母の実家には鬼がいたかもしれない話

普段noteをこういうブログ用には使っていないのだが、ふと思い立って筆を取ったこの話についてはnoteに載せてみたくなった。

母の実家は、母の両親(自分の祖父母)の年回りの悪い時に建てられたのだという。

母は当時その家を建てることに反対したそうだ。
「おかしい、できすぎてる。この住所には建てたくない」
それは番地以降の住所が「4-32-4」となる土地だった。
母の父(以後、祖父)は、名前を「三二(みつじ)」という。三二の名を、「死」を連想する「4」で挟んだ縁起の悪い住所だった。
祖父の立ち上げた事業の事業所を兼ねた自宅であり、母の反対も空しく方方の事情で結局そこに家は建てられることになった。

母は霊感がある。ひとつは母が20才を迎える前の頃。
ある夜、網戸が激しく開け閉めされる音がして怖くなり、両親の部屋で眠ることにした。兄(叔父)もいたという。
眠ったのも束の間、夜中に目を覚ますと、椅子に座って祖父の顔をじっと見る人物がいた。
白装束に髷を結い、さながら侍のようだったというが、顔は灰色にぼやけてよく見えなかったという。
視線の先の祖父はうなされていた。見るとその侍が握りこぶしを祖父の顔の上に翳しているのである。
おそるおそるそれを見ていた母は、ふと(顔がぼやけて見えないはずの)侍と目が合った。すると侍は拳を母の顔の上に翳す。母は金縛りとなり動けなくなった。慌てて「南無阿弥陀仏…」と見様見真似の経を唱えると、侍はすっと立ち上がり母の足元のほうへと歩き出し、フェードアウトするかのように消え去ったという。
すぐに母は両親と叔父を起こした。叔父は「寝惚けているんじゃないよ」と呆れた様子だったが、祖父・三二だけは「うん…うん…」と頷いていた。

またある夜は、ラジオをつけたまま寝るのが日課だった母が深夜に目を覚ましたところ、ラジオの音が消えていた。
夜が深かったので番組が終わってしまったのだろう、と合点するやいなや、窓の外から「カッポ…カッポ…」と、馬の蹄のような音がするのだという。やがて嘶きまでもが聞こえていた。窓の外だ。
……おかしい、ここは3階だ。
何を根拠にしたのか「こういう時は南無妙法蓮華…って言うんだ」と叔父に言われた母は、無心に念仏を唱えた。するといつの間にか蹄音はしなくなり、消えていたラジオがフェードインしてきたのだという。

こういった体験はいくつもあるという。

家は何度かお祓いをしたそうだ。寺の者が言うには、霊界への通り道、すなわち「鬼門」が堂々とこの家を通って存在するのだという。先の話に出た白装束の侍が消え去った場所がまさに鬼門の位置であったようで、死霊、生霊、動物霊、なんでもござれと言わんばかりに八百万の霊が跳梁跋扈している家だったそうだ。
また「年齢が上の者から死ぬ」とも言われたらしい。まぁそれはそうだろう……という話でもあるのだが。

祖父は50代前半、食道癌で他界した。告知をされても酒を止めなかったという。きっとそのせいだ。
自分は祖父の死より後に生まれたので、会ったことがない。よく似ていたらしく、生前……青年期の写真などを見ると、自分に瓜二つだった。祖母にはよく「足の形がそっくりだ」とも言われる。「生きていたらすっごく可愛がってくれただろうに」とも。
交友が広く、誰彼構わず家に呼んでは飲み明かすような人だったそうだ。豪放磊落とでも言うのだろうか、母は知らない人がいつも家にいるので嫌だったと漏らす。

祖父が亡くなる少し前に家族写真を撮ったそうだ。
その写真、祖父の顔を覆うように恐ろしい形相の鬼が写っていたという。真っ赤な鬼が。

祖父が立ち上げた会社は食品関係の卸業者で、年末、大晦日までがまさに書き入れ時となる。晩年、その時期既に体調を崩していた祖父は、不調を押して暮れの激務をこなし、仕事が落ち着いてすぐ、元日に入院したという。
ある夜、病院から危篤の報が来た。その際、家の中で不自然に物が倒れたり落ちたりしたそうだ。
2月になってすぐ、祖父は世を去った。件の家族写真からは鬼の顔が消え去っていたという。

まるで祖父を冥府へ連れ去るようにして、その家で起こっていた怪奇現象はぴたりと止んだ。


その家には現在、祖母と叔父夫婦が住んでいる。
祖母は80歳を過ぎてなお自ら家業に携わり健在、祖父の会社を継いだ叔父は一財を築いたが、夫婦は子宝に恵まれなかった。

母は家を出て結婚し、自分がいる。そのまま同じ家に住んでいたら生まれることすらなかったのだろうか。
自分の掌には「家を出ることで運が開ける」という相がある。現在は母と二人暮しだ。
一時期祖母も住んでいた母の新居(現在の自宅)もまた、建てた当時には悪霊らしきものがいたという。お祓いもしたようだが、建て替えによっていなくなったようで、生まれてこの方、この家で母からそのような話を聞いたことはない。
とはいえ母は自分が2歳になる頃には離婚、結局のところ家庭運は薄いようであった。

祖父が鬼籍に入ったことで、母の実家の怪奇現象はぴたりと止んだ。とはいえ、何もいなくなったわけではないようだ。

ほんの3、4年前、これは自分自身が体験した話である。年末は忙しく手が回らないということで、叔父の会社の取引先宛の年賀状作成を手伝っていた。
作業に時間がかかり、時刻は深夜2時を回る。既に家の者は床に就き、起きているのは自分一人。祖母からは泊まっていきなさいと言われていた。
この家は三階建てだ。一階は作業場と事務所、二階以上が居住空間で、二階にリビングと客間、浴室に事務所がもうひとつある。三階は寝室だ。
二階の事務所で作業を続けていると、部屋の隣の廊下、その天井から、「ミシッ…ミシッ…」と軋む音が何度か聞こえてきた。まるで人が歩いているかのようだった。
不思議な話で、家の構造上、二階の廊下の真上、三階のその位置には人が立ち入れる場所はないのだ。
自分には霊感はないが、その軋音がどうにも不気味に感じられて、その日は泊まらず、真夜中に1時間ほど歩いて自宅まで帰ることにした。妙に怖かったのと、その日はイヤホンを持っていなかったので、駅近くの100円ローソンで音の悪いイヤホンを買って大音量でロックを聴きながら帰った。

母に話すと「あーやっぱりなんかいるよね、今は悪いのはいないけど」という。とりあえず母の実家には「なんかいる」が共通認識となっている。

不吉な住所に建てられた家、鬼門、祖父を巡って起きた怪現象、子供に恵まれない叔父夫婦、唯一家を出た母だけが子供を産んだこと、そしてその子供であり祖父と瓜二つの自分の誕生日が、母の実家の番地「4-32-4」で祖父の名「三二」を挟んでいた数字、すなわち「4月4日」であること。

すべて単なる偶然かもしれない。ただ漠然と感じている「この街から出ていったほうが自分にとって良い」という感覚も含め、何か思わずにはいられない今日この頃なのであった。






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