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自転車を「二輪」で考案した発想

 ずっと前から、自転車を発明した人はどこの誰で、どんな思考回路を持っていたのだろうと不思議に思っていた。
 どうしても不可解なのは自転車が二輪であることだ。二輪の乗り物がいかに不安定かということはかなり能天気な私でもわかる。二輪が前後に配されようと、左右に並んでいようと、どう考えても簡単に乗れるものではない。
 その証拠に、子供が練習するときには補助輪や誰かの手助けが必要だ。転べば痛いし、へたをすればけがをしたり着ているものを汚したりする。

 そんなわけで、考案するならまずは安全性や利便性を考慮して三輪で発想するのではないか。それが一般的かつ普通の考え方ではないかと凡人の私は思う。
 なぜ二輪なのだ(一輪よりはマシだけど)。不安定きわまりない二輪では、製品化したところで受け入れられないかもしれないなどと思わなかったのだろうか。
 二輪なら、乗れるまでの苦労を帳消しにして、さらに余りあるメリットがあると見据えていたのだろうか。後の世では限りなく必需品に近いまでの存在となり、さらにはオートバイにまで発展すると、そこまで読んでいたならたいしたものだと思う。

 たしかに、二輪ならではのメリットはある。部品点数は少なくていいし、当然製造工程もシンプルにできる。車体重量も軽くできる。そのうえローコストだ。
 狭い場所にも置けるし、走行するにも幅をとらないなど、取り扱い上でもメリットは大きい。

 それにしてもなぜ二輪なのだ。なんの不安も疑問もいだかなかったのだろうか。二輪で開発し続けた頭脳、私は心底感心している。

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 ここから先は脱稿後に調べたこと。
 自転車を考案したのはドイツのカール・フォン・ドライス男爵と言われていて、彼は1817年に、前輪と後輪が同じ大きさの「ドライジーネ」なるものを発明した。これは足で地面を蹴って進むやつだが、これが自転車の原型とされているそうだ。
 自転車の定義やら関わった人物やら、いろいろが交錯していることから、考案者については現在も「正答」はないらしい。

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