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人間への認識と現実のズレから起こる問題の話

 どうも、虚無の先と名乗らせていただいているものです。皆さんは人間は何をもって定義されると思いますか?と書いたらおそらく8割ほどの方がブラウザバックされたと思います(そもそもタイトルの時点でブラウザバックされるか…)。が、この問いから逃げることが今の社会に広く存在する分断の原因の一部になっていると考えるので、正面からぶつかっていこうと思います。ちなみにこれ陰謀論者はまた違う領域にいるので考えないこととします。

生物学的に見た場合

 人間に限らない動物種は有性生殖ができるかどうかを大きな指標として種としています。基本的に有性生殖をした結果生まれた子供が有性生殖できるのならば、それは同一種です。逆に言えばロバとウマを掛け合わせたラバは繁殖力を持たないためロバとウマは別種ということになりますし、そもそも授精しない卵子と精子の組み合わせもあるでしょう。それらは別種です(以下このような定義を生物学的定義とします)。が、人間はヒト(=Homo Sapiens)の定義をこのような形のみでしていますか?

社会的に見た場合

 では、あなた方は人間と言われたときに原野にほっぽり出された全裸のヒトを思い浮かべますか?ほかの動物と同様に考えればヒトの定義は生物学的定義と変わらない「全裸で原野にほっぽり出されたヒト」で十分です。が、Wikipediaのヒトのページではこちらの画像が使用されています。

引用:Wikipedia

 Wikipediaの画像がこれに決まるまで紆余曲折を経たというのは有名な話です。もちろんこれが人の一意的イメージであるなんて言えません。ただ、社会において人間は動物のように相互に有性生殖できるかどうかではなく、上の写真のように服を着て、道具を使い、環境を加工する「社会を構成する一単位」として定義されていると言えます(以下この定義を社会的定義とします)。それを満たすことができるなら人間として認められ、できないのであれば人間として認められない(チンパンジーは人間と同等の働きができないので人間として認められない)わけです。

 そして、自分は人間はその両方の定義が存在することは理解しつつも、社会的定義を優位に据えています。言うなれば「人間は社会を構成する一生物」と定義しているわけです。ゆえに、人間に食欲や性欲があることは否定できないわけです。食欲が無ければ当代で命をつなげないし、性欲が無ければ次代に命をつなげません。その両方があって自分を含む人間は存在しえたわけでそれらがあることでやっと生物は生物たりえるのではないのでしょうか?

定義のズレについて

 生物学的定義のみで人間を認識した場合、有性生殖できるかどうかで人間か判断するのは複合的な要因によって現実的とは到底言えるものではありません。ですが、人間の生物学的特徴はあります。それによって生殖以外のところで現実的に人間を認識することは可能でしょう。ただ、今回の話では人間をどのように分類するかよりも人間を何と見るかが大事です。生物として見るのか、もしくは社会を構成する一単位として見るのか、このズレが定義のズレに繋がります。生物学的定義から見た場合は人間を一生物として見ていて、社会的定義から見た場合は人間を社会を構成する最小単位として見ています。

 この「人間は生物である」という認識と「人間は社会を構成する単位である」という認識はおそらく多くの(この文章をここまで読む程度の読解力を持つ)方は両方備えているものだと思います。では、ここから片方の認識が抜け落ちた場合を仮定して考えてみましょう。

生物学的定義による人間の認識が無い場合

 人間を社会を構成する一単位とした場合、人間の認識はどちらかというと人間というよりもAIへの認識に近づきます。伝わりづらいので少しかみ砕くと人間を社会を構成する一単位のみで考えた場合、人間は自身が生きる/子孫を残すための欲(=食欲と性欲)が無くなるため、個人の目標が無くなり、目標が外部によって設定されたものしかなくなります。外部によって提示された目標に向かって突き進む道具として自分はAIが思い浮かんだので自分は生物学的定義による人間への認識が抜けた場合、人間への認識は今自分が持つAIへの認識に近いものになると予想します。

 では、狂気の領域に入りましょうか。その認識を実際に人間にぶつけた場合、どうなるでしょうか?基本的に認識と現実がずれている場合、間違っているのは認識です。ゆえに自分は認識を現実に合わせる修正を行います。が、現実を認識に修正する方がその人自身は変わらなくていいため楽です。現実を修正するためにコストはかかりますが、強者/マジョリティなら到底払えるコストです(逆にこのコストを払える人間をマジョリティと再定義した方が良い気もしますが)。

 現実の人間は生物なので当代生き延びて次代に命をつなぐため性欲や食欲があり、そしてそれらが将来にわたって充足されることを願います。ですが、たとえ生物学的定義が抜け落ちていたとしても経験的に(食欲は日常的にあるので)食欲はあることを知っているはずなので日常には性欲の発露が無いため、「人に性欲がある」という認識が抜け落ちます。

 人に性欲はないという認識と人に性欲があるという現実がぶつかり、かつ、認識を現実を基に修正する程度の知性が無い人間は、性欲の存在、および性欲を呼び起こす因子への攻撃をします。それがAV新法賛成派に代表される俗にツイフェミと呼ばれる人間です。(まあ正直ツイフェミというよりも性嫌悪主義者と表現する方が正しいですが)

 また、食欲が満たされない経験を積まなければ食欲の存在も無視できると考える人もまたいるでしょう。それが個人の食欲(に起因する資本主義の発展)を否定する共産主義者になります。俗にツイフェミと呼ばれる性嫌悪主義者が共産主義とつながりやすいのは人の欲望を否定する程度の知性を持つ人間が少なく、同族意識が芽生えることも原因の一つでしょう、ヒトを35億年の間生存し、生殖してきた生物の一種としてみなすことができない人たちがそのあたりの人々であると考えられます。

 そして、先ほどから何度か述べている、認識と現実の矛盾の際の対処法ですが、基本的に先ほど述べたように、認識を改めねば現実は変わらないのでどうしようもないのです、これは科学的思考です。それを放棄した場合、科学を信じない思考になりませんか?ツイフェミが科学的根拠を無視する根源たる理由はそこにあると考えます。また、wokeの類もこれに分類され得るとは考えるのですが、そのあたりのリサーチはまだ自分の中で足りていないと考えるので、保留としておきます。

社会的定義による人間の認識が無い場合

 社会的個体として人間を認識しない場合を探すのはかなり難しいです。というのも基本的に社会はかなり発展しており、その発展した社会の恩恵を受け入れない方を探すのは非常に難しいためです。海外でアーミッシュと呼ばれるコミュニティが一応一例にはなるのですが、日本における知名度が低い上に、アーミッシュのコミュニティはそれはそれで発展した現代社会より小さいとはいえ社会を構成しているため、例としては不適切です。ただ、反ワクチン系の方は部分的ではあれど、ワクチンを軸にした集団免疫を構築しようとする社会の単位であることを放棄し、ほかの方にもそれを求めるため、集団免疫という面のみで部分的である点は強調しますが、社会的定義を認識していない、もしくは認識が弱いと考えます。

 そして、反ワクチンもまた科学の結果であるワクチンを受けるべきという同意を無視しています。が、こちらは、ツイフェミとされる人々とは異なり、ワクチンを接種するリスクの過大評価を根拠としているので体質や持病の問題がある方の存在も含めると単純に非科学的と非難できるものではありません。どちらかというとそこにおいては判断基準が違う程度と自分は捉えています。ワクチンは「大体安全」であるのですが、反ワクチンはそれを十分でないと考えている方が多いのが現状です。が、正直なところ完全に安全なものは存在しえないというのが自分の考えなので自分はあきらめてワクチンを打っています。

両方が無い場合

 見出しで「は?」となった方もいると思います。一言で表すとこれは陰謀論者です。陰謀論の成立のためには人どころか陰謀論を成立させるために必要な要素以外を全部無視しています。これにかかったら反ワクチンかつツイフェミにもなりえます。

救い方

 ありません。人のものの見方はかなり若いうちから決まり(思春期で確定すると考えるのが自然です)、それが一生続くと考えられます。正直な話救いようはありません。これは上記のどれでもそうです。もし救えたら奇跡です。救えたら誇ってください。自分には無理です。

最後に

 先ほど軽くWokeについて触れました。Wokeのように教育の段階で科学的思考を失わせるような教育を取らせるのは、科学の発展可能性を奪う行為です。が、自身の社会的地位(自身の欲の充足)を確固たるものにするために行われています。また、日本でもツイフェミや共産党も補助金を利用してそのような行為を採っているのではないかという疑惑があります。自身の欲の充足のために他人を足蹴にするような行為を彼らは行っているわけです。自分はそれに抗わないといけないと考えます。

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