ネットに詩を書くことについて
ぼくがネットで詩や文章を載せ始めたのは、50代だったろうか。途中でやめたり、ぜんぶ削除したり、また始めたりしてきたけど、もうかれこれ20年以上も書いている。
それで、もちろん毎日書く垂れ流し(と、言われたことがある)のような文章に、何の意味があるだろうと、考えることはある。
ただ、これも一つの表現に違いがないだろうと思う。
というのも、どこかに読んでくれる人がいるのは確かなことだし、書くものによっては、「ああ、いつまでも詩に夢中になっている人もいるのだな」と思ってくれて、自分に引き当てて、「それならば、つらい日々のつらい気持ちを、多少はよそへ逸らしてくれるなら、自分だって自分なりの詩が書けるのではないか」と、思ってくれる人がいるのではないかと、思うからだ。
時間とお金をかけて本を出すことも、ぼくは大切な行為だと思うけれど、こうして、気楽に思いを受け渡す行為も、生きているひとつのかけがえのないおこないだと思っている。
ずいぶん前から、たいていの本屋にはほとんど詩集が置かれていない。自分で詩集を出してもせいぜい500部くらい(それもすごいと思うけど)。そんな中で、ネットを通じて何千人の前に即座に詩を差し出せる行為に、意味がないわけがない。
書けば誰かから「いいね」の反応がくる。たくさん「いいね」されることも、もちろん嬉しいけど、そうではなく、ほとんど無反応だった寂しげな記事に、ひとつの「いいね」が恥ずかしげにつくのも、むしょうに嬉しい。
たった一つの「いいね」。
いったいどこの、だれが、へそ曲がりに「いい」と思ってくれたのだろう。
ぼくは妙にセンチメンタルな気持ちになって、その人のために、とことん正直な思いを垂れ流してゆこうと思う。
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