互いの連絡先を交換できる。

──反面、発表されなかった人は、脈無の結果が明るみになるので、連絡先交換の難易度は跳ね上がる。そう考えると、カップル成立発表も一長一短なのかもしれなかった。

皆さんは分かっているとは思うのだけど、人生で恋愛が推奨された場なんてなくて、男女の恋仲に現を抜かしていないで勉強するべきとか、仕事第一とか、そういう環境だけだったと思う。そういう観点で見ると、街コンというのは非常に異質な場で、ある意味、規律に対して裏切りのような感じがある。

ただ、どこかで公私混同し、忠告を無視して、恋愛で立ち回らなければ、そういうのを上手く運ぶ能力が身につかないし、人脈もできないのだ。こればっかりは正直者が馬鹿を見る世界だと思う。

恋愛は慎むべきもの、という風潮があるから、恋仲を始めるためには相応の物語(言い訳)を必要とするのだ。それが運命の出会いだとか、パンを咥えて走ってたらぶつかったとか、痴漢から助けてもらったとか。恋に落ちる正当な理由が無ければ、真面目な日本人が恋愛に走ることは難しいだろう。

つまりお膳立てが必要なのだ。恋に落ちるのは当然だ、という。

僕は、恋愛が成功するか否かは、そのお膳立てを整えられたかどうかが全てだと思う。そうでなければ地雷女に引っかかる男性もいないし、女性はモラハラ男と結婚しなくて済むと思うから。お膳立てに依存して恋愛をするから、恋愛が失敗するのだと考える。

所詮、好きになることの言い訳を探しているだけ。恋愛が難しいのはそこである。その言い訳が上手く作れないだけ。道行く異性に電話番号のメモを渡して「はい結婚しましょう」なんてのは、どこかのベルくらいしかいないであろう。←

そこへ行くと、街コンは、スタートラインのお膳立てを既に整えてくれている。みんなが出会いに来ているのだから、連絡先を交換するのは本来当然なんだけれどもね……

恋を邪魔している本当の理由は何か──はよく見た方がいいと思います。

僕も今後恋愛をすることがあったら、お膳立てを整えることに尽力を尽くしたいと思うし。


なんとかなる神話

最後に。

えーっとですね。今まで僕が街コンに行かなかった理由。いや、合コン(東京)には行ったことあるんだけどさ。

「今は恋人がいなくても、街コンにいけばできると思っていた。」というやつ。

そんなことはないんですよ。それは行けば分かるんじゃないかなー


収穫があったとはいいがたいかもしれないけど、でも良い経験ができたと思う。連絡先を交換したことは、それだけはまず自分を褒めてあげたいな、と思った街コンなのでした。

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