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まだ誰も書いてない「すずめの戸締まり」の考察

ネタバレを含みます。
が、観てない人には何書いてあるかわからないレベルなので読んでから劇場に行けば、あ〜このノートはそういうこと言いたかったのか、と納得できると思います。

もちろん、映画観てから読んで頂くことを推奨します。
他の人のレビューを見てもこういっま考察がなかったので書いてみました。



ポイントはわたしにとってず〜〜〜と違和感のあった富士山についてです。

よろしくお願い致します。





さて、旅の道中。すずめとそうたは新幹線に乗ります。

そこでわざわざ富士山をみたかった!と悔しがったすずめ。


新幹線に乗るだけで嬉しそうにしていたことを思い起こすと、遠くへまだ出掛けたことが無いのかな、と想像できます。

しかし、この映画で富士山が出てくるのはここだけではありません。



二ノ宮ルミ(クラブのママだったひと!)のちびっこ二人をすずめが子守していたとき、

「お姉さん、富士山役ね!」とすずめをよじ登りました。



みなさんスルーできました?

わたしは出来ませんでした。

これは明らかに違和感がありました。山とかではなくわざわざ、富士山、と言ったんですよ?


そして3回目の登場。

閉ジ師秘伝ノ抄です。

でかい山からミミズが出てくる絵が書かれていました。

富士山と書かれていませんが、あれは富士山でしょう。

じゃなきゃあんなに富士山を登場させません。



ただ、作中の絵のもとになったのは我らが浅間山の大噴火の絵だと思います。


浅間山の大噴火の火山灰により天明の大飢饉がもたらされた

わたしの地元長野県佐久市では浅間山がきれいに見えます。実は新海誠も佐久市出身。



ほんとは浅間山を登場させたかったの渋々我慢して、作中では富士山として登場させたのではないかな、と思います。
浅間山なんて聞いたことないでしょ?みんな。


つまり新海誠としては、3.11や関東大地震、熊本地震だけでなく宝永の大噴火や天明の飢饉についても思いを馳せてほしかったんだとわたしは考えています。



そうだとすると、わざわざ富士山を登場させて、こどもたちに富士山!と言わせたことも、しっくりきます。つまり…



数百年前はたくさんの人を死へ追い込んだ自然が、今では「美しい」とか「なんだか楽しい」とか「観光地」みたいなものという価値観になっています。そして、それに気付いていない人間のスケールの小ささ。こういったことを表現したかったのでしょう。

数十年経てば、災害を経験した人でさえ、忘れてしまう。

いわんや、数百年をや、ということです。

わたしの家系の墓の横に石がたくさん転がっている場所があります。
おじいちゃんにこれはなに?と聞くとおじいちゃんは「それは貧しくて墓をたてられなかった時のお墓なんだよ。だから踏んだりしてはいけないよ。」と教わりました。
これもおじいちゃんに教わりましたが、天明の大飢饉の時の位牌はとても簡素だったそうです。これがそうだよとペラペラのかつお節みたいな薄さの紙切れに文字が書いてあったのを覚えています。
そういう時代もあったんだ、と映画は語ってくれてるように感じました。



芹沢が壊れた街に草花が生えている様子をきれいと言い、それをすずめがキレイじゃないと怒ったように。

すずめが富士山をみたい!といったのを江戸時代の人たちが聞いたらどう思うでしょう。あぶねぇから近づくな!とか言いそうですよね。


そんなどうしようもない記憶や歴史の儚さがメッセージとして隠されていると感じました。


各地で助けてくれた人のあたたかさや災害の怖さを描くだけではなく、災害の記憶が褪せていく現実を大きなスケールで描いている作品だと感じました。



まだ見てない方はうるっときますのでぜひ劇場で。



チェンソーマンの考察も最近人気ですのでよかったらどうぞ。フォロー、スキされたら喜びます。



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