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池上 彰・天皇論

 ※-0「2015年2月27日」に書かれていた,この「池上 彰」の発言を介した「21世紀における日本国・天皇論」で,はたしてこの国の真相(深層)はつかみえたのか?

 a) 上の※-0としての「見出し文句」のとおり,この記述じたいは9年以上も前にいちど公表されていたが,その後お蔵入りしていた一文である。

 『毎日新聞』は敗戦直後から盛んに「皇室ヨイショの基本姿勢」を保持してきた。新聞社としてのその種の方針が「国民たちに向けて天皇・天皇制」を無条件で,つまり「聖なる家族の存在」として洗脳させるための役割を果たしうることを,毎日新聞社はよく承知するはずである。

 たとえば,『毎日新聞』2024年5月1日朝刊17面「特集」は,天皇夫婦の活動(公務?)をつぎのように,それこそ「聖なる行為」であるかのごとくに報じるための紙面として制作されていた。

 だが,今年の元日に発生した能登半島地震の被災者たちのなかには,いまだにろくに救済も支援も受けられていない事実との,いってみれば厳密で詳細な突きあわせも踏まえたうえで,彼ら夫婦の行動をこのように報じているのではなかった。

上の紙面下部に掲載されていた広告は
皇室を利用した便乗した営利のための商法の一例

つぎは同じ紙面のうちから左上部分の「表」と「画像」の部分だけを
大きめにして紹介する

この記事の解説を語った河西秀哉も
大学教員としてなりに皇室翼賛の立場にいるとみられて当然
天皇夫婦のこのかっこう:姿勢はどのように観察されるか

つぎに『日本経済新聞』の該当記事もあわせてかかげておく
天皇夫婦の足先のかっこうに注目

 各紙がこの種になる「皇室関連の報道」をしたさい,そこに添えられる「関係の写真」を観て即座に思いだすのは,たとえば,以下のごときに「皇室関係者が記録してきた出来事」であった。

 b) 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災や,2011年3月11日に発生した東日本大震災と東電福島第1原発事故などに被災した人びとを見舞う平成天皇の行為も,今回の能登半島地震の被災者を見舞う息子夫婦のそれと同じ要領で報道されていた。

 しかしながら現実問題,能登半島地震の被災者や現地の復旧状況進捗状況は,この北陸地方で発生した地震に対する国家体制側の支援活動は,いまだに不活発どころか非常に冷酷な状況にある。

 とくに,首相である岸田文雄は,この5月の連休中には外遊にいってこの日程を楽しむことにご満悦であっても,自国民の自然災害罹災者の救援については,いままで実質的に,かなりひどい状況のまま放置されてきた事実を,なんとも感じていない。

 それこそ「国家最高指導者としてならば『飛びっきりに異次元の鈍感力』を発揮してきた」人物であった事実,いいかえれば「世襲3代目の政治屋」としての唐変木ぶり,もっと分かりやすくいうためにあえて断言するとしたら,

 「非常識そのものだったというよりは社会常識のイロハさえもちあわせない」で,だから「異次元の鈍感力」さえも超越しきっていたような,つまり,彼なりに超一流であった「鈍感さの極致」が,遠慮することなどなく,披露されてきた。

 この国は最近,自民党裏金問題が政治の表舞台では大騒ぎさせられている割には,能登半島地震の被災者・被災地に対する救援・復旧活動,「その災害状況に対して充てられるべき支援活動の総力」の確保が,相当いいかげんにあつかわれ,絶対的に不足している。そうだと判断されてなんらおかしくはないくらい,その復旧活動は大幅に遅滞している。

 c) 話を2024年の5月1日に戻すが,この日付は,徳仁天皇が即位してからちょうど,実質6年目に入る区切りの日付になっていた。ということで,各新聞紙が以上のごときに,「天皇・天皇家」の,いわば「被災者慰問のための公務(?)」に熱心に励む姿を,この時とばかり麗々しく報じていた。

 要するに,「被災地・被災者⇔天皇夫婦の行動⇔岸田文雄」という関係性は本来,「被災地・被災者⇒岸田文雄〈首相〉(⇒天皇夫婦)」が主軸(相互の ⇔ の相対関係)となって,関連することがらが進行していって当然であった。

 つまり,国家体制枠内における基本的な政治構成として推進されてしかるべきその核心部分が,この5月1日の新聞報道をみるかぎり,天皇夫婦の存在(行動)だけが特別あつかい的に,すなわち無条件にかつ優先的に突出されて当然とする政治空間史の一幕が,意図的に形成されていた。

 この2024年5月になっての「この国における焦眉の問題」は,被災地・被災者の支援・救済がいかほど実施されてきたかが,これが依然もっとも緊要な課題でありつづけているはずであった。ところが,こちらの対応がベタ遅れどころか,実態としては手抜きされていたか,あるいは放置されてきたかのような「現地の実情」が,いまだに観察できる。

 能登半島地震の被災に対して,いまの自民党政権はいったいなにをもたもた対応してきたのか,それとも,もしかするとサボタージュしていたのではないかと非難されてもおかしくないほど,全然やる気がなかった状況がつづいてきた。

 d) 堤 未果「『テレビで総裁選の話をしている場合か!』 能登半島地震後の岸田首相に批判殺到 … 国民が政府の災害対応に違和感を覚えるワケ -『国民の違和感は9割正しい』より #1」『文春オンライン』2024年5月8日,https://bunshun.jp/articles/-/70309 から。

 〈最新のネット記事〉が,岸田文雄(の政権)が能登半島地震発生以後に残してきた「(彼なりの)対応の記録」を踏まえてだが,つぎのように相当にきびしい批判を与えていた。

 なお〔 〕内の補足(語り)は引用者(本ブログ筆者)の加筆である。

 米国依存からの自立を訴えつづけた,石橋湛山元総理は,こんな言葉を残しています。〔つまり,堤 未果はいきなり,岸田文雄をこのように猛批判している〕

 〈もっともつまらぬタイプは,自分の考え,言葉をもたない政治家だ〉

 ◆-1 地震と関係ない一連の動きに突っこみが飛びかう

 さらにこの後の〔岸田文雄の首相としての〕行動が,またもや国民の怒りを買いました。記者会見の後,フジテレビの「プライムニュース」に出演し,〔岸田文雄は〕笑顔で総裁選への思いを語ったのです。

 続いて翌日〔2024年1月〕5日には,経団連の新年会に出席。地震に関係ないこの一連の動きに,〈まだ生き埋めの国民がいるのに新年会か!〉〈テレビで総裁選の話をしている場合か!〉と突っこみが飛びました。

 自分の地元で同じことが起きた時の政府対応を想像し,不安になった国民も少なくないでしょう。

 ◆-2 総理と知事にみえない “関心” と “覚悟”

 一方,馳浩石川県知事は,県の予算から1000万円を大阪万博関連事業に入れると発表し,これまた多くの国民の怒りを買いました。いまは,万博よりまず被災地では(?)という質問に対し,知事が会見でいった,「私は維新の顧問なのでね」という発言で,さらに炎上。

 自民党に籍をおきながら維新の顧問をするという奇妙な立ち位置から,まるでお友達に公金をまわすんだといわんばかりのその態度が,被災者と県へ寄付してくれた人びとの感情を逆なででしたのです。

 ちょうどそのころ,万博は,350億円のリングに2億円のトイレなど,法外な備品価格が批判されていた,なんとも最悪のタイミングでした。

 総理〔岸田文雄〕と知事〔馳 浩〕に共通しているのは,被災地への関心がよくみえないこと。ある地方紙の記者は呆れた顔でこういいました。

 「これだけの災害が起きて,避難所では凍死者まで出ているのに,なぜか総理も知事も,被災地じたいへの関心が感じられない。知事はまだ当選したばかりで経験がないというが,あそこは前にも地震があった地域じゃないか。そして一体,あの原稿棒読み総理は,なにも覚悟がないのかね……?

 いいえ,総理のなかにはちゃんと,別な覚悟がありました。

堤 未果の岸田文雄批判

 以上のように語られた堤 未果の「岸田文雄・批判」は,続編の「『総理,原発について質問させてください』岸田首相が会見で記者の質問を無視…能登半島地震発生後,政府が行った“奇妙な対応”-『国民の違和感は9割正しい』より #2」『文春オンライン』2024年5月8日,https://bunshun.jp/articles/-/70310 にもつづけて語られているが,ここではあえて参照しない。興味ある人は(上の住所)をクリックして,さらに読了してほしい。

 e) さて,ここまでの記述が,2024年5月8日(本日)の時点において,ごく最近の話題を拾いながら追論してみたものである。

 堤 未果が石橋湛山のことばを借りて,岸田文雄という「世襲3代目の政治屋」のダメさ加減を,

〈もっとももつまらぬタイプは,自分の考え,言葉をもたない政治家だ〉

だと喝破した点は,至言。

 日本に大勢いる「世襲3代目の政治屋」たちは,安倍晋三がその典型的な悪見本ともなっていたように,この国をぶち壊すことに限っては,それなりに有能であった。

 岸田文雄もまた,無条件に「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」だらけだった晋三の足跡を,馬鹿正直にもそのまま踏みしめるがごときに,いうなれば「下手クソきわまりない為政(失政・悪政・愚政)」を,まさに「丸出だめ夫」的に遺憾なく発揮してきた。

 2010年代に,日本政治が安倍晋三により大破壊された。2020年代になるとこんどは,岸田文雄がそのガレキの跡をさらに引っかきまわすごとき「無意味な為政」を,彼自身の感性によればそれなりには意義ある采配を振るってきたつもりで,担当してきた。彼らのごとき「世襲3代目の政治屋」という存在(特定集団の一群)は,この国を破壊することにかけてだけは,無条件に「本当のすご腕」だったのかもしれない。


 ※-1 池上 彰先生の「明」講義の「暗」点に潜む皇室問題分析の死角-「徳仁・皇太子(1960年生まれ)が2015年2月23日に55歳の誕生日を迎えた」ときの「各紙記事」-

 この※-1から以下につづく記述関して挙げておきたい「要点2つ」

 ▲-1 皇室関係記事の基本的な問題点であるものが,池上先生の観点に載せても映りえなかった「なにか」として残された

 ▲-2 「菊のタブー」的な姿勢と無縁ではない言論人としての池上先生の制約・限界

池上彰先生の制約

 1)「 皇太子の『法への言及,なぜ伝えぬ』」『朝日新聞』2015年2月27日朝刊19面「オピニオン」欄

 a) 前 提-菊のタブーは皆無といえるか?-

 池上 彰が朝日新聞「オピニオン」欄の特設コラムで定期的に連載している『池上 彰の新聞ななめ読み』は,本ブログが先日〔ここでは2015年2月24日〕に「皇太子のお家大事:皇室安寧志向路線」(誕生日記者会見発言)と『安倍晋三のオモチャの兵隊さんごっこ:戦争お遊び』路線とが相剋する日本国絵柄」という題名でとりあげた内容のうち,とくに皇太子に関する問題について,以下の 2) に紹介するような議論を展開していた。

 補注)その2015年2月24日の記述は,本ブログ内ではまだ再公表されていなかった点を,ひとまず断わっておく。

 池上 彰が指摘した〈論点そのもの〉は,筆者も〈そういった論点〉として問題になりえると同感できた。だが,その論点をとりあげている視座,そしてこれが議論する方向については,池上の立場に対しては重大な疑義を抱いている。

 その批判点は,池上だけでなく日本人・日本民族の多数派において共通する,いわば「菊の禁忌(タブー)」的に掣肘された執筆態度に感得できるものであった。

 ともかくさきに,池上 彰の記述を紹介しておく。例によって,記述の途中であっても本ブログ筆者流に,遠慮なく「補注」の形式で寸評をいちいち挿入していく。

 b) コラム『〈池上 彰の新聞ななめ読み〉法への言及,なぜ伝えぬ』

 記者会見に出席し,同じ話を聞いたはずの記者たちなのに,書く記事は,新聞社によって内容が異なる。こんなことは,しばしばあります。記事を読み比べると,記者のセンスや力量,それに各新聞社の論調までみえてくることがあります。

 補注)これはもっともな指摘である。だが,各社(各紙)がまったく同じ具合に書く記事であったら,新聞社は1社だけしか要らない,ということになりかねない。NHKだけ存在すればよいということにもなりかねない。日本のラジオ放送は戦前,1925年にこのNHKから始まった。むろん国営放送(社団法人)であった。

 最近のNHKの会長職に就いた「マダラぼけ」じゃないかと評判であった籾井勝人(2015年当時の会長)は,政府のいうとおり「右といわれりゃ右を向き,左となれば左にその向きを変えればよい」みたいな迷文句を吐いていた。

 籾井勝人はまた,安倍晋三「戦後70年談話」は政府・内閣から出てくるまでは言及しないでおくみたいな,へっぴり腰であって,執権党の思いどおりの経営姿勢を採ることをあからさまに表出していた。

 放送法などにもとづくNHKの基本的な立場は,この籾井会長のいいぶんを全面的に否定しているはずである。だが,なにせ安倍晋三様の「お友達」の紹介によって,この会長職の椅子に座れた自分なものだから,政府与党のなんでもいうとおりにいたしますと,籾井は明言していた。

 話題にしている皇太子の誕生日の記者会見は,「憲法にもとづき70年間の富と繁栄を享受した日本を大事にして欲しい」といった具合にも理解されていた。ところが,NHKはこの趣旨の発言をカットして放送していた。

 そのせいか,ネット上にうかがえた意見のなかには,この事実に憤っている人がいた。NHKは「皇太子殿下よりも安倍首相のほうが大事か」と皮肉られていたのである。

 要するに,この居てもいなくても・どうでもいいようなというか,居ればいるだけたしかに大きな迷惑であるこの籾井会長は,国民・市民・庶民・住民の視線からはトンデモにしかみえない反動的な役目を,安倍晋三政権のためにすでに遺憾なく発揮していた。

〔記事に戻る→〕 〔2015年〕2月23日は皇太子さまの誕生日。それに向けて20日に東宮御所で記者会見が開かれ,その内容が,新聞各社の23日付朝刊に掲載されました。

 補注)「新」「聞」の報道だというのに,〔2月の〕20日に記者会見の取材,23日朝刊での報道という日程は,ニュースの伝達として相当に慎重な手順を踏んでいる。皇室記事になると「裏づけ」の問題とは別個に,過分なまでに重ねてていねいなとりあつかいがなされる。

 さらには,敬語の使用やどの面でどのようにレイアウトするかなど,それこそ神経質になってその記事を制作している。もっとも,宮内庁側こそがそうさせている側面があるのだが……。

〔記事に戻る→〕 朝日新聞を読んでみましょう。戦後70年を迎えたことについて皇太子さまは,「戦争の記憶が薄れようとしている」との認識を示して,「謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と指摘されたそうです。

 また,今〔2015〕年1年を「平和の尊さを心に刻み,平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と話されたそうです。

 補注)素朴な疑問がある。本ブログ内ではすでに記述したところであったが,ここでも繰りかえさねばならない。

 日本国憲法第7条の天皇の国事行為に関する規定からは,皇太子がこのような発言をしてもいいという明確は条項はどこにもない。天皇のそれに関しては決めている事項が具体的にあるが,その息子(皇太子:男)に関してまで,とくに定めたものはない。皇太子が代理業務でできるそれはあるが,これはあくまで,天皇の不在時かその他緊急時において許されるものに限定されている。

 ところが,すでに大昔より(敗戦後からという意味)皇太子だけでなく天皇の妻(皇后)やほかの皇族たちも,誕生日などを契機に,あれこれと日本社会に向かい発言する機会が与えられている。しかも,彼らの発言は新聞などが逐一ていねいに報道したりもする。つまり,皇室関係者は日本社会のなかでは特別待遇であり,いいかえれば特権階級(特定集団)を形成するといえる。

 とりわけ,今回のように皇太子〔徳仁〕が55歳の誕生日記者会見でこういった,あるいは天皇〔明仁〕やその妻〔美智子〕がやはり誕生の記者会見でああいったという発言じたいが,日本社会のなかでは報道する非常な価値があり,これを広く世の中に伝達する義務がマスコミ側には厳然としてあるという不文律・不可侵であるかのような大前提が控えている。

〔記事に戻る→〕 同じ記者会見を毎日新聞の記事で読んでみましょう。こちらは戦後70年を迎えたことについて,「我が国は戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています」と述べられたそうです。

 皇太子さまは,戦後日本の平和と繁栄が,日本国憲法を基礎としていると明言されたのですね。以前ですと,別に気にならない発言ですが,いまの内閣は,憲法解釈を変更したり,憲法それじたいを変えようとしたりしています。そのことを考えますと,この時点で敢(あ)えて憲法に言及されたことは,意味をもちます。

 いまの憲法は大事なものですと語っているからです。天皇をはじめ皇族方は政治的発言ができませんが,これは政治的な発言にならないでしょうか。

 補注)この解釈,今回のごとき皇太子自身の発言が「政治的な発言にならないでしょうか」という理屈:論法そのものからして,当初より疑義が出てくる。

 まず,前述のように憲法上の存在として正式には,天皇条項しか存在しない。つぎに,にもかかわらず,皇太子〔など〕までが「政治的な発言にならない」と解釈されねばならないような「政治的な発言」を,たびたびしてきている。しかも,その皇太子が「日本がたどった歴史が正しく伝えられていくこと」に触れていた。

 ここでの皇太子の発言には大問題がある。つまり「正しく伝えられていく」「日本がたどった歴史」というものは,彼が考えるそれであって,ちまたの市民たちが考えるそれと完全に一致するかどうか,まったく保証はないものである。その答えはひとつしかないものではない。

 皇太子の発言は,いわゆるサヨクやウヨクともまったく異なった次元の立場・利害から発言されている。それが,彼のいいたいと思われる「正しく」「日本がたどった歴史」というものの実体なのである。

 新聞社の事業理念としても公正・中立などと標榜はしているものの,その正しさの判定において各社は,今回のこの皇太子の発言をめぐっては,特定の差異を示してもいる。

 そこにきて,皇太子が「政治的な発言にならない」範囲内でありながらも,「謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と,55歳誕生日記者会見の場で指摘したというのである。

 しかしそれでは,前後する皇太子の発言全体がイコール:「政治的な発言にほかならない」という理解しかできない

 もっと現実的に理解したい。皇太子の発言は,安倍晋三の為政(なかでも2014年7月1日;集団的自衛権行使容認という閣議決定)を,核心に置いてなされている。

 つまり,「憲法第1条から第8条」に規定されている天皇条項に対して,これと密接に関係づけられて対置されている「第9条」の改変を実現させた安倍政権の実績を踏まえて,皇太子がこれに釘を差すかのように,以上のごとき発現をしていた。これが政治的でなくて,はたしてなんであるのか?

 しかも「歴史が正しく伝えられていくことが大切」とまでいっていた。敗戦後史において日本国憲法が公布,施行されていった政治過程,すなわち,この過程の「歴史が正しく伝えられていくこと」を,皇太子が婉曲に強調したと解釈して無理はない。

 以上の指摘はもちろん,あくまで本ブログ筆者の批判的な論議である。皇太子が憲法に関する発言をしても「政治的な発言にならない」という受けとめ方そのものが,基本からおかしく,あやしかった。なによりも最初にそう指摘されていて,当然であったのである。

 憲法に則ってウンヌンする話題を,それも皇太子が自分の誕生日記者会見でじかに触れていた。これが当然のように大きく新聞などにとりあげられるのを,あらかじめよく承知のうえで,彼が発言した「憲法の問題に関する話題」である。「これは政治的な発言にならない」などとは,とてもではないが,いうわけにはいかない。

 c) 天皇・皇族たちを特別階級視して疑わない日本の政治社会・新聞社などマスコミ

〔記事に戻る→〕 ところが,憲法第99条に,以下の文章があります。「天皇又は摂政及び国務大臣,国会議員,裁判官その他の公務員は,この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と。皇太子さまは,憲法のこの条文を守って発言されているに過ぎないのですね。

 でも,憲法擁護義務を守りつつ,「憲法は大事」と伝えようとしているのではないか,とも受けとれます。それを考えると,宮内庁と相談しながらのギリギリのコメントだったのではないかという推測が可能です。

 補注)ところで,前段の語句で思うに,「その他の公務員」のなかには皇太子も入るのか? 

 憲法の規定に載せて観れば「客体的・対象的な存在」であるはずの「皇族の1人:皇太子」が,みずから進んで「憲法は大事」だと,しかも自分自身の「主体的な立場から発言した」のだから,受けとめようによっては,ただごとではない。

 けれども,憲法で規定されている「天皇」(当時の天皇明仁)「そのまた息子」(同じく皇太子の徳仁)がそのように発言することじたい,実は,憲法に関する論理的な理解としては,自家中毒・自家撞着である矛盾症状の発現にしかなっていなかった。

 このいいかたが適切ではないとすれば,せいぜい,皇太子の立場からする手前味噌にしかなりえなかった,という理解も当然に導き出せる。

 さらに「宮内庁と相談しながらのギリギリのコメント」だと,皇太子の発言が解釈されていた。しかしながら,宮内庁による皇室行政のほうが,実際においては「憲法の上に鎮座している」かのような「日本の政治社会の構図」ができあがっている。

 それが,日本の政治社会においては,ありのままの正直な実相である。宮内庁が展開している現実的な任務は,皇室のために「憲法そのものを遵守する」というよりは,どこまで「憲法の制限から逸脱する」ことができるかに求められている。

 憲法の規定に守られているはずの天皇家の人間の1人である皇太子が,逆に国民や政府に向かい「この憲法を守れ」といっているのだから,よく考えてみるまでもなく,実に奇怪な発言である。

 天皇は日本国・民の統合する象徴であるが,とすると,その息子はいったいなんであるのか? この象徴の息子も,ともに語り,述べ,主張する光景が常態になっている。

 こうした事態は,皇太子〔など皇族たち〕が放つ発言じたいが「いい・悪い」と判定される以前において,別様に検討・議論されるべき〈憲法にかかわる前提の問題〉が存在することを意味している。

 皇居や赤坂用地に住む以外の日本国籍人は,参政権・市民権をもっているが,天皇一族はそれが与えられていない。だからといって,自分たちの誕生日を待ちかまえてはいつも,「天皇家の1人」として,きわめて抽象的でありながらも,なおかつ相当具体的に,自分たちの要望・意見を披露する。

 しかも,彼らの発言の内容は,必らずしも国民だとか国家だとかのために焦点が合わせられているのではなく,むしろ自家=天皇家じたいの安寧・発展,つまりこちらの利害関係がたしかに伏在させられている。

 それゆえ,池上 彰がいうごとく「皇太子さまは,憲法のこの条文を守って発言されているに過ぎない」と解釈するのは,あまりにも皇室に対する好意的に過ぎた,お人好しの立場からの発露でしかありえない。

 いまの憲法によって「自分が守られる立場」にいる者が,わざわざ「この自分」の「立場が守られる」ようにこの「憲法を守れ」と,それも今回の場合では明らかに,現政権の安倍晋三という首相個人を標的に絞ったかにして,放っていた内容だといえる。

 したがって,問題の背景にあってその中核部分に控える論点は,とうてい一筋縄では理解がいくような性質のものではなかった。天皇一族の誕生日記者会見として常時おこなわれている「政治的な発言」そのものには,細心の注意を向けて観察する用心が必要である。

〔記事に戻る→〕 こんな大事な発言を記事に書かない朝日新聞の判断は,はたしてどんなものなのでしょうか。もちろんデジタル版には会見の詳報が出ていますから,そちらを読めばいいのでしょうが,本紙にも掲載してほしい談話です。

 他の新聞はどうか。読売新聞にも日本経済新聞にも産経新聞にも,この部分の発言は出ていません。毎日新聞の記者のニュース判断が光ります。こうなると,他の発言部分も気になります。

 朝日新聞が書いている「謙虚に過去を振り返る」という部分です。このところ,日本の戦争の歴史の評価をめぐって,「謙虚」ではない発言が飛び交っていることを意識されての発言なのだな,ということが推測できるからです。

 皇太子さまの,この言外に含みをもたせた発言を,他紙は報じているのか。毎日新聞と日経新聞は報じていますが,読売新聞にはありません。産経新聞は,本記のなかにはなく,横の「ご会見要旨」のなかに出ています。

 日経新聞は,「謙虚に過去を振り返る」の発言の前に,「戦後生まれの皇太子さまは天皇,皇后両陛下から折に触れて,原爆や戦争の痛ましさについて話を聞かれてきたという」と書いています。

 天皇ご一家が,戦争の悲惨さと平和の大切さを語り続けてこられていることがよくわかる文章です。朝日新聞の記事では,こうした点に触れていません。記者やデスクの問題意識の希薄さが気になります。

 補注)以上までの記述に関して最後に一言。朝日新聞は2014年の夏ころに起こされた「例の従軍慰安婦問題誤報事件」で,安倍晋三から放たれた攻撃のために,社内精神的に疲弊した編集姿勢が出ていたのではないか?

 ということでさらに触れれば,「天皇ご一家が,戦争の悲惨さと平和の大切さを語りつづけてこられていること」について,「朝日新聞の記事では,こうした点に触れていません」という編集になったのではないか?


 ※-2 参考:『毎日新聞』の該当記事『毎日新聞』2015年2月23日朝刊から 

    ☆ 皇太子さま:55歳の誕生日「正しい歴史伝承が大切」☆

 皇太子さまは〔2015年2月〕23日,55歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち20日に東宮御所(とうぐうごしょ)で記者会見し,戦争の記憶が薄れつつあることに触れ,「謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と述べた。

 皇太子さまは子どものころから,天皇,皇后両陛下と一緒に,沖縄戦が終結した沖縄慰霊の日(6月23日),広島と長崎の原爆の日,終戦記念日に黙とうし,原爆や戦争の痛ましさを教わってきたことを紹介。いまは長女愛子さまも両陛下から戦争の話を聞いているという。

 今年〔2015年〕,戦後70年を迎えることについては「我が国は戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています」とし,「本年が日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し,平和の尊さを心に刻み,平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と語った。

 補注)このように言及される場合,日本国憲法の第1条から第8条までが「天皇条項」で構成されている事実は,あらためて意識しなおしておく必要があった。第9条の問題(条項)と組みあわせで存在してきた「敗戦後史としての〈天皇家の歴史〉があったから,そう簡単にはその基本理念を変えられては困るという意思が,天皇家一族側からあの手この手を尽くしてであったが,われわれの側での理解がえられるようにだと思われるが,積極的に送信されてきた。

〔記事に戻る→〕 また,この1年を振りかえり,中東などで続いた武力紛争に「我が国国民を含め市民を巻きこむテロの事件がさまざまな場所で発生したことに深く心を痛めています」と言及。

 青色発光ダイオードの開発で日本人3人がノーベル賞を受賞したことにも触れ,「地道な研究の積み重ねと大学,民間企業をはじめ多くの方々の支援と協力から生まれた」と喜んだ。

 55歳は天皇陛下が即位した年齢にあたる。「身の引き締まる思いとともに,感慨もひとしお」と語り,今後も両陛下の姿に学びながら努力していきたいとの考えを示した。療養中の雅子さまについては「焦らず慎重に,少しずつ活動の幅を広げていってほしい」と思いやった。

 以上,ここまでの議論に関して,本ブログ筆者が判る範囲内では,園部逸夫『皇室制度を考える』中央公論新社,2007年が天皇・天皇制,皇室・皇族の現代的な諸問題を,より具体的に案内してくれる著作としてある。園部の同書は,本格的に法律書として議論したほかの専門著作はさておき,啓蒙書としては接しやすい文献である。

 しかし,園部逸夫『皇室制度を考える』からは,本日の前段で関説したような多くの疑問を解くために役に立ちそうな叙述をみいだしにくい。皇室制度じたいに対して園部の批判はない。非常に残念である。

 また,安倍晋三政権になってから騒がれるようになった改憲問題について小林 節『白熱講義! 日本国憲法改正』KKベストセラーズ,2103年4月は,つぎのように(も)述べていた。

 すなわち,「(天皇制,皇室制度)はとてもデリケートな問題である」と断わりつつも,「日本の天皇家は,万世一系,つまり初代の神武天皇から天皇家に生まれた男の直系としてつながっている2千年以上続く世界最古の王朝である」(25頁)といってしまい,学問する者としては,自分の土台の一部を瓦解させるような意見を吐いていた。

 要するに小林は,天皇・天皇制に関して,明治以来の神話伝説に依拠した「学問以前の立場」を,憲法学解説書のなかでうかつにも披露していた。憲法論の討究・詮議のなかに神話をじかに混入させたら,まともな議論は成立しうるはずもない。

 小林 節は「安倍晋三政権による憲法改定」の方向にもやり方にも猛烈に反対する憲法学者であったが,本論のほうにおけるその議論はさておき,天皇・天皇制にかかわる論点になるや,前段のようにきわめて素朴かつうぶな側面もみせていた。思うに,「明治期に創られた天皇制」の機密に騙される発言をしていたと観察するほかなかった。

 それとも,もっとほかに含意をこめた高等戦術でもあって,天皇・天皇制に関しては「自己単純化」の工夫がなされていたのか? この点は,小林 節側において,もしも意識して踏まえたうえでの「発言」であれば,以上の当方の理解はいくらか修正すべき余地が出てくるかもしれない。

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