【本格ポテトサラダ小説】「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」【短編】

「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」
老人は若い母親に吐き捨てて立ち去った。
 俯く母親。右手に持っていたポテトサラダの容器をそっと什器に戻す。不意に零れた涙に戸惑い、立ち尽くす。まだ幼い息子は母親の様子に気付かない。特撮ヒーローの写真が載った魚肉ソーセージのパッケージにしか興味がないようだった。

 数日後、スーパーで購入したポテトサラダを食べた人が変死する事件が世界各地で同時発生した。
捜査は困難を極める。生物兵器を用いた世界規模のテロとも疑われたが、毒やその類が検出されることもなく、原因不明の怪事件として恐れられることとなった。
 真相が解明されたのはそれから二十年も経ってからのことだった。奇人・変人・しかし天才と謳われるとある医学者が突き止めたのだ。その説はあまりにもオカルトじみていたが、自身の莫大な私財を投じて重ねられた緻密な実証実験によりそれは証明されることとなった。
 実験には、彼が遺伝子操作により生み出したヒューマナイズド・マウスが用いられた。体組成などが従来のマウスよりも遥かに人間に近いだけではなく、人間の皮膚や体液を移植することで、その特性を付加・アップデートすることができるのだ。これにより、この時代には日々密やかかつ微かな進化を続ける人類の傷病治療法発明に最速で対応ができるようになっていた。

 結論から述べると、実はある日を境に人類は「スーパーの惣菜コーナーで売られているポテトサラダ」の致死量がわずか1gになってしまっていたのだ。
 全く同じ材料(産地を含む)・調理法で作られたものでも、家庭で作ったものは問題なく、スーパーの惣菜コーナーで売られるものでだけ、マウスは死亡した。調理器具・包材にもなんら問題は見受けられず、さらには調理が完了した時点で食しても死亡することはなかった。マウスが死亡する条件は「スーパーマーケット(およびそれと同一視されている商業施設)で製造されている」「商品として販売されている」「以上二点を満たした状態で、商取引によって購買される」この三点を満たしたポテトサラダを摂取することである。また、他の商品の付属品として抱き合わせて販売したり、0円で販売、廃棄扱いとしてバックヤードから外部に持ち出し別の場所で販売、といった条件下でもマウスは死亡している。「スーパーマーケットの販売意志」が関係しているのではないかという説に基づき更なる研究が続けられているところだ。
 当初はあまりにもオカルトじみた仮説であったため取り合われることもなかったが、徹底的に行われた実験の末に証明されることとなった。なお、コンビニを含む小規模な商店で製造・販売されたものや、飲食店のテイクアウト品についてはもちろん問題無く食べることができる。
 とはいえ突然変異的な生体の変化に、その説が証明され浸透、そして大衆からの信用を得るまで、暫し世界は「食」への大きな不安を抱えながら長い時を過ごすことになるのだった。

 数十年後、タイムマシンが開発された。
 惣菜コーナーにいた若い母親に心無い言葉をかけた老人、彼はその若い母親の息子、特撮ヒーローの魚肉ソーセージを早く開けたくて仕方がなかった児童の未来の姿であった。事件が起こる前の母親に会い、なんとかしてポテトサラダを買わないように仕向けようとしていたのだ。
 その結果として出た言葉が冒頭のものであるが、俯く母親の姿を見て直ちに選語を誤ったことを理解した。
 ……いつもこうだ。自分はいつも言葉を間違える。それは自分の中身が、社会性や知識や教養などを剥ぎ取った裸の自分自身という存在が、卑しく傲慢で他人の気持ちを汲み取れない冷酷無比な蛮人であるからだ。あとどれだけ生きられるかもわからないほど生きてきたのに、未だにこのザマだ。恥ずかしい。ましてや過去に失った家族を救うために、多大な時間と労力を費やし、時には研究機関や政府をも欺き、買収し、大義のためにと他人を蹴落とすことも厭わず、あらゆるものを犠牲にしてやっとの思いで時空を超えてここまで来たというのに。

 過去を直接的に変えうる言動は時の法律によって禁止されている。また、タイムマシンには搭乗者の意識に接続し、歴史改変リスクのある言動を自動制御するプログラムが予め組み込まれている。真実など言いたくても言えない。しかし、思い悩んだ末に辛うじて捻り出した言葉が、よりにもよってこれだ。最愛の母の尊厳を深く傷つける最低の言葉だ。どうして、どうしてだ、自分よ。情けない、ああ情けない。一刻も早く言葉から、この時代から立ち去りたい。一目散にタイムマシンへと向かった。

 こんなことでと他人は嗤うだろう。しかし生涯をかけてこんなことひとつもできない自分の惨めさは、目に余る。
 タイムマシンは長旅だ。何色と呼んでいいのか、定形はあるのか、明るいのか暗いのかも、前後の感覚すらもわからない、世にも不思議な空間をひたすら浮遊して移動する。ただでさえ不安を煽るこの空間で、老人は自ら時空の海に飛び込み、それっきり二度と発見されることはなかった。


(おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?